夜明け前 3

 いまさらながらレジナは、自分の衝動的な行動を大いに後悔した。


 とりあえず後ろへ下がろうとして、ついてきていたソリムにぶつかり、ふたりは悲鳴をあげてもろともに後ろに倒れた。


「「キャ────ッ!」」


 構えていた手斧が落ちて、ソリムの右腕をかすって、切った。


「キャァッ、痛いっ!」


 ソリムの悲鳴と、叫び。


 起き上がって振り向き、ソリムの腕から流れ出す血を見て、動転するレジナ。


「ああっ大変!


 ソリム、ソリムっ、ごめんよ、大丈夫かいっ?!」


 半身を起こしたソリムが、ひじと手首の真ん中あたりの部分から、たらたらと血の出ている自分の右腕を見て、大声で泣き出す。


「うわぁ――ん! いたいよう、いたいよう、こわいよう。うわぁぁ――ん、うわぁぁ――ん!」 


「どうしよう、どうしよう……」


 自分が原因の突然の事故で、おろおろするレジナ。


 と、彼女の向かい側に、背の高い人影がひとつ、すっと寄ってきて屈みこんだ。


 太陽の外輪がいりんが出て、朝の第一の光がさした。


 姉弟きょうだいはまばゆい光の中、世にもまれなる美しい人物を見た。


 すらりと長い足で片膝をついた、均整のとれた筋肉質の体。


 神の手で特別に、精密かつ繊細に美しく創られた、優しげな顔立ち。


 長い睫毛まつげにふちどられ、高貴な宝石の輝きをもつ緑色の目。


 光に透けてきらめく、肩までの銀色の髪。


 朝の光は、美神の手によって生み出されたこの青年を祝福するかのように、ゆっくりとに大地に広がっていく。


 姉弟きょうだいは、恐怖も痛みも出血も忘れ、泣くことも忘れ、美の具現ぐげんのような青年にただ見とれた。


 青年は、尻もちをついているソリムの右腕を取り、傷口より心臓に近い部分を押さえると、レジナの方を向いて言った。


「大丈夫、私が手当てします。


 きれいな水を手桶に一杯と、清潔な布を2、3枚と、あれば包帯を持ってきてください」


 青年の声は穏やかで丁寧だったが、急場きゅうばにあたって自然と人を従わせる響きがあった。


 レジナは無言で、かくかくと頷き、言われた物を取りに家の中へ走った。


 レジナが言われた物を持って戻ると、青年はそれらを使って、馴れた様子でソリムの腕を手当てしはじめた。


 濡らして絞った布で血を拭い、傷をる。


 高貴な容姿に似合わぬぼろぼろの革鎧の、腰の物入れから小さな布袋を取り出し、葉っぱでくるんだ中の、黄色い軟膏を傷口に塗った。


「これはがまの穂の花粉と、いくつかの薬草で作った傷薬です。


 血を止める効果と、傷を早く治す効能があるのですよ」


 患者を安心させる優しい声で説明して、傷口をもう一度確認する。


「うん、そんなに深い傷ではありません。


 このままでしばらくしたら血が止まりそうだから、縫わなくてもいいでしょう。


 しっかりめに包帯を巻いておきます。


 たいしたことがなくて、よかったね」


 美しい青年に微笑みかけられて、ぽかんとしていたソリムの顔が真っ赤になる。


 微笑む青年のうるわしい横顔を見たレジナも、頬を赤らめた。


 笑みを直接向けられている弟がうらやましくて、怪我をしたのが自分だったら良かったのに、とまで思った。


 青年が端切はぎれ布で即席に、器用に作った包帯がきちんと巻かれ、手当てが終わった。


 青年はソリムに手を貸して立たせてやり、自らも立ち上がった。


 我に返ったソリムが、急いでレジナの後ろに逃げ込み、美貌の青年と姉弟きょうだいが改めて向きあう形になる。


 固いものが詰まってふさがったような喉をこじあけ、レジナはかすれた声を出した。


「弟を、手当てしてくれてありがと。


 牛小屋にいたのは、あんただね」


 青年は申し訳なさそうな顔になった。


「はい。


 すみません、勝手に入り込んで……どうか許してください」


 美貌の青年のしおらしい様子に、レジナはキュン、と胸が締めつけられて、すぐには何も答えられなかった。


 レジナの後ろからのぞくソリムが、眉尻まゆじりを下げ、姉の服を強く握る。


 無言で凝視するふたりに、腹を立てていると思ったのか、青年は悲しげな声で言い訳した。


悪気わるぎはなかったのです。だから、怒らないでください。


 その……


 体の具合が良くなかったので、屋根のあるところで休ませてもらっていました。


 なるべく早く出て行きますから、どうか騒がないで、見逃してください」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る