蔵河島の荒神

 は慶長十九年。蔵河奉行所の西里守鉄貞にしさとのもりかねさだの記録。


 奉行の任を幕府より賜ったと言えば聞こえは良いが、一種の流刑だ。西里守家の先代、西里守貞光は百姓達と共に幕府への謀反を企て処刑された。当代老中の判断により、一族はこの離れ島へと送られた。


 蔵河島は隔離された場所であり、徳川家の威光も届かない。


 その代わり、古よりの神への信仰が色濃く残る。


 寿羅嘎冠ジュラガカン

 かつて宋から伝わったという、遼占経に記述のあるあやかしと同種の物と見られる。


 寿羅嘎冠とは、誰ともなく呼び始めた名であり、遼占経にも名が残されているわけではない。だが、この島のことをまだ何も知らなかった頃の鉄貞も、何故だが「それ以外に呼びようがない」と御殿を見たその時に自ずと寿羅嘎冠の名を呼んだ。


 千の顔を持ち、畏れを形にする物怪もののけ

 寿羅嘎冠への供物として年に一度、島の生娘が海に沈められる。


 その年、生贄に選ばれたのは美代。

 西里守鉄貞の懇意にしていた、島の村長むらおさの娘であった。鉄貞は村長に生贄を代えるように命じた。

 だが、寿羅嘎冠への供物に選ばれた者を勝手に代えることは出来ぬ、たとえ御奉行の命であろうと、己の命を奪われようと、美代は寿羅嘎冠に捧げられるのだ、と。


「しかし、外より来た鉄定殿に一つだけ」

「何だ」

「寿羅嘎冠はかつてはその御身を顕し、この島のみならず周囲の島々の人々をも喰らいし荒神あらぶるかみであったと聞きます。しかし、を鎮めたのが、蔵河島初代島長しまおさ紫尾田凱隆しおたがいりゅう。彼は宋の国より来りた大覚禅師より荒神を鎮める石を賜り、石は御殿に納められましたが、その石より切り出した神剣により寿羅嘎冠を封じ込めたと言い伝えられております。その神剣は今も島の海に沈められたまま残っているとも」


 村長も、その立場から口にすることは出来ずとも、娘を奪われることに抗いたかったのであろう。鉄貞はそう記録している。


 果たして鉄定は島の海を捜索を始めた。寿羅嘎冠を祀る御殿に奉納すべきであろう、と島の人々に命じたのだった。来る生贄の日が来る前に必ずや引き上げなければならぬ、と鉄定は急いだ。鉄貞は自ら捜索の指揮を取り、舟に乗った。

 だが、捜索隊が三日三晩探しても見つからず、業を煮やした鉄貞は島民達が立ち入らぬ危険域に舟を出した。島の周りには海流の溜まる渦潮があり、もしやその海域に剣があるやもしれぬ、と。


「御奉行、此処は危険です。これ以上先にはたとえ御命令であろうと立ち入れない」

 

「意気地無しどもめ」

 恐怖に震える船頭に鉄貞は吐き捨てた。

 だが、生贄の日は明日に迫っていた。美代を想う鉄貞は船頭の静止も聞かず、自ら小舟を漕ぎ渦潮のある海域まで向かった。

 そんな鉄貞に、語りかける声があった。


「我を欲するか」

「誰だ」

「貴殿の捜す神剣、還玄天津剣かんげんあまつのつるぎに宿りし霊である。再度問う。我を欲するか」


 鉄貞は答えた。


「貴様が居れば、お美代を助けられるやもしれぬ」

「我はこの渦の中心に在る。貴殿が望むのであれば、その身を渦に投げ出すが良い」

「それで貴様を手に出来るのだな?」

「然り」

「ならば俺は、言う通りにしよう」


 鉄貞は立ち上がり、服を脱いだ。

 その瞬間、鉄貞の頭に笑い声が響いたような気がした。


「──その心意気、見事」


 鉄貞は海に飛び込んだ。直ぐに鉄貞は渦に呑まれ、身動きが取れなくなる。だが、不思議と海の中は輝き、何処へ向かうべきなのか、身体をどう動かせば良いのか判った。


 そして、その晩。


 奉行が海に沈んだと聞き、捜索を打ち切った島民達は明日の生贄の準備を始めた。

 美代もその身を清める為と身体を隅々まで洗われ、白装束を着せられて神域である御殿近くの蔵に閉じ込めるように村長が涙を堪えながら島民に命じたその時──。


 島民達の前に、神剣、還玄天津剣を手にした西里守鉄貞が現れたのであった。

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