第10話

試験がたいそう簡単なことで有名な教授の授業をハルと一緒に受けていた日がある。

確か5コマ目の授業で開始が16時前後だったと記憶している。

出席を取らない授業かつテストも簡単だったため講義室にはほとんど学生がいない。

満室率6-70%ほどを基準に設定された空調はあまりに寒すぎた。


教授は一向に要領を得ない内容を話し続けている。

どうせ過去問からしか出題がなされないため、誰一人として教授の話す内容には耳を傾けていないように思われる。

最前列に座っている生徒も、あれはただ単に自分は大学という自由な場に来ても最前列で授業を聞く自律能力のある有能な学徒であるというロールを演じることで悦に浸っているだけではないか、という大学生にありがちな邪推をしながら時間を潰していた。暇である。


「もし仮に」ハルがいきなり呟いた。


「1ヶ月ごとに死が訪れるとしたらどうする?」

「1ヶ月ごと?うーん...すぐにすぐイメージはできないな」

「1ヶ月ごとに死ぬんだ。そこには完璧な無が訪れる。で、死んだ後その死の記憶だけを忘れて、その記憶だけが欠落した状態でまた生活が始まる」

「ということは、永遠に生きるのは生き続ける、ということ?」


僕が的を得ない質問をしたからだろうか、ハルは口元の角度を数十度上げるだけして"微笑"という表情を造った。


ハルは不規則にこの類の質問をしてくることがある。そして、大概僕はハルの望む回答を返すことができない。この表情を何度見ただろう。たった一つ歳が違うだけで、ここまでレベルが違うのだろうか。


ハルには確固とした死生観があるように思えた。大抵僕に質問をしてくる時は、僕の死生観を問うようなものであった。

僕には死生観などといったものはなかった。死について、同時に生についてそんなに深く考えたことも、深く考えるようなきっかけもなかった。具体的な生も、具体的な死もイメージができなかった。


中学生の頃、僕の恩師が死んだ。葬儀の時は自然と涙がこぼれた。

喪服に身を包んだ大人たちが、みなめいめいに悲しみに暮れていた。


悲しさはあった。だが、”死んだら悲しむ”というコードに従い、

パブロフの犬のように僕の涙腺から塩分やミネラルを含んだ少量の液体が重力に従って頬を通過しただけのようにも思えた。


そこから10年ほど経った今も、それほどはっきりとした死生観など持ち合わせていない。持ち合わせられていない。


もし生と死が海の中に内包されていたら。

これまでの僕の人生はいろいろな流れるプールの中で泳いで来たような気持ちになる。いろいろな速さのプールがある。いろいろな深さのプールがある。いろいろな分岐を持ったプールがある。いろいろな人がいろいろなプールにいる。


僕が知覚できていないだけで、水分の構成内容も違うのかもしれない。魚を流しているプールもあるのかもしれない。温水を流しているところもきっとあるんだろう。


そんな中で僕はただ速く流れ、水から上がり表彰台に乗るというレーンを選んだ。選んでしまった。

いろいろなプールがあったのに、そして近くには海もあったのに。


ハルは沖から僕に話しかけている、のかもしれない。

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