第四章 川辺にて

川辺にて 1 *

 残夏ざんかの昼前のぎらつく太陽と、水面みなもの照り返しで、川沿いの道はじりじりと焦げるように暑かった。


 その道を馬に乗ったふたりの男がゆく。


 ひとりは、黒馬にまたがっている男。


 彫りの深い端正たんせいな顔立ち、切れ長のあおの目。


 まっすぐに流れる漆黒しっこくの長髪を、金の飾りで背中でひとつに束ねている。


 レウクトラ戦線、若きアテナイ軍総司令官、26歳のフレイウスである。


 長身の筋肉質の体に、芸術の都アテナイの上級将校の優美な革鎧を着けていた。


 もうひとりは、ゆるやかなウェーブのかかった短い栗色の髪と、濃い茶色の瞳の美青年。


 19歳で、アテナイ軍特務小隊長の紐章ひもしょうをつけている彼は、フレイウスの義弟おとうとであり腹心ふくしんの部下。


 双子の兄のほうで、ギルフィという。

 

 ふたりは川沿いの道を、ティリオンの手がかりを捜して、注意深く馬を歩ませていた。


 将軍長アテナイ・ストラデゴス子息であり、名門貴族アルクメオン家の嫡子ちゃくし、ティリオン・アルクメオン。


 将来、彼らの属する氏族組織をべるあるじとなるはずだったティリオンは、『レウクトラの戦い』が終わったあとも、行方不明のままだった。


 ここ、レウクトラでいくさが終了してから、もう5日が過ぎようとしている。

 

 秘密裡ひみつりにフレイウスらが捜し求めるティリオンのみならず、スパルタの黄金獅子きんじしことクレオンブロトス王と、その妹姫アフロディア王女の行方も、全くわからぬままであった。


 この重大、かつ、奇妙な事態に、テバイ、アテナイ、コリントスの三大ポリス同盟軍は、お互いを疑いつつ、三すくみの状態になってしまっていた。


 そのため、捜索兵だけとはいうものの、三軍ともずるずるとレウクトラに居残っていたのである。


 と、響いてきた複数の馬蹄ばていの音に、アテナイのふたりは馬を止めた。


 馬首を、音の聞こえてきた大きな丘のほうに向ける。


 斜面に広がるぶどう畑のむこう、遠くに5~6騎のテバイ騎兵の姿。


 土煙をあげて走ってゆくテバイ騎兵の目的地は、フレイウスとギルフィがあとにしてきたアテナイ本陣に間違いなかった。

 

 顔をしかめるギルフィ。


「また、テバイ陣から偵察隊が来たみたいですよ、フレイウスさま。


 あいつら、みつな同盟協力体制のための報告連絡隊、とか言ってるけど。


 相変わらず我々アテナイが、クレオンブロトス王やアフロディア姫を隠していると思ってるんでしょうね。


 疑い深い奴らだ」


 フレイウスも眉をひそめている。


「うっとおしい限りだが、なにせ奴らは地元だ、強気で来る。


 同盟軍とはいっても、しょせんこちらは他国人よそものだからな。


 これ以上、スパルタ王族を隠している、とか、行方を知っているのではないか、と疑いを深められたら、監視や規制が厳しくなってますます動きがとれなくなる」


 難しい表情で続ける。


「かといって、疑いが完全に晴れて、とっととレウクトラから引き上げてくれ、と言われても困る。


 もっとティリオンさまの捜索をしたいのに、こうも邪魔をされては……」


 しばし、悩む様子を見せたフレイウスだったが、やがて決断した。


「仕方ない。私はこれで切り上げて陣に戻り、テバイの報告連絡隊の相手をする。


  ギルフィ、おまえも今日は捜索を早目に切り上げて、アテナイ陣に戻ってこい。


 今夜、テバイ陣で行われる戦勝の酒宴へは、おまえにもアルヴィにも随行ずいこうしてもらう。


 むこうはこちらに探りをいれるつもりらしいが、こちらとて同様に、テバイ陣を偵察し、こちらの知らない情報を手に入れられる、いい機会だからな」



――――――――――――――――*



 ギリシャの都市国家ポリス紹介


● アテナイ……民主制国家。学問と芸術が盛ん。エーゲ海に面するピレウス港を持つ海運国。


● テバイ……民主制国家。農耕が盛ん。『レウクトラの戦い』で、エパミノンダスの「神聖隊」「斜線陣」によって、スパルタに勝利した。


● コリントス……複数僭主制国家ふくすうせんしゅせいこっか。地理的条件の良さを生かし、商業が盛ん。


● スパルタ……二王制軍事国家。スパルタ教育で有名。国民皆兵で、鍛えられたスパルタ戦士による強力な軍隊を持っていたが、『レウクトラの戦い』で敗北。

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