第17話 ゲームバランス崩れてない? 1

【登場人物】

野咲のざきあずき……十二歳。小学六年生。日本と英国のハーフ。

おはぎ……黒猫。あずきの飼い猫。

サマンサ……月兎族ルナリアンの女性。初心者の館の管理人。



 あずきは箒で飛びながら、左腕で顔をかばった。

 風が痛くて目が開けていられない。

 これでは進めない。

 

 箒で飛ぶって素敵! などという興奮は十分で困惑に変わった。

 車並みのスピードで飛べば確かに距離は稼げるが、今の状態でこれを長時間続けるのは無理だ。


 バイクに乗っている人がヘルメットを被っているわけが、あずきにもようやく分かった。

 とはいえ自転車レベルにまで速度を落とすと、夏休みが終わっても目的地、月宮殿げっきゅうでんに辿り着けない気がする。

 

 おはぎも風が辛いのか、の先端で体を丸めて風よけをしている。

 考えて、あずきは一つ策を試してみることにした。

 箒で飛びながら、右手に持った杖を前に向ける。


「ベントゥス(風よ)!」


 必要なのはイメージだとサマンサは言っていた。

 箒に伝えている風の推進力とは別に、同時進行で別の流れを作ってみたらどうだろう。

 

 箒に乗ると同時にお尻の下に空気の椅子を作った。

 それをもう一個作って、目の前に置いたら?


 ――でも真っ平じゃダメ。強風に向かって傘を広げたら進めないもの。速度が格段に落ちるだけ。


「アーエール パリエース(空気の壁)!」


 空気の壁が箒の直前に出現する。

 と同時に意識を集中し、ギリギリあずきたちが入る形に壁を鋭角にする。

 新幹線の先端を想像し、空気抵抗を減らす。


 ――薄く、薄く。メインは箒のコントロールに。息切れを防ぐ為にも、壁は薄くていい。


「およ? 風が痛くない?」


 気付いたおはぎが箒の上で振り返る。


「やるじゃん」


 おはぎがあずきに向かってニヤっと笑う。

 あずきもおはぎに向かってニヤっと笑った。


 ◇◆◇◆◇


 一時間ほど荒野を飛んで川を見つけたあずきは、休憩を取るべくゆっくり高度を下げた。

 川幅は三十メートルはあるだろうか。

 流れは緩やかで、足でも付けたら気持ちよさそうだ。

 

 あずきは川べりにあった、てっぺんが平らな大きな岩に降りた。

 二メートルの高さから川を見下ろせる絶景ポイントだ。


 岩に座ったあずきは、リュックから小瓶を数個と金属製のマグカップを取り出すと、小瓶から出した粉を少量入れた。


「アクア(水よ)!」


 あずきの呪文で川の水が空中にフヨフヨと浮く。

 続けてイメージする。


「アグニ(火よ)!」


 空中に浮いた水球が一瞬で煮沸しゃふつされる。

 あずきは水球の中の水が充分に沸騰ふっとうしたのを確認すると、今度は杖を細かく動かした。

 熱量が変化し、飲める熱さに変わる。


 複合魔法が上手くいって嬉しいのか、あずきは満足げな顔で再び杖を動かすと、水球の湯をマグに注ぎ込んだ。

 途端にいい匂いが漂ってくる。


 あずきはそっとマグに口を付けた。

 ほどほどに冷め、でも充分に熱く、ほんのり甘い。

 サマンサが月のポピュラーなお茶だと言って持たせてくれたもので、疲れが取れる気がする。


「ボクのは?」


 おはぎがあずきを見上げて言う。

 だが、ミルクはさすがに空気から作り出せない。

 あずきはサマンサに持たされた革袋で出来たミルク入りの水筒を取り出し、おはぎ用の小皿に注いだ


 あずきとおはぎは、しばし岩の上でまったりした。

 川風が気持ちいい。

 

 思わずウトウトしかけたとき、地面の揺れに気付いた。

 揺れがだんだん大きくなってくる。


「地震?」


 警戒して立ちあがったあずきとおはぎは、周囲に油断無く気を配り、気付いた。

 対岸の木々が揺れていないことに。

 揺れは自分の直下だ。


 次の瞬間、大きな揺れが来て、あずきは思わず岩から転がり落ちた。

 広げていたティーセットがそこらじゅうに散らばる。

 頭はかばったのでケガはしなかったが、二メートルの高さから受け身も取れず落ちた影響で身体が痛い。


 痛みをこらえて起き上がったあずきは、信じられないものを見た。

 まさにあずきが休憩場所としていた岩が動いている。

 周囲を崩しながら埋まっていた部分が露出していく。


 ――あれはまさか、手? あっちは足?

 

 起き上がったそれは、身長五メートルはありそうな石の巨像、俗に言うゴーレムだった。


 身体が埋まっていたので、着陸したときは気付かなかったのだ。

 よりによってあずきは、仰向あおむけ、大の字になっていたゴーレムのお腹の上でのんきにお茶をしていたのだ。


 あずきの身長は百四十センチ。

 五メートルの高さから見下ろされるなど初めての経験だ。

 

 あずきは恐怖に震える顔でゴーレムを見た。

 手のひらの広さなど、五十センチを優に超えているだろう。

 あんなもので叩かれたら大ケガでは済まない。

 まして、握られでもしたら。


 想像し、あずきは身がすくんだ。

 早く離れなくちゃいけない。

 でも恐怖で足がガクガク震えて動けない。

 すかさずゴーレムの平手がうなりをあげて飛んできた。

 

 ――わたし、死ぬ?


 その瞬間。

 あずきの視界が真っ白になり、音が消えた。

 

 あずきの視覚と聴覚が死んでいたのは、せいぜい一分といったところだ。

 川風によって白煙が晴れてくるのと同時に、川の流れる音が戻ってくる。


「ベントゥス(風よ)!」


 正気に戻ったあずきは慌てて箒に飛び乗ると、十メートルほどゴーレムから距離を取って目を凝らした。


 ゴーレムは原形をとどめず、粉々になっていた。

 飛び散ったいくつかの石片が、黒く焼け焦げている。

 偶然、目の前に雷が落ちたのだ。


 ――でも、雷? 空、晴れてるよね?


 あずきとゴーレムとの距離は、三メートルと離れていなかったろう。

 そんな至近距離に雷が落ちたのだ。短時間とはいえ、あずきの視覚と聴覚が死ぬのも無理は無い。


「……動かなくなったよ?」


 緊張した面持ちであずきの肩に乗っていたおはぎが言う。

 あずきはそっと箒から降りると、用心しつつゴーレムの破片に近寄った。

 破片に触ってみると、薄っすら魔力を感じる。


 攻撃の意思。

 ゴーレムの、では無い。ゴーレムに対する、だ。

 

 ――誰かが助けてくれた?


「ディプレーンショ(探知)!」


 あずきは周囲に油断なく気を配った。

 探知範囲を広げたが、引っ掛かったのは対岸の森にいる鳥や小動物くらいだった。

 人間の気配は全く感じない。

 誰かが助けてくれたのだとしても、既にその者はこの場を去っているようだ。

 警戒しつつ、あずきは急いで散らばったティーセットを拾い集めた。


 その時、あずきの視界の隅に、あおく光る物体が入った。

 不思議に思い近付くと、まさにゴーレムがいた辺りに碧い宝石が落ちている。

 手に取ってみると、宝石には何か複雑な文様が入っている。

 あずきはいぶかしく思いながらも、それを服のポケットに入れた。


「おはぎ、行こう」


 さっきのゴーレムがいつからそこに埋まっていたか分からないが、同じように埋まっているゴーレムがまだいる可能性はある。

 そう思うと、そこらへんにある岩全てが怪しく見えてくる。

 緊張と興奮でまだバクバクする心臓の鼓動を抑えつつ、あずきは箒にまたがり、そっとその場から飛び去った。

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