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 人形劇の評判は上々だった。プラハ市内だけでなく、地方にまで噂は広まった。

 招待客のほとんどはボヘミア中から呼んだ同業者で、誰もが衝撃を受けて帰っていった。操り人形マリオネットという前提を、破壊されたのだ。いつもの伝統的な人形劇を愛するものも多いだろう。顔をしかめて帰った客もいた。しかし、新しいもの、奇抜なもの、刺激的なものを求める観客は常にいる。このままではからくり座にすべて持っていかれてしまうという、危機意識を彼らに与えることにもからくり座は成功したのだ。

 人形劇を生業にしていても自動人形オートマタについての知識はまちまちだったが、これからでもフランスやスイスに足を運べば、情報を得ることもじっさいに動く人形にも触れることもできるだろう。田舎に留まって動かないものはむしろ少数派だ。からくり座と同じ路線を目指す劇団も、現れるに違いない。一方で、自動人形の職人の中にも、人形劇向けの製作に乗り出してくるものがいるだろう。

 そこまではヤンもトマーシュも了解していて、もちろん、勝算はあった。何といってもボヘミア一番の自動人形の工房は、からくり座が押さえているのだ。他の人形職人たちも、最初の売り込み先は自分たちになる。優れた人形が出てきたら、買い取ればいい。

 けっきょく、後追いの劇団が出てくるのは何ヶ月も先、もしくは一年以上先になるだろう。その間に、からくり座は先へ進んでいく。類似の人形劇があればあるだけ興味を持つ客も増える。ぜんぶ攫っていけばいい。

 たしかに初演は拍手喝采だった。だが、実のところヤンもトマーシュも満足していなかった。もっともっと、刺激が欲しかった。未来に自信はあった。

 トマーシュは劇の演出を少しづつ改良していった。主役の二体以外にも、動けるのが五体いる。初演では人形の信頼性も振り付けも間に合わなかったので普通の人形として使っていたが、この人形たちを動かすのが、彼の当面の目標だ。

 同時に、ココンとクリードラが自律して踊る場面をより洗練させ、動きを複雑かつなめらかにしていく。ほかの仕事の合間に必ず毎晩時間をとって、自ら踊って二体に学習させていく。

 修理屋は、二週に一度の割合でプラハに来ていた。来るたびに、人形に負担をかけるトマーシュを非難し、隅々まで手入れをし、小さな黒い箱に細いケーブルで繋ぎ、記録を複製して帰っていく。その頻度は十日に一度になり、週に一度になり、やがてプラハに部屋を借りた。毎日、昼から夜までからくり座で人形の相手だ。余裕ができると、夜は路上でギターを弾いているようだ。ジョルジュとの連絡は、郵便に頼った。それでも時々呼び出されて、帰っていく。人形の部品などの貴重な品を受け取るためだ。

 そうして修理屋が不在で、上演も休みの夜、テントの奥で、久しぶりにトマーシュはヤンと二人きりだった。新作の台本を、ヤンは書き上げていた。

「へえ、続きじゃないんですね」

「そりゃ、まだまだ先だ。あれの続きを上演して完結したら、お客はそれで満足して終わりだよ」

 新作は、一転して明るい喜劇だった。人形が街中を賑やかに歩き回り、ココンが壁に花の絵を描きながら舞台を右へ左へ、周りではほかの人形が踊って花びらが舞う。クリードラも、ほかの五体の自動人形も音楽に合わせて勝手に踊る指示が書かれている。

「難易度、高いすぎますよ」

「今の劇で、ほかの五体もいけるようになるんだろ」

「動きますが、本番にはまだまだです。ココンやクリードラと一緒に踊ったら、差は歴然ですよ。あの子たちに比べたら、ただ立っているだけと言ってもいい。安心して動かせる時間も短い。ジョルジュの人形に勝てるのはいませんよ」

「そこは、演出で差が目立たないように考えてくれ」

「絵を描くってのも、美術のやつが毎回めんどうだって言いそうですね。背景の仕掛けを作らないと」

「仕掛けはいらんよ。壁に毎回張り替える紙は何枚もいるけどな。花の絵は、ココンが描く」

「はあ」

「修理屋はジョルジュのところだろ。手紙が届いた、頼んでたものができたようだ。明日あたり帰ってくるから忙しくなるぞ」

 翌日、ヤンが出かけている間に、修理屋が戻ってきた。大きな鞄いっぱいに土産物を詰めていた。主にはココンとクリードラの身体の部品だ。四肢の傷んでいるところを交換して、動きを調整する。トマーシュの見ている前で、みるみる二体とも元気になっていく。

 さらに、髪の毛を外して頭蓋の後ろのふたを取り、空洞の中に、持ち帰ってきた小さな部材を嵌め込んだ。

「なんです?」

「絵が描けるようになります。座長の依頼どおりに」

「座長の発想もおかしいが、応えてみせようとするジョルジュさんも相当おかしい」

「要求以上を返して見せるのが、職人のこだわりなんで」

 首の後ろのスイッチに触れる。床にココンをそっと立たせる。自立したまま倒れない。ココンの手に合わせて作ってきた、フェルトペンを握らせる。木の板を二枚立てる。左の一枚に、猫の絵を貼り、右に白紙の紙を貼る。

 ココンはそれを見て、ゆっくりと歩いて右の白紙の紙の前へと歩いた。

 目も何もない頭部を左へ動かし、また正面の白紙に戻し、また左へ動かし、正面へ戻す。繰り返し頭を動かすが、手は動かなかった。五度、首を振って、ようやく手を動かした。だが、紙の上にてきとうな丸を大きく描いただけだ。首振りがつづき、だんだん速くなる。

 いけねえ忘れてたと言って、修理屋は慌てて左右に頭を振り続けるココンを抱き上げ、動きを止めた。そのまま床に仰向けに寝かせておいて、鞄の中をかきまわし小さな長方形の箱を取り出した。手のひらに乗るサイズのそれを開けると、人形サイズの眼鏡が入っていた。黒ぶちの丸眼鏡だ。それをココンの顔にのせ、両耳にかかるつるで固定する。

「これで、ちゃんと見えるようになります。メガネが捉えた光景を、つるから直接頭の中に送り込むんで、目がなくても大丈夫」

 ココンは相手との距離感の測定や周囲の空間の把握は、目がある人形よりも正確にできますが、色彩やこまかな模様は見えないのでね、そう説明しながら修理屋はもう一度ココンを立たせた。

 今度は、すぐに手を動かし始めた。フェルトペンを握った右手を大きく動かして、輪郭を描いていく。

「うーん、たぶん猫なんだろうね」

 トマーシュはこれをどう評価すべきか分からなかった。描かれた絵は、客観的に見て、要するに幼児の画力による動物らしき何かだった。子供と思えばこんなものだし、そもそも、ココンは人形なのだ。とは言え人形劇で披露できるものかというのは別の話だ。

 そこへ、ヤンが女優を伴って帰ってきた。何を悩ましい面をしているのかと問われて、トマーシュは現状を伝えた。

「はじめから、悩まんでもいいだろ。この子もクリードラも学習するって言ってたよな。踊りが向上するんだ。絵なんか舞台の上で毎日描いてれば上達しないか」

「せっかくだから、他にも描いたのを見たいな。修理屋さん、まだこの子に描いてもらえる?」

「せっかくですから、似顔絵を」

 調子よく、修理屋は請け負った。眼鏡のココンに何を描くのか――女優のほうを向かせて――指示して、紙を貼り替える。五分後、なんとなく顔と黒髪と体がわかるような絵ができあがった。ぐしゃぐしゃと塗られた黒髪が長く伸びて、顔らしき丸の中に、大きな目と口がある。

「あら、目元がそっくりだと思わない?」

「むしろなんでも食べそうな口が似てると思うな」

「失礼ねえ。美味しいものしか食べないわ」

 ヤンからココンへ向き直って話しかける。

「ありがとう、うちに飾っておきましょう」


 新作の上演がはじまった。人形たちをギクシャクと動かす操演は笑いにつつまれ、子供たちに大人気だった。糸を切っても動ける人形が増えて、客席の興奮も増した。

 ココンとクリードラ以外の人形も、自ら動くことで注目を浴び、名前を覚えてもらうようになった。他の人形たちが自律して踊る中で、眼鏡を掛けたココンの、最初のシリアスな人形劇とは違う可愛らしさは、意外性もあってあらためて人気が上がった。何といっても、クライマックスで突然絵を描き出す場面は、踊りとはまた異なる意外性で、話題になった。

 上演のたびにココンが描くクリードラの似顔絵は、まるで似ていなかったが、どこか特徴を掴んでいるようにも見えた。

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