第3話 序章・奈々とあずき 3

 ――あれ? ここ、どこだっけ……。


 目をこすりつつベッドから上半身を起こした奈々は、その瞬間、記憶が一斉に蘇ってきて、顔が真っ青になった。


 慌てて起き上がった奈々は、腕時計を確認した。

 ピンク色の文字盤の中で、短針が十二の辺りを指している。

 窓に近寄って外を見てみると、外は着いたとき同様、真っ暗なままだ。

 どうやら夜の十二時ということらしい。

 

 ――わたし、二時間も眠っていたんだ……。


 隣のベッドに目を移すと、そこに、まるでお人形さんのように可愛らしい少女が眠っていた。

 今回の保護対象の、野咲のざきあずきだ。

 奈々はあずきを起こさぬようそっとベッドから起き出し、一階に降りた。


 一階ではまだサマンサが起きていた。

 暖炉の前に置かれたロッキングチェアに腰掛け、編み物をしている。


「起きたのね。コーヒー淹れよっか?」

 

 サマンサが優しく微笑んでキッチンに消える。


「ありがとう。随分寝ちゃってたね、わたし」

 

 奈々が返事を返すと同時に、サマンサはコーヒーを持って戻ってきた。

 魔法で火を起こすから、沸騰も早いのだ。


「胸のそれ、はがしちゃっていいわよ」

 

 サマンサに言われて見ると、奈々の胸にブーストカードが貼り付けてあった。

 サマンサがこれを使って、奈々に治癒魔法を掛けてくれたようだ。


 月と地球を結ぶ固有ゲートは八個あり、それぞれが世界の主要都市に配置されているが、ここの役割はただ一つ。

 今となっては希少になってしまった初心者魔法使いビギナーを無事、魔法世界シャンバラへと導くことだ。

 

 機械文明と常識にどっぷり浸かった新人に、魔法の手ほどきをしつつ、魔法世界の常識と教育を施す。

 そういう意味で言うと、ここの役割はとても重要だ。


 サマンサは日本と月とを結ぶ二番ゲートの管理をしている。

 と同時に、ゲートに付随した初心者の館の運営をも任されている。


 だいたいにおいて、ゲートの管理人に指名される人物は、強力な魔法使いが多い。

 そのサマンサが治癒魔法をブースト付きで掛けてくれただけあって、たった二時間の睡眠の間に、奈々の疲れはかなりのところ取れていた。

 だがそれでも――。


「ねぇサマンサ。どうすれば間に合うと思う?」

 

 奈々は勧められたイスに座ると、れて貰ったコーヒーに口をつけた。

 温かく、甘い。

 じんわり体に効いてくる。


「箒のブーストは、わたしはともかく、あずきちゃんがもたないわ。ここから東京タウンまで戻るのに普通に箒で飛んだら丸一日かかる。それだと間に合わない。せめて夜六時。今から十八時間以内に着かないと」


 サマンサはちょっとだけ考える風に首をかしげ、言った。


「……車、あるわよ?」


 ◇◆◇◆◇


「ルクス(光よ)!」

 

 奈々とサマンサは家を出ると、揃って魔法で光をともした。

 そのまま屋敷の裏に回ると、そこに車一台分の大きさのガレージがあり、中に、荷台にほろが付いた白の軽トラックが停まっていた。


「買い出し用に使っている軽トラックよ。これを貸してあげる。これなら荷台にあずきちゃんを寝かせられるし、今出発したら朝には着けるでしょ。もちろんブーストカードは必須だけど」

「サマンサ、グッドアイデア! ……なんだけど、わたし免許持ってない。運転出来ないよ。サマンサ運転お願いしていい?」

「わたしはもう次の初心者魔法使いさんたちの為の準備でここを離れられないわ。大丈夫、運転と言っても、ここ、月だから免許いらないし。だいたい、地面じゃなくって空を走るしね、この車」


 それから三十分後、奈々とサマンサは軽トラックの荷台に布団を敷いて、そこにあずきを寝かせた。

 あずきはぐっすり寝ていて、起きる気配も無い。


 念の為、サマンサがガード魔法を掛けたので、ちょっとやそっとの揺れでは荷台は全く衝撃を受けなくなった。

 これで東京タウンに着くまで、あずきが起きる心配も無いだろう。


「安全運転で、とは言えないけど、事故だけは気を付けてね」

「何とかやってみます」


 奈々はシートベルトを締め、エンジンをかけた。

 ボルルン、ドッドッドッド。


 ――よし、かかった。ライトは……点いた!


 奈々は足元を覗き込んだ。


 ――こっちがブレーキでこっちがアクセル? こう? 走らない。


「サイドブレーキはずして」

「あはは。これね」


 軽トラがゆっくり走り出す。


「説明した通り、ある程度スピードが乗ったら飛翔呪文をかけなさい。それで一気に飛べるわ」

「はーい。じゃ、車、お借りしまーす!」


 奈々はアクセルを踏み込んだ。

 身体がグンとシートに押し付けられる。


 真っ暗闇の中、ライトが二本、走る。

 ここら辺には何も無いことは分かっている。

 ひたすら平らな大地だ。

 じゃなきゃ、怖くて運転出来ない。

 

 ――いやいやいや、むっちゃ怖いんですけど!


「ベントゥス(風よ)!」

 

 奈々はハンドルを通して、車に風の魔力を注ぎ込んだ。

 魔力を受けて車が震える。


「ボラーレ(飛べ)!」

 

 車が浮く。

 みるみる上昇していく。

 奈々は真っ直ぐ前を見ながら、チラチラ下を見た。

 車が空を飛んでいる。


 ――こんなの地上でやったら大パニックよね。

 

 ハンドルが杖の役割を果たしてくれる仕様なので、握って魔力を注ぎ続けている限りいくらでも飛び続けられる。

 ただその分、魔力は垂れ流し状態だ。

 箒で飛ぶよりは圧倒的に楽だが、上手いこと魔力配分をする必要がある。


 奈々は運転計画を考えながらバックミラーを覗いた。

 あずきが寝ている姿が見える。


 ――お姉ちゃんが、絶対あなたをご両親のもとに帰してあげるからね!


 奈々はハンドルから右手を外すと、胸元からブーストカードを取り出し、ダッシュボードに置いた。


 行きの箒でブーストを使ったら、想像以上に疲れた。

 サマンサに癒してもらったとはいえ、まだまだ全快にはほど遠い。

 

 ――でも、間に合わないと意味無いもんね。


「アクティバーテ(発動)!」

 

 ブーストカードが光を放つと、奈々とあずきを乗せた空飛ぶ軽トラは一気にスピードを上げ、東京タウン目指して猛スピードでかっ飛んだ。

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