テバイ本陣総司令官天幕 3 *

 ごつくてがっしりとした長兄ペロピダスとも、巨漢の三弟ダリウスとも、その下にいる四弟五弟とも、ひとりだけ全く似ていない腹違はらちがいの次弟、ネリウス。


 兄弟の中でネリウスだけは、戦心いくさごころもなく、武術にも才能がなかった。


 だが、陰湿いんしつな計略や、底意地の悪い残酷さだけはたっぷりと持ち合わせているという、難物なんぶつだった。


 美少年はもちろん、美しい男とみれば次々と手を出す、貪欲どんよくな同性愛者でもあるネリウス。


 ペロピダスはこの時、この腹違いの次弟が、実は父親のたねも違うという噂は、やはり本当なのではないか、と思ったりした。


 弟ダリウスのみじめな様子を、たっぷり楽しんだネリウスは、やっと目を上げて言った。


「しかし兄者あにじゃ、兵士どもの話によると、アフロディア姫はともかく、黄金獅子きんじしの方は大怪我をしていたそうですが」


 仏頂面ぶっちょうづらでペロピダスが頷く。


「うむ、まあそれは確からしい」


「これだけの厳重な包囲網の中を、そんな大怪我をした者が、誰の手助けもなしにのがれられたり身を隠せたりするものですかねぇ?」


「どういう意味だ? それは」


 ネリウスは、ずる賢いきつねのような笑いを兄に吹きつけた。


「ふふふふ、ですから私が思うには、ですね。


 戦場にいる、とても権力ある誰かが、 手助けして逃がすとかかくまうとかしないと、こういうことにはならないのではないか、と」


「とても権力ある誰かが、手助けして逃がす? かくまう?


 まさか裏切り者がいるとでも……」


 言葉の途中で、ペロピダスの顔がこわばった。


「そうだ、同盟軍アテナイ総司令官フレイウス。


 あいつなら裏切るかもしれん。


 そうだ、きっとあいつだっ!」


 ペロピダスは両手をこぶしにして振り上げ、憎々しげに地団駄じだんだを踏みだした。


「あいつだ! そうだ、裏切ったのはあいつだ。あいつにきまってる!


 あいつはスパルタでも、俺とアフロディア姫の、あっつーい恋仲を邪魔したんだからなっ。


 あいつが黄金獅子きんじしと、俺のかわいい姫の身柄をこっそり握ってて、知らん顔してあざ笑ってやがるんだ!


 そういえば同盟軍のくせにいくさの時、アテナイ軍の動きはどうも変だった。


 くっそーっ、やられたっ。


 フレイウスめ、許せん、許せんっ、もう許せんぞ!」


 かんかんに怒る兄を見て、ネリウスの笑いがいっそう意地悪く深まる。


兄者あにじゃ兄者あにじゃ、まあ落ちついて。


 疑わしい同盟軍は、アテナイだけではありませんぞ。


 もうひとつ、同盟軍コリントスもお忘れなくぅ――」


「いいや、裏切ったのは、アテナイのフレイウスに決まっとる。


 奴だ、奴が絶対、犯人だ。氷の剣士が俺の姫をまた横取りしやがった! 


 そうだ、奴も平和会議のとき、スパルタでアフロディア姫に惚れて、自分の嫁にしようとしているのかもしれん。


 あいつも、威勢のいい可愛い女が好きなタイプなんだろう。


 ちくしょーっ、姫は俺の嫁になるんだ!


 俺のかわいい姫は、必ず取り戻すぞっ」


 ひとりぎめして叫ぶと、ネリウスを押しのけて、ペロピダスは天幕の外に飛び出していった。


「エパミノンダスっ、エパミノンダスはどこだ? アテナイが裏切ったぞっ。


 フレイウスの野郎が俺の姫をさらいやがった!


 おいエパミノンダスっ、大体おまえが、万が一のため、とかいってアテナイなんぞと同盟を組んだりするから、フレイウスに姫を取られてしまったりするんだ。


 なにっ、今、忙しいだと?


 ちょっとまてっ、俺の話を先に聞いたらどうなんだ。おいこらっ……」


 怒鳴る声が、段々遠ざかってゆく。


 この隙にとダリウスが、こそこそ逃げ出していく。


 総司令官天幕にひとり残されたネリウスが、クククククッ、とこらえきれぬ笑いをもらした。



――――――――――――――――*



人物紹介


● ペロピダス(32歳)……レウクトラ戦線、テバイ軍総司令官。女好き。

 スパルタのアフロディア姫に熱を上げている。


● ネリウス(29歳)……ペロピダスの腹違いの次弟。非常識で見境のない同性愛者。別名『テバイのタンポポ頭』


● ダリウス(28歳)……ペロピダスの三弟。熊のような巨漢。『レウクトラの戦い』で、スパルタのクレオンブロトス王に右腕を斬り落とされ、隻腕。


● エパミノンダス(30代?)……テバイ軍の参謀長。野心が強く、頭がいい。

 『斜線陣』『神聖隊』をつくり、スパルタ軍に勝利した。

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