第4話

文章を書くことについて。

僕がまだ会社員だった頃、あるいは自営業者だった頃、文章を書くのはとても簡単な行為だと思っていた。それは文章が持つ性質のほんの一部の機能を、文章そのものの本質だと勘違いしていたからだ。


日々感じていることや思っていることは、基本的に全て言語に置き換えることが可能であり、少し頭を使えば、大体どんなものでも相手に伝達ができると思っていた。若さゆえの全能感が僕の文章には満ち溢れており、今読むとかなり恥ずかしい。


今の僕は、文章を書くのがかなり大変な作業だと感じている。すでに社会の中で評価が固定されている対象を、伝達したい内容によって適宜アレンジし、体裁を整えて相手に差し出す、というビジネスライクな文章以外の文章があることに、ようやく気づいたからだ。


自分の中で分裂しゆく何かが存在している。今日それを捉えられたかと思うと、明日はその何かは言語の枠をヌルッと潜り抜け、また違う場所に行っている。これまで堅牢に感じられていた、万能の道具のように思えた言語は意外と脆弱で、たった一日の間に同一の生物を捕獲しておくことすらできなくなった。


論理は破綻し、一貫性など存在せず、アメーバのような進行具合で物語が進んでゆく。


このようにして文章と接するようになってから、極端に疲れやすくなった。物覚えが悪くなり、これまで簡単に捌けていた雑務に余分に時間がかかるようになり、誰かと話していても思うような言葉が出てこなくなった。まるで故障で数ヶ月リハビリを余儀なくされたスポーツ選手が復帰したての時に感じる体の違和のようなものがあった。


社会への高度適応を設計思想にこれまで作り上げてきた言語処理システムが音を立てて崩れ落ちてゆくのを感じる。その処理システムを破壊しているのは、実態の見えない、意志を持っているのかもわからない、得体のしれない生命体。

僕がもしエンジニアだったら、発狂するような大規模なシステム刷新。それも"得体のしれないものの捕捉"という名目の元作られるシステムへの、だ。


この文章は一応少し前に始まり、おそらくは終わる。だがその始終はあくまでこの小説のようなものの物理的な始終であり、この小説そのものに始終があるのかはわからない。教訓もおそらく、ない。


あくまで、システムが破壊され、次のシステムが設計/開発される間隙を断片的に表しただけのものだ。




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