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金のやりくりに苦心しながらも、ヤンとトマーシュの計画は着実に進められた。他の劇団員によって、従来の人形劇の興行を続けさせながら、二人は新しい人形劇の計画に集中していた。
ヤンは台本を書きながら、人形の調達も続けていた。ココンとクリードラの二体だけでは足りない。国内外で、密かに広まりつつあった自動人形の技術をヤンは追い求めたが、ジョルジュの工房に並ぶものはやはり皆無だった。それでも動けそうなものと、
その間、トマーシュは座長の書いた台本を元に、演出を練る。いつものマリオネットを操るだけなら劇団員も慣れたものだが、今回は勝手が異なる。しかも二十一体もの人形を出すと言い張る。すべての人形が同時に舞台に上がる場面などあったら、舞台上も、裏方も大混乱だ。一人の操り手に、何体の人形を任せることにすれば良いのだろうか。
ヤンが調達してきた人形はそれぞれの個性に合わせた衣装を着ていたが、芝居の役割に合わせて、新たな衣装を作らせた。トマーシュの演出意図に沿って作らせるのだから、お針子たちに頼むのも彼の仕事だ。
声は女の声にしろとヤンが厳命する。いつものように男の操り手が女の人形の声を演じるのはだめだ、とこだわる。伝統を疑え。それならと、旅芸人の仲間のつてで、ココンとクリードラの声を演じられそうな女を二人紹介してもらった。台本を渡したが字が読めないというので、トマーシュは自ら通しで語った。セリフを頭に叩き込んだ二人は、ココンとクリードラにぴったりの声音で演じてみせた。人形の操演と声の演技の息が合えば、なかなか客に響く人形劇になりそうだと思う。準備を進めながら、トマーシュは新作の成功に自信を持つようになってきた。
劇場も新しく作った。場所はヴァーツラフ広場だ。
名づけられたばかりのそこは、広場というよりは幅の広い大通りといった方が適切な場所である。からくり座はその一角に残っていた空き地にテントを張り、自前の劇場とした。
宣伝は重要だ。印刷したポスターを無許可で貼って周り、市民の間に噂を流した。旧市街も新市街も、勝手に貼ってまわった。墓地こそ避けたが、カトリックの教会にも、ユダヤ教のシナゴーグにも、遠慮せず塀一面に貼った。非難も話題作りのうちだ。ヴルタヴァ川の対岸の城のある丘は避けたが、カレル橋の聖人の像の足下にも貼った。ポスターにはココンの姿が大きく印刷されていた。顔のない少女人形。あとは、開演日時と場所と〈からくり座〉の文字だけが書かれたシンプルなデザインだ。何があるのか具体的なことは分からない。
以前から、ヤンの芝居を愛好するものは少なくない。多くの人形劇が、モーツァルトのオペラの人形向けの翻案やボヘミアの民話を題材にしている中で、ヤンは自ら書いた、曰く現代にふさわしい新作にこだわっていたからだ。みな、正体不明の新作に期待を膨らませていた。
開演時刻は、いよいよ一時間後に迫った。
「いいですか。繰り返しますけど、この子——ココンの動作を保証できるのは三分ですぜ。あんたの振り付けなら絶対に厳守だ。親方も、この子はまだまだ故障が多いって心配しているんです。お金をいただいて売った商品ですけど、愛情を一番注いでた人形だ。壊さないでくださいよ」
テントの裏手で、トマーシュに念を押すように言い聞かせているのは、旅芸人風の身なりのジョルジュの助手、修理屋である。ココンもクリードラも精密機械であり、その手入れができるのはジョルジュかこの男しかいない。定期的にプラハに来てもらうことになったが、トマーシュには、彼が自分を見る目つきは、顧客に対するものというよりは仇を見る目のように感じられた。あまり、無理な動きをさせるなということらしい。
「分かっていますよ。ジョルジュさんだって、座長のプランは聞いているんです。それで大丈夫だって判断して売ってくださったんですから。それより、あなたも楽しんでいってください。あの子たちの晴れ舞台ですから」
そこに、ヤンが入ってきた。細身の修理屋とトマーシュが二人で占めていた空間を、一人で占有する。
「トム、テントの外は行列ができてるぞ。前宣伝は、大成功だ」
「そいつはありがたい。テントの中には入れそうですか」
「詰めれば百人、溢れさせれば百五十人、なんとかなるだろ」
座長のような体格の客ばかりでないことを、トマーシュは祈った。
「わたしの席はありますよね。師匠から、絶対に自分の眼で見てから帰ってこいって」
「もちろんです。小さなテントですが、貴賓席だって用意してありますよ」
修理屋は、貴賓席と称された、一段高い位置に設えられている後方の席に案内された。べつだん椅子が豪華だったりするわけではないが、人形も操演者もよく見えそうだ。他の席にもすでに男たちが腰かけている。旅芸人や職人や興行師といった風情で、自分やジョルジュやヤンたちと同じ匂いのする男たちだ。人形劇団や人形工房の、同業者を招待しているのだろう。残り二席のひとつに座ってしばらくすると、開演直前に隣の席にヤンに案内されて最後の客が来た。ヤンがめずらしく頭を下げた対応をしている。直前で慌ただしいのか、修理屋とは顔をあわせることもなく戻っていった。
華やかな、美女だった。長い巻き毛の黒髪を背中に垂らし、オペラの観劇にでも来たようにめかしこんでいる。場違いな香水の匂いが、修理屋の鼻を刺激した。
「こんばんは。ヤンのお友だちかしら」女のほうから、声を掛けてきた。
「へい、あっしは……いや、わたしは友人というのではなく、人形工房のものなのです。主役の人形を作ったのはうちの師匠で、田舎に引っ込んでいるものですから、わたしが人形のようすを見に来たしだいで」
「あら、あの顔のない子の。ポスターの絵、不思議な魅力があったわ」
「もう一体、短い金髪の子も師匠の作品で」
「楽しみだわ。それでは貴方が、わたしの投資の成否を背負ってらっしゃるのね」
「いや、わたしは何も……投資といいますと」
「ヤンに、出資したのよ。今回の人形劇には、だいぶお金がかかるからって無心してきたのよね」
「それで金を。失礼ですが、金貸しを商売にされているので」
「パトロンとか投資家とか、ほかにも言い方があるでしょう。まあ、ヤンの人形劇のファンってだけよ。本業はこれでも女優よ」
照明が落とされた。暗闇の中、客席のざわめきが引いた。二人の会話も打ち切られた。
からくり座の、新作公演が始まった。
人間の芝居と違って、舞台は狭い、大男が両手を広げたくらいの幅。その上を、二フット前後の大きさの人形が動きまわる。操り糸で四肢をあやつる操演者は照明のあたる舞台のすぐ上にいて、手や顔は客席からも見えている。舞台の上と異なり暗いが、表情も分かる。百人あまりの客が、新しい刺激を期待して、息をひそめて待っていた。
筋書きはシンプルだ。孤独な人形が少女と出会い、やがて別れる物語だ。
顔のない少女が、都会で孤独に生きている。主役の人形は、もちろんココンだ。鍔広の帽子を被り、ブーツにズボン。服装は男の子の格好だ。街の中には、王族も貴族も労働者も軍人もいて、同じ歌を唄いながら舞台を右に左に歩き回っているが、誰も、ココンに声を掛けない。
皆がこの街で自分の役目を持って生きている。
「あなたは誰ですか。私は王女、私は伯爵令嬢、俺は労働者、俺は軍人、
俺は風来坊の旅芸人、わたしは歌姫、ボクは学校で勉強している子供」
「あなたは誰ですか?」
舞台の中央で、他の人形の動きを右に左に追いながら立ち尽くしている。
スポットライトの真下で、ココンだけが無言だ。
暗い路地に迷い込んだココンは、初めて声を掛けられる。ボヘミアの伝統的な服を着た少女の人形だ。人形の脛まで隠す長いスカートに袖の短いブラウス。白いエプロンとブラウスの襟に刺繍がふんだんに使われてかわいらしい。茶色の目に暗い金髪の丸顔の少女の人形。クリードラだ。
ココンとクリードラは仲良くなり、明るくなった舞台の中央で、手を取り合うように踊る。二体はまだ、あくまで操り糸につながれた人形だ。
ココンはトマーシュが自ら操演し、ここで初めて、生き生きと動きまわるようになる。クリードラを操るのはからくり座のベテランで、年下のトマーシュを補佐してきた男だ。人形の動きで生き生きと感情を伝える二人が、ヤンの台本に生命を与えてきた。
からくり座を以前から知る常連客ならば、人形を操るトマーシュの顔は見知っている。普通の人形劇は、操演者が人形の声もあてるのがボヘミア流だ。彼が歌も上手いこと、男の役も女の役も、テノールでこなすことを知っている。
けれど今日は、ココンの声もクリードラの声も、女の声だった。舞台の両端にいるココン役とクリードラ役の女優が台詞の掛け合いから、歌い出す。
「ココン、一緒に坂道を登っていく?」
「坂を登るなんて簡単で、角を曲がるなんてもっと簡単。
坂があれば登るし、角があれば曲がる。
坂がなくても登るには、どうすればいいと思う?」
「空を飛べばいいと思う、鳥のように。私は自由、翼あるもの。
どこへでもいける! ココンも一緒に飛ぼう!」
「鳥って何? 見たことない!
ああ、そういえば私は空を見上げたことも無かった」
二体の人形が、が明るいスポットライトを浴びて舞い踊る。いつもの人形使いによる演技と、聴きなれない歌声と、そして新たな人形。客席からの喝采の声と拍手が、ココンとクリードラを包む。
踊っていると、ようやくココンの存在を認めた街の人々が取り囲み、ココンに問うて来た。
「あなたは誰ですか。私は王女、私は伯爵令嬢、俺は労働者、俺は軍人、
俺は風来坊の旅芸人、わたしは歌姫、ボクは学校で勉強している子供」
「あなたは誰ですか?」
顔のないココンは答えられない。照明が落ち、舞台は暗闇に包まれる。あなたは誰ですか。暗闇の中に、ココンの叫びが響く。
クリードラと離れて、黄昏時の赤い照明の中を独りでいるココンに、ギョロリとした目をむき出した仮面を着け黒いフードを被った人形が近づいてくる。錬金術師だ。プラハの街には今も錬金術師は多い。胸元の大きな首飾りや両手の指にいくつも嵌めた指輪の大きさから、位の高い錬金術師の役であるとわかる。
「私がお前の顔を作ってやろう」
「本当ですか」
「この街一番、つまり世界で一番の錬金術師の言うことに嘘はない。
私に任せれば、お前にも皆と同じ幸せが手に入るのじゃ。
顔を作るために必要なものがある、それを持ってきなさい」
「何が必要なんですか」
「あの娘の——クリードラの心臓じゃ」
暗転。そして昼の街に戻る。
ココンとクリードラは、街の人々が来ない場所を選んで再会する。クリードラは、ココンに顔がないことなんか気にせず、今までどおりに優しく接してくる。しかしココンは錬金術師の言いつけを気に病んで、明るく応じることができない。
別れて独りで悩んでいると、錬金術師の声が追ってくる。翌日もまたクリードラと会って、また独りで悩み、声に追われる。そして、ついに痺れを切らせた錬金術師にけしかけられた人たちに、ココンとクリードラは取り囲まれてしまう。
人形たちが一斉に叫ぶ。
「あなたは誰ですか?」
「お前の顔を作ってやろう。その娘の心臓を寄越せ!」
杖や、剣や、斧を持った人形が襲いかかり、ココンとクリードラは倒れてしまう。錬金術師の声が響く。
「娘の心臓はいただいたぞ! さらばだ!」
観客が息を詰めて展開を見守り、子供の泣き声が響く。
トマーシュは、倒れた勢いでココンとクリードラの操り糸がはずれたことを確認した。二体の首の後ろのスイッチにも操り糸を引っ掛けてあったが、それも引っ張られて、スイッチが入る。
静止している、街の住人の人形と観客に囲まれて、舞台の中央に倒れていたココンが自分の力でゆっくりと起き上がった。操り糸が無いことに気付いた客席がどよめき、悲鳴も上がる。
ココンは心臓を失ったクリードラを起こそうとする。クリードラもまた、自力で起き上がってきた。舞台の上では二体だけが動く。他の人形は操演者が上からしっかりと停止した姿勢を維持させている。その人形の合間を縫って、二体は舞台の端から端まで使って踊る。役者の声が響く。
「錬金術師のくれる顔なんかより、君の命が大切だったのに。
ぼくは戦おう。君のために、ぼくのために。錬金術師を追いかけよう」
ココンは直線的に、力強い意思を込めて歩く。ココンに近づいたり離れたり、他の人形の間をくるくると回るようにクリードラが踊る。長いスカートがふわりと広がり、まるで人間のバレリーナのようだ。
「ココン、待ってる。心臓を取り返して来て。
そして、わたしを冥界まで追いかけて来て」
クリードラは力尽きて倒れてしまった。
そこに駆け寄ろうとして、ココンは跳躍した。両足が床を離れ、クリードラの方へ近寄ったのだ。
客席は、何が起きたのか分からず、静まり返る。糸で操られてもいないのに、人形が、自分で跳んだ。皆、無言で舞台を見つめる。
ココンの絶叫が響く。
クリードラの元へ駆け寄ったココンは、感情を爆発させたような演技で、腕をぐるぐると回し、飛び跳ね、両手に顔を埋める。真っ白な顔面、目も口もない人形の顔には表情はないが、その感情を観客は皆、受けとめた。
そのまま舞台に幕がかかり、劇は終わりを告げた。ぎゅうぎゅう詰めの客席は拍手喝采で、歓声がいつまでも続き、止まなかった。
ココンとクリードラが起き上がってから終幕まで、三分をわずかにすぎていた。
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