第二話
神と天狗が盃を交わし、宴が盛り上がり始めた会場では、僧正坊を取り巻く女神の群れとは別に、もう一つの女神の群れが出来ていた。
「恵那和様、お継ぎしますわ」
「お食事が口に合いませんか?」
「恵那和様のために私が舞を披露致しましょう」
たった1人の男神に、天道の女神達はこぞって恍惚な表情を浮かべる。
象牙色をした狼髪、切長な金色の瞳は澄み切っており、薄い唇は少し上げるだけで、雅さ溢れる近づき難い彼の印象を一瞬で覆す。程よい筋肉質な体型でも、煙管を吸うその姿は優雅で美しく、存在するだけで周囲の神を魅了させる。
その男神の名は、天乃恵那和命。
江戸時代に誕生した、天照大御神の9人目の子どもである。
「私に構う必要はない。こういう時くらい皆も自由に羽目を外すが良い」
「あら、私達といるのはお嫌ですの?」
取り囲む女神達に優しく言葉をかける恵那和。そんな彼を女神達が放っておくわけもなく、離れることは愚か、より距離を縮めて親密を図ろうとしていた。
「私達は十分楽しんでおりますわ。恵那和様の方こそ、羽目を外されませ」
「心遣い感謝するよ。しかしその前に、この場を借りてあちら側の者に挨拶するとしよう。長くなるだろうから、先に楽しんでおいてくれ」
「「「いってらっしゃいませ~♪」」」
美女達を残し、恵那和は酒が入った天狗と神々達の中へと紛れた。そして通りすがりに声を掛けてくる彼らに、立ち止まることなく軽く挨拶だけを返し、恵那和は大宴の間を後にした。
「はぁ……んんーーーーー!!!」
ようやく呼吸ができたと言わんばかりに、誰もいない廊下で恵那和は体を伸ばし
「だっる」
気怠そうに小さく呟いた。
彼に群がる女神達は見た目に惹かれて近寄る者が半分、そして、彼が持つ権力目当てに近付く者が残りの半数を占める。
その理由は、9人きょうだいの末っ子として生まれた恵那和にはまだ、配偶者がいないからであった。彼の元へ行けば、しがない神でも実母である天照大御神との確固たる繋がりを持つことが可能となる。その利益・特典は誰もが喉から手が出るほどに望むに違いない。
「見合い話だけでもお手上げだって言ってんのに。勘弁してほしいものだな、全く」
宴の間を背に、恵那和は時間潰しに御殿内を1人散策し始めた。
この黒御殿は、僧正坊の呪力によって作られた、彼の為の城だ。10年前に百足が現れてから、彼は百足が中に侵入してくるのを恐れて、中の造りを複雑に、外見をシンプルな造りにした。
中は螺旋構造のように、中央部が空洞になった階層を何層にも重ねた広間を作った。サザエ回廊と言い、全ての部屋の前の廊下はこの広間に繋がっており、幅も比較的狭くし、百足が通りづらい造りに。
回廊を間に挟み、中は西棟、東棟に分かれており、東棟側の高層階に主に客間を設置し、西棟側を天狗達の生活区域としている。因みに、僧正坊の部屋は最奥で案内なくては誰も入れない場所に設置してあり、神々は愚か、天狗でさえも一部の信用あるものにしか知らされていない。
そして、御殿の入り口は高層階に設置した一つに絞り、残りは閉鎖。
外見は支柱の上に、入口のみの小屋が乗っているように見せかけたダミー像にし、百足達に刺激を与えないように工夫したのだ。
全ては、百足が出現した10年前に、ビビって関係ない神々を巻き込んで対策案を搾り出させた挙句、神の犠牲が出ても我が身のことしか考えなかった僧正坊の賜物である。
(挙句、対処法が分かった途端にあの様。それも、天照大御神に無断で神に直接交渉するとは)
「なんと愚かな」
ドン……
「!」
背後から誰かが歩くような微かな音が聞こえた気がした。咄嗟に反応して、恵那和はすぐに振り返った。
……が、当然そこには誰もいなかった。誰かが後を追ってきたのかと思ったが、気配は感じない。
「……ただの家鳴りか」
そう思って再び前を向き直したその瞬間。
「え」
正面に振り返った恵那和の目の前に現れたのは、巨大な『瞳』_____。
開いた瞳孔を前に、恵那和の動きが止まった。
「百…」
「ウぁばぱァアアアアアアァァぁあァアあ!!!」
獲物を見つけての喜びか、鼓膜を破壊しそうな程強烈な叫び声に咄嗟に耳を塞ぐも、その破壊力たるや。まさにたったの一声で、脳の感覚を麻痺させ、恵那和から平衡感覚を意図も容易く奪った。
そして百足は床に崩れ落ちた恵那和の身体を拾い上げ、そのまま口元へと運んだ。
(死ぬのか?……この『俺』が?)
大口を開ける百足を前にして、恵那和は夢想している感覚だった。目の前の事実に恐怖を感じるよりも、現実味がなく、悪夢を見ている時と同じだった。
「ハハ……息臭そうー」
大きく開けられた口の中を見て、他人事のように最後の言葉を呟くと、覚悟を決めて恵那和は静かに目を瞑った。
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