雄磨の本懐2
「綾───なんでここに?」
こちらに振り返った男性が驚きの表情を浮かべる。
「なんでって、色々あって部室使えなくなっちゃったから」
おそらくそういった話を聞いたわけではないと思う。しかし、これは驚きだ。母さんと、綾の祖父は知り合いだったのか?
「お祖父様。ここは真理部の部員である、阿倍真悟君のお家なんです」
推理が綾に変わり簡単に説明をすると、俺の肩を触った。
「ふん。となるとあなたのお子さんで?」
綾の祖父は茜さんにそう質問をする。茜はゆっくりとした所作で首を横に振る。
「私の姉の子供です。阿倍真理、旧姓、
「な、なんと!?」
綾の祖父は目を見開き、俺の事を凝視してきた。なめまわすと言った感じではなく、不快感はない。
ただ一点を、俺の顔を見つめていた。
「た、確かに、真理ちゃんの面影があるな。うん。懐かしいな」
綾の祖父はそのまま立ち上がり俺の真横まで歩いて来ると、手を差し出して来た。
「私は荒金雄磨。荒ぶる金、
あの時、決して交わされる事の無かった自己紹介。雄磨さんが差し出して来た手を取り、俺もいつもの自己紹介をした。
「
初対面のツチノコ創作の時に感じた、ぶっきらぼうな印象はまったく感じられない。唇を噛み締め、何度も繰り返し頷き、俺をただただ見つめていた。
「えっと、おじいちゃん?手離してあげてよ」
困惑する俺の心情を察してくれたのか綾が割って入る。すると、雄磨さんはこれは失礼したと手を離し、俺達と同席していいか訪ねて来た。
もちろん俺としては母さんの情報を知れるチャンスなのだ。断る理由はない。
真理部の他の面々も頷いてくれたので、綾と葵木に席を詰めて貰い、通路側の席に雄磨さんは座った。
俺と推理と対面する形だ。
穏やかな表情を浮かべ、雄磨さんは話し始めた。
「二十年程前だったかな。初めてこの喫茶店にやってきたのは。あの当時は忙しく、あちこちを回る営業マンをしていたんだよ。忙しいってのは心を亡くすと書くだろう?文字通り、心を無くして働き詰めだった。心を無くしていたのは、それより遥かに前だったかもしれないけどね」
「はあ」
唐突に始まった昔語りに思わず適当な返事をしてしまったが、推理に足をつねられた。
目上の人にはしっかりと対応しろという事だろう。
以後気をつけますの意味を込めて、視線を向けずに推理の手を優しく包み込むと、小さな悲鳴をあげて手を引っ込めた。
「ちょうどこの席だったね。君のお母さん。真理ちゃんともう一人の女の子がこの席に座って、UMAが居る居ないの激論を繰り広げていたんだ」
懐かしむように、雄磨さんはテーブルの表面を優しく撫でる。
「あの時、私はあまり心の余裕がなかった。名前のせいで、小さな頃にUMAだ雄磨だと馬鹿にされたせいかもしれないね。……あろうことか、大の大人である私が、女子中学生二人に突っかかってしまったんだよ。あの時は本当に悪い事をしてしまったと思っているよ。今となっては謝る事はできないけどね」
「構いませんよ。びっくりはしましたけど」
お代わりのコーヒーを持ってきた茜さんが雄磨さんの前に置きながらそう言った。
「となると、あの時の、もう一人は君だったのか」
茜さんは会釈をして、カウンターへ戻っていく。
「それで、どうなったんですか?」
逸れた話を戻そうと、推理が口を開く。
「ああ。私の惨敗だったんだ。口ベタな方ではあったのだけどね、まさか女子中学生に言い負かされるとは思わなかったよ」
少し照れるように、雄磨さんは頬を緩ませた。負けた話をしているのにさも嬉しそうに。
「私は小さい頃、ツチノコとか、ヒバゴンとか、未確認生物の存在を信じていたんだ。放課後や週末はよく森に探しにいったもんだ」
今とやっている事は変らない気がするが、今と昔は違うような事を言い出した。なんせツチノコを探すイベントの主催者なわけだからな。雄磨さんは。
「それは、今も信じていらっしゃるんですよね?」
「うん。今は信じているよ。真理ちゃんの言葉を借りるなら、いると思った方が楽しいしね」
雄磨さんは自分の言葉に二度頷いてから言葉を続けた。
「私はね、名前のせいで虐められた事があったんだ。また雄磨がUMA探しに行ってるぜ。なんてね。小学生も高学年になってくると、未確認生物を信じない人もでてくるよね。ある日、サンタクロースを信じなくなるように」
「そうかもしれませんが、信じる信じないは個人の自由なんじゃないですか?」
葵木が雄磨さんの意見に反論するが、雄磨さんは優しく頷いてから答える。
「そうなんだけどね。あの時の私は、そうは思えなかったんだよ。同調圧力って言うのかな。そんな物を信じている方が恥ずかしい。そう思うようになっていったんだ」
「なんかわかるような気がします。好きな物を嫌いになると反動が凄いですよね」
「そう。その通り。私は、UMA。未確認生物と名のつくものが大嫌いになってしまったんだ。そのせいで真理ちゃんと、今のマスターに突っかかる羽目になってしまったんだけどね」
雄磨さんは本当に大人気なかったよなと呟いてから続ける。
「だけどね、真理ちゃんに言い負かされて、真理ちゃんの言葉を聞いて、昔の気持ちを思い出したんだよ。純粋に、UMAを好きだった頃の思いを。それから私は、またいつか、仕事を引退したら、ツチノコを探そう、そう誓ったんだ」
「それで、イベントを開いたんですか」
「うん。そういう事になるね。後世のUMA好きに、それで良いんだよ。周りに合わせる必要は無いんだよって少しは伝わっているといいんだけどね」
ここまで雄磨さんの話を聞いて、燿、綾、紡が本当にやりたかった事は別にあるのではないかと思い至り、綾の方に視線を向けて見るが、綾は首を傾げるだけだ。
「さて、若い人達の集まりに、ロートルが長居するのも良くないね。色々話を聞いてくれてありがとう」
そう言いながら雄磨さんは立ち上がった。
「また来年、ツチノコ探索やるから、是非参加してね。推理ちゃんのおかげで今年は凄く盛り上がったよ」
「いえ、こちらこそ楽しかったです。また来年。お邪魔致します」
コーヒーカップを手に取り、カウンター席へと戻ろうとする後ろ姿に俺は質問を投げかけた。
今聞かなかったら、聞けるのは一年後になってしまうだろう。
「一つ聞いても良いでしょうか?」
雄磨さんは振り返り、眉毛を釣り上げて言った。
「なんだい?一つと言わず、なんでも答えよう」
俺が聞きたいのは、一つだけ。母さんの口癖についてだ。
近頃よく夢にも見る、最後だけ思い出せない口癖。
茜さんも覚えていない口癖。
「阿倍、いや、藤野真理についての聞きたい事が、あるのですが」
「うん。なんだい?」
「口癖で、母は僕によくこう言ったんです。たくさん勉強して、たくさん遊んで、たくさんホニャララするのよって。最後の一文だけ、思い出せないんです。雄磨さんには心当たりありませんか?」
「うん」
雄磨さんは頷いて、しばらく考えるような素振りを見せる。
そして、二十秒程の沈黙の後、口を開いた。
「ごめんね。ちょっと記憶に無いなあ」
「そうですか。引き止めてすいませんでした」
「力になれなくてごめんね」
雄磨さんは頭を下げ、カウンター席へと戻って行った。
掴みかけたと思ったら、また振り出し、体中の力が抜けて、テーブルに突っ伏す。
母さんはあの時、俺になんて言ったんだろう。
するとあの時、母さんがしてくれたように、誰かが俺の頭を優しく撫でてくれた。
「真悟。私とあなたはバディな訳でしょ?悩みとか、困っている事があるなら私に相談しなさい」
そう言った推理の方へ視線を向けると、あからさまに視線をそらした。
恥ずかしいなら無理しなきゃいいのに。
「そうですよね。俺達バディなんですよね」
「お邪魔そうだから、僕はこれで失礼させてもらうよ」
「わ、わたしも」
慌てて退散しようとする、葵木の手を掴み、テーブルに無理矢理座らせる。
「居なくなる方が気まずいから、居なくならないでくれ」
「あなた達も真理部の部員なんだから、真悟の悩みを聞いてあげなさい」
「はい。わかりました」
だれかれ構わず聞かせるような話でもないような気もするけど、なんとなくこいつらになら話しても良いような気がした。
「みんな聞いてくれる────」
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