第11話 旅立ちはいつだって突然に 1

【登場人物】

野咲のざきあずき……十二歳。小学六年生。日本の英国のハーフ。

おはぎ……黒猫。あずきの飼い猫。



 ちょうど日が切り替わる直前、深夜0時まであとほんのわずかといった時刻に、なぜかあずきは目が覚めた。

 レースのカーテン越しではあるが、窓から月明りが差し込んでいるので電気が点いていなくても部屋の中は充分明るい。


 ――ここどこだっけ……。


 あずきはベッドに横たわったまま、ゆっくりと天井から周囲に視線を移した。


 優雅な曲線を持つ脚が特徴の、白のローテーブルと皮のソファ。

 あずきの寝ていたベッドの隣には、更に二しょう、ベッドが置いてある。

 こちらのフレームも白で、曲線が特徴的な意匠を持ち、その上に低反発マットレスが、更にその上にバラ柄の羽布団が乗っている。

 家具調度は全て英国から取り寄せたものだそうだ。


 ここは山梨の祖父母の家で、あずきたち一家が泊りにきたときにいつも使用させてもらっている客間だ。


 普段、小学校含め自宅の周囲、せいぜい十キロメートル圏内でしか行動することのないあずきにとって、祖父母の家までの一人旅はかなり疲れる行為だった。

 祖父母に会うまで緊張の塊だった。


 疲れのせいで夜八時には寝たけれど、かえって睡眠のサイクルが崩れてしまって、こんな変な時間に起きてしまったのかもしれない。


 あずきは階下の音に耳を澄ましたが、何も聞こえて来なかった。

 さしもの祖父母もこの時間となると、すっかり寝入っているようだ。


 あずきはベッドの上で上半身を起こし、窓を見た。

 観音開きの小洒落こじゃれた窓に取り付けられたレースのカーテンが、微かに揺れている。

 あずきは寝起きのぼんやりとした頭で考えた。


 ――何でカーテンが揺れてるんだろう。


 そっと立ち上がり、窓に近寄った。

 窓がほんの十センチほど開いている。


 ――わたし、窓開けて寝たっけ?


 あずきは窓を閉めながら、何の気なしに外を見た。

 家からほんの百メートル程離れた位置にある湖に月が写っている。

 綺麗な満月だ。

 湖と満月。何かの絵みたいだ。


 しばし月を見て、再びベッドに潜り込もうとしたとき、ふと視線の端に何かが引っ掛かった。


 桟橋さんばしの先端。

 湖に掛かった桟橋の先に何か小さな影があった。


 ――黒くて小さくて丸くって……何かに似て……おはぎ?


 慌てて、さっきまで寝ていたベッドの布団を引っぺがした。

 寝るとき、確かにベッドに潜り込んできたはずのおはぎが居ない。

 続いてあずきは、ベッドの下を覗き込んだ。


「おはぎ? おはぎ、いないの?」

 

 祖父母に聞こえぬよう静かに呼んでみるも返事は無い。

 途端に血が逆流し、心臓が早鐘のように打った。

 あずきの眠気が一気に吹っ飛ぶ。


 ――早合点は禁物! とにかく確認しに行かなくっちゃ。


 今までおはぎが泳いでいるところなんて見たことがない。

 もしあれがおはぎだったとして、場合によっては溺れることだってあり得る。


 あずきは着ていたピンクのパジャマの上に、自宅から持ってきた白のカーディガンを羽織った。

 高原の夜は、夏でも少し冷える。


 祖父母の寝室は、一階の一番奥の部屋だ。

 祖父母を起こさぬようそっと階段を下り、裸足に靴を履いて、静かに玄関の鍵を開けた。

 音がしないよう、ゆっくり丁寧に扉を閉める。


「おはぎ? おはぎなの? そこに居るのは」


 あずきは、桟橋の先端まで一気に駆け、月明りに照らされた黒い塊に声を掛けた。

 黒い塊が振り返る。

 目鼻立ち、体つき、間違いなくおはぎだ。

 あずきの口から安堵の息が漏れる。


「びっくりしたよぉ、おはぎ。いつの間にか居なくなってるんだもの。さ、戻ろ」


 おはぎを抱き抱えようとあずきが近寄ったとき、思いもよらぬ声が聞こえた。


「待ってたよ、あずきちゃん」


 その声にあずきの動きがピタっと止まる。


 ――自分たちの他に誰かいる?


 ここで悲鳴を上げたら祖父母は駆け付けてくれるだろうか。

 だが、周囲を確認しなくちゃいけないのに、声を出すどころか、恐怖で体が動かない。


「ぼくだよ、ぼく。おはぎだよ」


 声がクスっと笑う。

 あずきの視線がゆっくり、真っ直ぐおはぎに向かう。

 有り得ない。猫は人語を喋らない。


「まぁ、ビックリするのも無理は無い。ぼくも喋れることに気付いたのはついさっきさ。多分、土地によるところが大きいんだろうね。ここはマナがふんだんに湧き出てるもの。かなり特殊な土地だよ、ここ。東京じゃ無理さ。あそこはマナが乏しいからね。おじいちゃんたちがここにきょを構えたのは偶然とは思えない。多分、いや、まず間違いなく何か知ってるよ、二人とも。……あーー、あずきちゃん? 聞いてる?」


 おはぎが小首をかしげる。

 確かに猫が喋っている。


「おはぎ、あんたいったい……」


 認識が追い付かない。


「あずきちゃん、カードの隠されたメッセージ読んだろ? あのカード、微かに魔力が込められていた。魔法使いの眷属の資格を持つボクら猫族は、魔力に敏感なんだ。そしてあずきちゃんは今、猫と会話が出来るくらい体の隅々まで魔力が行き渡り始めている。おそらくこれは、あずきちゃんに流れる魔法使いの血が覚醒したって証さ。それはイコール、旅立ちの時が来たってことなんだ」 


 あずきの困惑を他所よそに、黒猫のおはぎがエヘンと胸を張った。

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