顕れし怪獣

 誠一はその目を疑った。

 だが、瞬きをした瞬間には、先程までモヤが掛かったように見えていた空に浮かぶ目玉の周りには、ハッキリとした実態があった。


 怪獣だ。


 怪獣としか言いようがない。怪獣なんてものがこの世界に存在すれば自重で潰れるだろうとか、あんな巨大な生き物が誰に気付かれることもなく街中に現れることなんてあり得ないだろうとか、そういうくだらない疑問と共に都市を鎧袖一触するかのように、怪獣は目の前にあるビルをその腕で薙ぎ払った。


 崩れるビルの瓦礫が宙を舞う。

 そのまま瓦礫は雨となり、逃げ遅れた人々や他の建物や車を潰した。


 四の五のと考えている場合ではなかった。

 誠一は走った。

 あの怪獣がどこから来たとか、人々が呼んだのこととか、そうした細かいことはどうでも良いのだ。今は死に瀕している。余計なことを考えていたら命がないのだ、と。


 誠一は怪獣の居た方のとは反対方向に走り続けた。


 背後からは咆哮が聞こえる。ビルがガラガラと崩れていく轟音も、瓦礫が地面に落ちる衝撃も襲ってくる。逃げる先でもその瓦礫に潰された身体も、ぶち撒けられた内臓も転がる。


 さっきまで当たり前が溢れていた筈の街は、恐怖と悲鳴に支配されていた。


 ──そんな中でも。

 そんな中でも誠一は、思わず足を止めた。

 逃げ遅れた親と逸れたのか、それとも──。


 だから、四の五の考えている余裕はないのだ!


 考えるより先に、誠一は地面にへたり込んで泣き喚く、幼い子供を抱き上げた。


 どうする。余計な荷物を背負った。でも見捨てられない。どこに逃げたら。また他にもいたらどうする。


 頭の中は相変わらず困惑で満たされている。


「こっちだ!」


 逃げる誠一の耳に、大声で呼び掛ける声が聞こえた。

 見ると、地下鉄の入り口から誠一達のように逃げる人々を誘導している男が居た。

 その男の顔にどこかで見覚えのあるような気もしたが、やはりそんなことを考えている余裕はなく、誠一は先程抱きかかえた子供と一緒に男の誘導する地下に下りた。


 地下には逃げおおせた人々が、疲れ切った様子で固まっていた。


「誰か! この子の親を知りませんか!」


 誠一は抱きかかえた子供の親がいないか大声で叫んだ。誰もが誠一の方をちらりと見て項垂れるだけだったが、地下道中で呼び掛けるうちに、こちらへ走ってくる女性がいた。


「ママ!」


 誠一の助けた子供は叫んだ。誠一はホッとした。最悪の想像もしていたが、少なくともこの親子は助かったのだ。頭を下げて何度も感謝の言葉を告げる母親に子供を渡し、誠一は地下道の入り口まで戻った。


 怪獣の脅威からひとまず逃げられたことと、子供を親に返せたこととで一安心した誠一には、少しだけ余裕が戻ってきた。

 だから、先程気になっていたことを確かめにいこうと思ったのだった。


 逃げる人々の流れは気付けばおさまってきたようで、地下道に逃げる人々を誘導していた男の声も静かになっているようだったが、その男は変わらずに入り口で外を見ていた。


「ありがとうございました。おかげで助かりました」


 誠一はその男に声を掛けた。

 男は誠一を振り向くと「ああ」とだけ素っ気なく返事をして、また外を見始める。


 やはり誠一の見間違いではなかったようで、思わずその名前をつぶやいた。


「──紫尾田本部長?」


 誠一のつぶやく名前に男はぴくりと反応する。


「私を知っているのか? 何故?」


 再度振り向いたその男の顔はやはり。

 街が現実に怪獣に襲われる前に観た映画『大怪獣ジュラガカン』の作中登場人物、俳優木村薫が演じる特殊災害対策本部の紫尾田にそっくりだった。

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