密談 3

 フォイビダスは、わし鼻にしわを寄せた。


「おぬしの手なんぞ、こっちには関係ない。


 そんな些細ささいなことはどうでもよいわ。


 それより、取引の話だ」


 失った右手のことを、些細ささいなこと、どうでもいい、などと言われ、ダリウスの顔に酒の酔い以外のしゅともる。


 けれども敵地での密談で、自分の身の安全と時間を気にしているフォイビダスは、気のくままに続けていた。


「金だけ受け取って首を渡せぬとは、約束が違う。


 これでは、何のために危ない橋を渡ってきたのかわからん。


 この始末、どうしてくれるのだ!」


「だから、黄金獅子きんじしの奴をずっと捜している」


 と、むすっとした声でダリウス。


 フォイビダスの人差し指が、苛立いらだたしげにテーブルをタンタンと叩きだした。


「ずっと捜していても、見つかってないのではらちがあかない。


 戦が終わって、もう5日だぞ。 どうして見つからんのだ?」


「どうして見つからんのか、こっちが知りたい」


「捜し方が悪いのではないか」


「そんなことはないだろう。


 ペロピダス兄者あにじゃもエパミノンダスも、レウクトラ中を必死で捜している。


 アテナイとコリントスも、しぶとく居残って捜索しているしな。


 なのに見つからんのだ」


 テーブルを叩く指が止まる。唖然とした声。


「ちょっとまて。


 ペロピダスとエパミノンダス、それにアテナイとコリントスが捜している?


 それでは、おまえ自身は奴を捜していないと……」


 フォイビダスがそこまで言いかけたところで、ソリムが地酒じざけの入った壺と木のうつわをかかえてやってきた。


「よーし、よこせ」


 ダリウスはうつわは無視して酒の入った壺をひったくると、直接グビグビとぐい飲みした。


「ふーっ、うめぇーっ」


 酒壺を持ったままの左腕で、ぐしゃ、と酒の雫のしたたる唇を拭う。


 ふんぞり返って椅子をきしませながら両足を上げ、どしん、どしん、 とテーブルに乗せた。


 スパルタの王族であるフォイビダスが、汚い靴裏を見せられて、あからさまに嫌そうな顔をするのを気にもとめず、その恰好でまたぐい飲みをし、あっという間にからになった壺を振ってみせる。


「おい、もっと大きいので持って来い、小僧。


 こんなもんじゃ全然たりんぞ」


 からの壷を受け取ってソリムが台所へ去ると、フォイビダスは腹立たしげに話を再開した。


「それではダリウス、おまえ自身は黄金獅子きんじしを捜していない、ということなのかっ?」


 ダリウスは横柄おうへいあごをぐいと上げた。


「俺は、見つけるとか捜すとか、そういうかったるい地味な仕事はしょうにあわん。


 降格されて兄者あにじゃに、二度と手出しをするな、とも命令されてるからな。


 余計なことをして、一兵卒いっぺいそつにまで落とされるのは、ごめんだ」


「では、では、私との約束は……取引はどうするんだ?!」


兄者あにじゃかエパミノンダスが黄金獅子きんじしを見つけて、捕まえるか殺すかしたら、首を盗んでおまえに渡してやる。


 首さえ手に入れば、おまえはそれでいいんだろうが」


「それは……そうだが、テバイ軍から首を盗むなど、そんなことができるのか?」


「できるできる。


 テバイ軍にゃ、俺のいいなりになる兵が一杯いる。心配するな」


 大きな態度で安請やすうけ合いをする、ダリウス。


 顔をしかめる、フォイビダス。


「では、アテナイかコリントスが黄金獅子きんじしを捕まえた場合は、どうするつもりなんだ?」


「えっ? アテナイかコリントスが?


 ……う、うーん、それはだなー。


 おっ、来たな」


 答えに詰まったところで、ソリムが、一段と大きい壷に入れた酒を重そうにタプンタプンと持ってきて、両手で差し出した。


 これさいわいとダリウスはそれをふんだくり、グビグビあおった。


 さて、はりの上で会話を聞いていたティリオンとアフロディアは、その内容にどちらも大きな衝撃を受けていた。


 特にアフロディアは、黄金獅子きんじしこと兄クレオンブロトス王が敵軍にまだ見つかっていないこと。


 すなわち、生きているかもしれない、という可能性に大きく胸を弾ませていた。


 (兄上さまが、兄上さまが、生きておられるかもしれない!!)


 琥珀こはくの目に、おさえきれぬ喜びの涙がみるみるあふれてくる。


 ティリオンは、嗚咽おえつを聞かれるのを恐れて、またもや恋人の口をしっかりとふさがねばならなかった。

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