第5話
関門橋が見える。距離感がブレる。
ものすごく近くから見ているような気もすれば、とても遠くから見ているような気にもなる。遠近感が揺らいでいる。
関門橋は本州と九州とを繋ぐ道路橋で、瀬戸大橋の次に僕が好きな橋だ。
関門橋を渡る前のサービスエリアでは橋を下から眺めることができる。
橋の上を渡っている時には見ることができない、大橋を下支えする建築技術を
文字通りキラキラと輝く海面の上に見てとることができる。
僕は本州から九州へ向けて、関門橋を車で渡るのが好きだ。
たった1kmほどの、たった数十秒の移動をするだけなのに
全く別の土地に降り立ったような錯覚を覚えることができるからだ。
そしてそれは錯覚ではなく、事実全く別な土地に降り立つ行為である。
僕は生きる意味を見失い始めていた。
新卒時代に比べ驚くほど仕事に対しての熱量を失い
食指の動かない無味乾燥な作業を惰性でこなし
初任給の数倍の報酬を得るようになった。
ある日ATMで20万円ほど引き落とした時、吐き気がした。
なんだろう、この不純な物は。
憮然とした表情で遠くを見つめる福沢諭吉がプリントされた
ザラザラとした手触りの紙の束に重みが感じられなくなっていた。
そのうちの1枚を無造作に募金箱へ入れる。
店員が少し驚いた顔を浮かべる。
虚無の権化のようなもので、誰かに食事が提供できるのなら少しは気が晴れる。
物理的であれ、デジタルであれ、ただの記号を介してのみのやりとりに僕は辟易していた。
IT技術は世の中を驚くほど便利に変えた。家で人差し指をスススっと動かすだけで、日用品から娯楽品まで次の日には家に配達される。人工知能にボソッとつぶやけば、空調が程よく設定され、衣類が洗濯される。わざわざ自分で探しに行かなくても、機械の方から勝手に「あなたへのおすすめはこれですよ!」と喧伝してくれる。そして、例のウィルス蔓延の影響でリモートワークが本格的に普及し、オフィスに出社する必要もなくなった。
分断が加速した。
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