川辺にて 2

「わかりました、今夜はテバイ本陣で酒宴でしたね、早めに帰ります」


 了解してから、ギルフィは不安そうな顔になって言った。


「それにしても、フレイウスさま……


 いくさが終わってもう5日目にもなるのに、ティリオンさまは見つかりませんし、手がかりもありません。


 我々は、ここで捜索していていいのでしょうか?


 ティリオンさまは、本当にレウクトラにいらっしゃるのでしょうか?


 スパルタに囚われていたティリオンさまが、戦場で行われるはずだった処刑から、のがれることがおできになっていたならいいですが。


 あるいは、もう既に……」


 それ以上は言葉にできずに、うつむくギルフィ。


 フレイウスは、重い吐息をついた。


「あれだけ調べても、戦場でティリオンさまが処刑される様子も、処刑された形跡けいせきもなかった。


 スパルタ本国から、ティリオンさまについて何か言ってきてないか、アテナイにも問い合わせを出した。


 返事は「今のところ、スパルタからは何も言ってきていない」だ。


 こうなってはあのかたの生死も居所いどころも、もはや全くわからない。


 わからないのだが、私は……」


 フレイウスの左手がそっと、右肩の銀の飾り紐に触れる。


 彼の右肩には、マントのかわりの夏用の薄い肩布かたぬのを留めている金具から、つややかな銀糸と革紐の組みあわさった飾り紐が、幾重いくえかの輪になって下がっていた。


 かつてスパルタでクラディウスから手に入れた、ティリオンの銀髪で作られた飾り紐だ。


 美しい飾り紐に手を触れたまま、フレイウスは顔をあおのけて、天を高く見つめた。


「私は、ティリオンさまが生きてらして、このレウクトラの地にいらっしゃるような気がしてならない。


 どうしてそんな気になるのかは、説明できないし、単なる私の思い込みかもしれないが」


「フレイウスさま……」


 フレイウスの視線を追って、ギルフィも青い空を見上げた。


 ギルフィにもなぜか、なつかしいティリオンの優しい微笑みが、夏風に乗って、ふとよぎっていった気がした。


 フレイウスは下を向き、汗ばんでいる愛馬の黒い首を柔らかく叩いた。


「さ、イオ、アテナイ陣に戻るぞ」


 黒い馬は鼻先を上げてふんふんとうごめかせ、風のにおいをしきりにかいでいた。


 勝手に河原の方へ馬体の向きを変え、パカパカと何度か足踏みをする。


 それから首を後ろに曲げ、賢そうな黒い目で、主人フレイウスの顔を訴えるように見た。


「どうした、水が飲みたいのか?」


 声をかけたあと、かすかに人の気配を感知したフレイウスは、警戒する表情になって河原を見回した。


 そして、自分たちが進む予定だった道の先のほうの河原で、川で洗濯をしている赤毛の少女を見つけた。


 フレイウスのあおの瞳に、鋭いひらめきが走る。


「引き上げるのは、少し延期する。


 おまえはイオをつれて、あの木の影で隠れて待て」


 ギルフィにそう言いおいて、フレイウスはひらりと馬から飛び降りた。




              ◆◆◆




 晴天で絶好の洗濯日和せんたくびよりであり、レジナは上機嫌でごしごしと洗濯板で洗濯物をこすっていた。


 最近のレジナの毎日は、張り合いがあって充実していた。


 ティリオンたちがレジナの家に逃げ込んで来てから、3日がたつ。


 ティリオンと一緒に生活し、身の回りの世話を焼くことは、レジナにとってこの上ない喜びとなっていた。


 ティリオンの方も、レジナが心根こころねの真っ直ぐなしっかりした娘だと分かるにつれ、彼女を何かと頼りにするようになっていた。


 それがまた、レジナには嬉しくてならなかった。


 好きな人が頼りにしてくれて、ありがとう、と微笑んでくれるのは、姉御肌あねごはだの彼女にとって最高に幸せなことだったのだ。


 弟のソリムも、手斧で怪我をした腕を何度かティリオンに治療してもらい、そのつど話をするうちに、最初の恐れと警戒はなくなってすっかりなついていた。


 知識豊富なティリオンに、何やらいろいろ教わってもいるようだった。


 そして、ティリオンの妹だという見事な金色の髪の少女も、徐々に回復してきていると思われた。


 回復してきていると思われた、というのは、レジナがまだ、少女と口もきいたことがないからである。


 ティリオンは少女の意識が戻ると、かえって異常なくらい警戒して、レジナもソリムも決して少女に近づかせないのだった。


 その理由は、アフロディア姫がいわゆる「そなた」とか「~でよいぞ」などの王族言葉を使ったり、うっかりなことを喋ってしまって、正体がバレるのを恐れたからだ。


 けれど、もちろんレジナには、そんなことは知るよしもない。

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