テバイ本陣総司令官天幕 2

 次から次へと全身に浴びせられる、兄ペロピダスの容赦ない、蹴り。


 たまらず、這いずって逃れようとしながら、ダリウスが必死で言う。


「お、お姫さんの方は、俺は知らねぇよ。


 でも黄金獅子きんじしの奴は、俺がこの手で確かに殺した……


 うぎゃっ! ぐごっ!  どほっ! も、もう蹴らないでくれ。


 ほんとだっ、ほんとに殺したんだよ――っ!」


 歯をむき出し、怒鳴るペロピダス。


「まだ言うかっ、この大嘘つきめ! おまえをぶっ殺してやる!」


「ひぇ――っ、たすけて――っ、ぐえっ、うげっ、ぶぇっ、げぼっ!」


 転がり、這いずり、懸命にのがれようとしても、執拗しつように追いかけてペロピダスは蹴り続ける。


 どかっ! どかっ! どかっ! どかっ! どかっ! どかっ!


 涙と汗と鼻血で顔をまだらにしたダリウスは、ついに叫んだ。


「ぎゃあっ!! わかったっ、すまねえっ!


 うぎゃっ! ぐわっ! 俺の勘違いだっ、いでぇぇっ! !


 俺の勘違いだった。俺は黄金獅子きんじしを殺してねぇっ!  殺したと勘違いしてたっ。


 俺が悪かったよぉぉぉっ! ! ぐぶっ! げっ!


 だのむっ、もう蹴らないでくれ、やめてくれっ、勘弁してくれっ。


 ごめん、あにじゃっ! ぐげっ! げぶっ!


 じぬ……これ以上蹴られたら、ほんとに死んじまう。しんじまうよぅ――――っ!」


 それでも、スパルタ王族を二人とも逃し、怒り心頭のペロピダスは許してやらなかった。


 三弟ダリウスの巨体が横倒しになって、完全に動けなくなり、口からもれるのが呻き声だけになるまで蹴り続けた。


 最後に、ものすごい怒声を張り上げる。


「いいかっダリウス。二度と俺の命令にそむくな!


 それから、手柄欲てがらほしさに大嘘をつくんじゃねえっ。


 今度『黄金獅子きんじしを殺した』なんぞと大嘘をつきやがったら、本当におまえを殺してやるからなっ!」


 返事もできず、うーっ、うーっ、とうめくだけのダリウス。


 さすがにセィゼイと息を荒らげつつ、だめおしの一発を入れてから、ペロピダスはやっとダリウスに背を向けた。


 テバイ総司令官の凄まじい制裁を、青くなって見ていた報告の士官に、


「もういいっ、下がれっ」


 と、邪険じゃけんに手を振って下がらせる。


 すると入れかわりに、ひょろっとした人物が入ってきた。


 もしゃもしゃした細かい巻き毛の、黄色いタンポポ色の頭。


 のっぺり、という印象を与える、鼻筋の長い、なま白い顔。


 睫毛の長い、薄茶色の目。横に大きい、ぬめぬめとした紅い唇。


 身につけたテバイ軍鎧の全く似合わないその男は、憤怒ふんぬを顔に張りつけたままのペロピダス総司令官に、恐れるふうもなく声をかけた。


「これはまた、ペロピダス兄者あにじゃ、ずいぶんご機嫌斜めでいらっしゃるな」


 ペロピダスは、タンポポ頭の男を見るなり、怒りの上に嫌悪けんおの色を重ねたが、不機嫌極まりない口調で答えはした。


「何だ、ネリウス。


 きさま、いつレウクトラに来たのだ?」


 ペロピダスの次弟、タンポポ頭のネリウスは、薄笑いを浮かべた。


「ふふふふ、ついさきほど着きました」


「ふん! いくさの終わった今頃になって、のこのこ出てきやがって。


 相変わらず役に立たん、情けない、卑怯な奴め!」


 兄の罵倒ばとうにも、ネリウスはこたえる様子もなく、なだめるように片手を振ってへらへらと笑う。


「まあま。


 わかっておられるでしょ。私なんぞが前線にいても、お邪魔になるだけですよ。


 それより私は、いくさあとのことで兄者あにじゃのお力になろうと、こうして参上したわけでして」


 紅い唇を長い舌でぺろり、とひとなめして、ネリウス。


「なんでも、スパルタの黄金獅子きんじしとアフロディア姫を、どちらも取り逃がしたそうですね」


 ペロピダスは三弟ダリウスに視線を戻して、にらんだ。


「ああっ、このうどの大木たいぼくのクソ馬鹿野郎の、独断行動どくだんこうどうのせいでな!


 黄金獅子きんじしの首をとる手柄を独り占めしようとして、『神聖隊しんせいたい』を下がらせる命令を勝手に出しやがったんだ。


 こいつのせいでせっかくの作戦が、最後の最後になってこのありさまだ。

 

 降格こうかくくらいじゃ気がおさまらんっ。


 弟とはいえ、この場で殺してやりたいくらいだ!」


 兄の暴力から立ち直り、そろそろと頭を上げようとしていたダリウスが、それを聞いて、


「ヒェェ――ッ!」


 と、巨体にそぐわぬ悲鳴を上げ、またもや突っ伏す。


 ネリウスは、自分の弟でもあるダリウスのそんな様子に同情するどころか、 かえって嬉しそうに目を細めた。


 こらえきれぬ嘲笑ちょうしょうで、紅い唇の両端が、きゅっとV字型につり上がる。


 腹違はらちがいの次弟の、そのひどく残忍な表情に、蹴りつけたペロピダス本人の方がちょっと気分が悪くなった。

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