第8話

ハルとは大学時代からの付き合いだ。西洋美術専攻で大学院まで行っているだけあって、装飾品/インテリアに少々口うるさいが、その他のことに関してはおおらかなのが彼の特徴だ。


彼は基本的にアースカラーの家具をよく扱う。


都会の特徴を平均したところと、田舎の特徴を平均したところのちょうど間くらいに位置する郊外にて、奥さんと一緒にインテリア販売とカフェスペースが併設された店舗を経営している。


「お金がないってのは苦しいけど、いいもんだね」

5年ほど勤めた会社を辞めて独立したての頃、ハルは彼のお店のカフェスペースで僕と話すとき、いつもそう言っていた。


「昔の偉い人が"富は海水だ"なんてうまい比喩表現をしてたけどホントそう思うな。本当はもう必要ないのに、飲めば飲むほど喉が乾く」

「今は天日にさらして塩抜きをして真水にしてから飲んでいる、と」

「その通り。喉の渇きは完全には癒えないけど、それ以上変に乾いたりもしない」

「なるほど。彼は昔から現代消費社会の到来に警鐘を鳴らしてたんだね」


彼は大学院卒業後、大手全国チェーンの家具販売店に入社した。僕はてっきり小規模でも彼の趣味に合う会社に行くものだと思っていたのだが「今の興味だけで可能性を狭めたくない」との理由でその会社に入社を決めたらしい。


彼の持って生まれたセンスや、ただ話しているだけで相手に自然なエネルギーを分け与えられる性質も相まり、トントン拍子で出世していった。ヒラから副店長になり店長になり、そして辞める前には4店舗を統括するエリアマネージャーになっていた。


彼はどれだけ役職と給料が上がっても、瓶ビールが500円を越える店で食事をしようとしなかった。庶民の生活を忘れないようにしたい、といった新社会人にありがちな資本主義社会適合レースの擬似最適解を取ろうとしたわけではなく、ただ酒を飲むときに気取りたくないだけだった。


彼が退職する直前に2人で焼き鳥を食べに行った。店先に赤提灯をデカデカと掲げるカウンターしかない店で、彼は390円の瓶ビールを僕は角ハイボールを注文した。いつものように初手で焼15本盛りと刺盛りと枝豆を頼んでいる時は飄々としているように見えた彼だったが、瓶ビールの空き瓶が5本ほど目の前に並ぶくらいに酒が進んだ時「もう家具を売ってる感覚が無くなってしまったよ」ぼそっとそう呟いた。その2日後に彼は会社を辞めた。





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