第六章 密談

密談 1

 驚きのあまり、まなじりが裂けるほど目を開いて見上げるソリムを、テバイのダリウスは虫けらでも見るように見下ろした。


 そして言った。


「小僧、この家には、他に誰がいる?」


 ソリムが呆然としていて答えられずにいると、にゅっ、とダリウスの左腕がのびてきて、がば、と胸ぐらをつかんだ。


 細っこい10歳の子供の体を、自分の目の高さまで軽々と持ち上げる。


「ヒイッ!」


 短い悲鳴を上げ、手足をばたつかせるソリム。


 ぬっ、と顔を近づけてきたダリウスからは、酒のにおいがぷんぷんした。


「おい、おまえの他に、この家には誰がいるんだっ」


「あ、あ、あ、……ね、ね、姉ちゃん、と……」


 ソリムがどもりながら答える。


 体中、冷や汗が吹き出している。


「姉ちゃんと、誰だ?」


 ダリウスがどすのきいた声で先をうながす。


 ソリムはごくり、と唾を呑み込み、消え入るような声でやっと言った。


「……姉ちゃんと、僕と……ふたりだけ」


「姉ちゃんは、どこだ?」


「せ、洗濯にいってる」


「よーし」


 ダリウスはソリムを、ぽい、と斜め前に放り出した。


 ぶぎゃっ、とまたもや尻もちをつくソリム。


「小僧、しばらくここを借りるぞ」


 ダリウスは宣言して、のしのしと中に入り込むと、居間の木の椅子に、ずしん!  と地響きをたてて座った。


 巨漢の重みで椅子がぎしぎしと、今にも壊れそうな音をたてる。


 そのあとから入ってきたのは、この暑さにもかかわらず、黒いフード付きマントですっぽりと全身をおおった人物である。


 続いて、テバイの兵隊がふたり入ってくる。


「おまえは外に出て、表で見張りをしろ」


 ダリウスにそう命じられ、一番あとから入ってきたテバイ兵は、ちっ、と舌打ちしながらも、日射しで暑い外へとひとり引き返していった。


 黒いフード付きマントの人物は、テーブルをはさんでダリウスの向かいに立つと、耐えきれぬ様子で顔を深くおおっていたフードをばさりと脱いだ。


 マントの首元くびもとも、ぐいと指で引っ張って大きく広げ、不満たらたらの口調で言う。


「ふーっ、暑い、たまらん!


 こんなのは二度とごめんだ」


 フードの下は、わし鼻の目立つ、頭のてっぺんの薄くなった茶色の髪の中年男である。


 手の平で汗だらけの顔と首をあおぎながら、警戒心あらわに落ちつきなくあたりを見回して、言った。


「なんだここは、ひどいボロ家だ。こんなところで話をせねばならんのか?」


 ダリウスが、太く大きな地声じごえで答える。


「こういう場所のほうが、秘密の話をするには安全なんだぞ、フォイビダスどの」


 フード付きマントの男、フォイビダスは、ぎくりとして口にひとさし指を立てた。


「しっ、私の名をこの地で口に出すな。それに声がでかい!」


 それから、床に座り込んだままのソリムを疑わしげに見た。


「本当に、他には誰もいないのだろうな。


 その子供が、嘘をついているかもしれん」


 ダリウスはふん、と鼻でわらった。


 が、部屋にもうひとり残ったとものテバイ兵に向かって、あごをしゃくって命令した。


「調べろ」


 テバイ兵はまず、居間の隣の部屋……両親が亡くなってからは、レジナとソリムの寝室になっている部屋に入っていった。


 それからいったん居間に戻ってきて、奥の台所へと向かおうとする。


「あっ、あ!」


 はらはらして見ていたソリムは、思わず声を上げていた。


 台所の横の小部屋。


 かつて子供部屋だったその場所には、今は、ティリオンとスパルタ王女がいる。


 台所に入ろうとしていたテバイ兵が、不審げに立ち止まった。


 ダリウスが、じろりとソリムを睨む。


「誰かいるのか?」


 青くなったソリムは、ぐっと詰まって答えられない。


 そんなソリムにじっと視線をあてたまま、ダリウスは黙って手を振り、テバイ兵に、行け、と促した。


 テバイ兵は剣のつかに手をかけ、警戒しながら台所に入って行った。


 ソリムは絶望して、固く目を閉じた。


 しばらくして台所から戻ってきたテバイ兵が、


「誰もいません」


 と報告したときは、ソリムは全身の力が抜けて気を失いそうになった。


 ダリウスが肩のこりをほぐすように、猪首いくびをぐるりと回す。


「もういい、おまえは家の裏を見張れ」


 家の中を調べた兵を裏口の見張りに行かせてから、今度はソリムに命じた。


「おい小僧、何か冷たいものを持ってこい。


 そうだ、酒はないのか、酒は? 酒があるならすぐ持ってこい」


 ぎくしゃくと立ち上がり、台所へ向かうソリム。


「逃げようなどと思うなよ、小僧!」


 と、ダリウスの太い声が飛ぶ。

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