第三話
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(…………あれ?)
すでに口の中に運ばれていても良い頃なのに、一向に身体に痛みが感じられない。どうやら口元で宙吊りになったまま、百足の動きが止まったらしい。
おかしく思い、彼は恐る恐る目を開けた。
「え……?」
すると、彼が最後に目にしたほんの数秒前の光景などそこには無く、奴は大口を開けて赤黒い泡を大量に吐き出していた。そこから漂うむせかえる程の鉄特有の臭い。
「何、だ……これ、どうゆう」
状況は飲み込めないが、ひとまず百足に何かしらのダメージが与えられていることだけは確かだった。やがて百足は力尽き、床に倒れた瞬間、遺体は黒羽根となって霧散した。
そして、その霧散した百足の遺体の跡には、羽のない一人の少女が佇んでいた。
その少女は、狩衣風の黒の戦服を身に纏っていた。守衛の天狗達が着ている服と同じ物だ。長い黒髪は杜若柄の布の切れ端で雑に一つに括り上げ、顔には小面をつけていて、表情を読み取ることはできない。右手には血が付着した、刃こぼれだらけの日本刀を持っており、脇差にはもう一本の刀を携えていた。
「君が、やったのか?」
「……何故ここに」
恵那和の質問を無視して、面にこもった声で少女はそう呟いた。
「君が、僧正坊が雇った『野良』、なのか?」
「お嬢!」
人の形をなさないそれは、少女をそう呼び、高層から彼女の前に駆け降りてきた。
逆光ではっきりとは見えないが、近づく大きな物体の中心には、蒼く鋭く光る眼光が見える。
獣臭漂うそれは、少女の何倍もの大きさをした、白い大型の山犬……紛れもない、妖だった。
「仕留めたのですね?」
「胃袋から死体が出てきていないので、捕食前の物で間違いは無さそうです」
「上の見張りが気付いていないのも、百足が中に入って捕食していないことも不自然だわ」
「見張りが手薄な下からの侵入でしょうか。入ったのは一体とは限りません。芽々に報告して皆に周知してもらいましょう」
「御意」
床で尻もちをついている恵那和には目もくれず、山犬と少女は淡々と会話をし続けた。それは、恵那和に興味がないというよりも、彼と関わらないようにしている印象を強く感じた。
「おい!」
声を張ると、ようやく2人は彼を見た。
「君! 今の状況を分かる様に説明しろ。下からの侵入とはどういうことだ。まさか、俺が襲われているのを見て、初めて百足の侵入を現認したわけではあるまいな?」
閉鎖しているとは言え、下からの入口がノーマークとは致命的ミスにも程があった。猪突猛進型かつ人間と同じ器用な手指がある百足達なら、封鎖をしていようがこじ開ける可能性は十分にある。少なくとも捕食される神が訪れる今日に至っては、封鎖されていようがいまいが、見張りに人員を割く必要性は容易に考えられるはずだった。
僧正坊が雇った数は知れないが、百足を切れる人数に限りがある分、監視の目は多いに越したことはない。彼の性格上、根絶を目標に不足分の人手は無理やり補填しようとするはず。決して足りない人数で回しているわけでは無いだろうに、何故初歩的な人員配置が出来ていないのか。
恵那和は、怒り混じりに尋ねた。
「仰る通りですが」
面の少女はふてぶてしく言った。
「危機管理能力の低さを疑う他ない」
「我々のやり方に不満があるなら、精々喰われないように各々でやり過ごせば良いだけのこと。守られることをこちらは強制しません。信用足らずなのであればご随意に」
「ほう。その度胸、さすがは野良と言ったところか」
後ろ盾がないクセして、神に靡かない態度を取る様は、彼らの性格特性と言ってもいい。
この世には神と人と妖が一重に共存しているとは言え、神からすれば人や妖を殺すことは、蚊を殺すことと同義。
故に人は宗教を確立し、神を崇め奉り、神前にて礼儀を弁える。死にたくないが故に、皆我が身可愛さから神への敬意を示し続けることに努める。
しかし、例え自分の命が危ぶまれようとも、妖は欲に従順だ。価値基準は命によって定められたものではない。彼らの心を満たすものが、扱いづらい彼らの主導を握る事が許される。
「神への態度をよく弁えていることだ。人間とまでは言わぬが、礼儀を覚えておいた方が命乞いの時に役に立つぞ」
「ご親切にどうも」
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