第5話
乙女ゲーム『聖女の魔法と七つの光』通常『聖女と七つ』の悪役令嬢であるディア・エスタークに転生してからになる二日目の朝である。
一人では広過ぎるような大きくてフカフカのベッドから私は目を擦り、覚めきれていない眠気を長い欠伸の中で発散させて起き上がる。重たいと思えるようなベッドを覆うように被さったシーツを華奢な腕に力を入れて持ち上げた。
薄暗い部屋の窓から差し込む、無数の眩い太陽の光。寝ている脳を覚醒させようと無意識のうちに軽く目を擦ていた。
正面以外の窓にあるカーテンは全開され、差し込む光は部屋を照らす。窓の外を見れば雲一つもない満天な快晴の青空が広がっている。昨日と変わらず良い天気であった。
数秒間何も考えずに放心な状態が続く。未だに自分の脳が覚醒しておらず、意識が脳を起こしに行っている最中であった。すると正面にあるカーテンが思いっきりに開かれ、太陽の光に背を向けて一人のメイドがこちらを見つめる。
「おはようございます。お嬢様。」
「お、はよう。アイリス〜。」
きちんと一礼して挨拶するアイリスに対して私は礼儀の悪く、寝惚けたまま二度目の欠伸をして挨拶を返した。意識はまだ夢の中だ。
体をベッドから離し頭がボーッとして立ったている中、アイリスは私が身に付けている寝巻きから昨日と同じ服に着替えさせられる。アイリスに導かれるままドレッサーの前に座り、寝癖の付いた髪をブラシで優しく解かしてくれる。そのままテーブルの方の椅子に腰掛けると目の前に並べてある色鮮やかな朝食を慣れないフォークとナイフを扱い食する。とてもお箸が恋しくなった。
朝食を終えた後、未だに睡魔から解放されない私はアイリスが食器を片付けに行っている間に何もする事なく、ボフッとベッドに飛び込み、左腕で黒い枕を胸元に抱いてだらしなくゴロゴロと寝転がっていると扉の向かう側からノックされる音が聞こえた。
「どうぞー。」
扉の向こうはきっとアイリスなのだろうと思い、私はベッドの上で黒い枕を雑に投げやり、天井を見上げる感じで仰向けになったまま扉を見つめていた。
扉がゆっくりと開き、扉の向こうには萌黄の髪をした私のメイド、アイリスの姿に女性ながら見惚れてしまっていると、アイリスが道を譲るようにして私の部屋に入ってくる一人の女性に私はアイリスの時と同じく見惚れてしまっていた。それと同時に緊張が身体中に走った。
私と同じロングヘアーの黒髪と黒い瞳。雰囲気には満ち溢れるほどに品があり、それはまるで一輪に咲く花のように可憐でお淑やかな女性。
表情は凛としているのに母性を感じさせるような穏やかな感じもある。それに何処か顔立ちがディアに似ている気がする。いや違う。ディアに似ているとかの感じではなく、そもそもこの人は………、
「そんな風に寝ているとだらしないわよ、ディア。」
「ご、ごめんなさい。お母様。」
その女性、ディアの母親である事に気付いた私は意識的に体をベッドから起こし、無意識のまま寝転がっていたベッドの上で綺麗に正座をしてしまった。それと同時に眠気もすっかりとなくなっていた。
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閉鎖的であるが少しばかり広くて、黒一色で色合いがなく、女性みたいに可愛らしくもない部屋で小さな丸いテーブルを囲みお母様の侍女が注いだ紅く光る紅茶が入ったティーカップが置かれた。ジャスミンのような良い香りだ。
「前に遠出した時に良い香りがしたから買ってみたの、どうかしら」
「とても落ち着く香りだと思いますよ」
「そう、買ってきた甲斐があったわね」
私の目の前にいるのはディアの母、スキア・エスターク。作中ではディアと同じく鴉仮面を被った姿しか描かれず、ディアの父親と一緒に描かれているのにも関わらず、台詞が一つもない。存在感はあるのにアイリスと同じくらいゲームの不待遇を受けた可哀想なキャラであった。
故に人物説明も大雑把で、ディアの母親以外は何も分からない。どんな性格かも分からず、ディアの母親と理由で『ディアと同じでかなりの悪女だろう』とネットのスレや書き込みで私もそうではないかと思い込んでいた。
でも書き込みやコメ、ネットに流れてディオナ・エスタークの人格とは私の記憶の中では大きくかけ離れていた。凛々しくてとても優しく、何処か抜けている所はあるけれど全てを愛し、平等に人を愛し、人から尊敬される。そんなお母様の人格を知り、不確実な情報は信用しないようにと私は心の奥からそう思った。
「それではお母様。今回は一体どのような用件でこちらに参られたのでしょうか。」
平常心、平常心と自己暗示をかけながら緊張で引き攣る口角を上げ、無理やり笑顔を紙で貼り付けたような表情を作る。そして、丁寧な言葉を選び、来室の理由を訪ねた。
けれど、あまりにも他人行儀である言葉にお母様は困った顔をしては何処か寂しげな表情をしたが、それらを紛らすように紅茶を一口含んだ。
「実はディアにどうしても出席して欲しいパーティーがあるのよ。」
「パーティー、ですか。」
『パーティー』と、違った意味の重たい言葉を発したかのように、一瞬にして場の雰囲気が暗くなったことを感じた。喉が乾いた私はカップに入いてある紅茶に堂々と口を付けたが、「あちぇッ」と反射的に声を上げて舌を軽く火傷した。
それを見るなりお母様はクスクスと笑い出す。顔を赤らめながらも気を取り直して紅茶を一口含んだ。
「ごほん、それではお母様、何故私がパーティーに参加しなければならない理由を聞いても宜しいですか。」
恥ずかしい雰囲気を取り払うように私は一呼吸を置き、話を変えるようにお母様にそう尋ねた。
「フフフ、それはこのパーティーを主催するのがクラージュ王家が行うそうなのよ。だから公爵家である私達は全員出席しなければならない。理由としてはそれぐらいかしらね。」
未だに笑いの種は消えず、笑いを抑えながらもお母様はそう言って再び置いていたカップを手に取り一口含む。
確かにそれは妥当な理由だ。貴族階級の中でも皇族であるクラージュ王家はトップであり、この国の権力者だ。故に公爵であるエスターク家であろうとも、皇族であられるクラージュ王家が主催する事の前では真っ当な理由がない限り、家柄に泥を塗らない為にも不参加することができない。それ故に態々と王家の名前を出すのだから、つまり私に「何としても出ろ」と意味合いも込められているのだろう。
そう思い、舌を火傷した紅茶が入ったカップを手に取り、今度は舌に気をつけてながら、紅茶に二、三回ほど息を吹き掛けてから私も母と同じくゆっくりと紅茶を一口飲んだ。
それにしてもパーティーか。参加するかどうかは悩ましいが、前世でそういった類に参加した事がなかったから行ってみたい気持ちではいる。
だが、右腕がないとなると食事や挨拶の社交マナーとかは使用人が補助しない限りは出来ない。それに家族全員が参加するなら、弟であるキルに顔合わせなければならないということだ。
理由は分からないが、昨日キルに対しての以上な恐怖を感じ、本能的に彼のことを拒絶していた。姉弟の関係であるはずなのに、弟の事を生理的な嫌悪を抱いたままでは、いつしかゲーム内のディアが行っていたようにキルに暴力を振るかもしれない。
そうなれば行き着く先は
正直、死亡エンドだけは避けたい。他人に恨まれて殺されるのもとてつもなく嫌だ。何としても穏便で順風満帆なスローライフを迎える為に、このキルに対しての嫌悪感の正体を突き止めるまでは、出来るだけキルとの接触を避けなければならないのだ。
その為にもキルも同行するパーティーには出来るだけ参加したくないのだが……
「それで出席するかどうかはもう決めたかしら。勿論、出席をするわよね、ディア。」
ニコりとお母様は笑みのままで聞いてくるのだが、その笑顔からは見えないが、背筋が凍るような「参加するよね」という威圧感を放っているから思っている事を口に出せない。その為か私が出す言葉は一つに限られていた。
「勿論、喜んでパーティーに出席致しますよ。お母様。」
私もお母様と同じく笑顔でそう答えるが、笑顔には何処かぎこちなさが残る。お母様の威圧感に屈して私はそう言わざる終えなかった。
私の記憶に残っていたお母様とは全く違うのですけど…
「そう、良かったわ。ディアがパーティーに参加するって言ってくれて。それと朝から馬車に乗って王都に向かうから寝坊はしちゃダメよ。」
そう言ってお母様は紅茶を一口含むとカップを皿の上にゆっくりと置いた。それと同時に私の身を絞める威圧感もさらっと無くなった。
ほぼ、お母様が放つ威圧で言わせたようなものですけどと、反論の意を唱えたいが、何かと言い包められそうな上に威圧感で殺されるのではないかと恐ろしさがあって中々に言えない。だが、此方だけ意見を一方的に押し付けられるのも癪だ。お母様がそのような手段で行ったのだから、私だって考えがある。
「それで一つ、お母様にお願いしたいことがありまして。」
「お願い?何かしらディア。なんでも言ってちょうだい。」
「それでは私だけ早朝に護衛を少人数だけ付けて出発してもよろしいでしょうか」
私は紅茶がないカップをゆっくりと皿の上に置くと、笑顔を崩さず一つのわがままをお母様に言った。
「あら、どうしてかしら?」
私の非効率かつ身の安全が保証されない提案には流石にお母様も首をかしげる。これを提案した理由がキルと一緒に居る時間を少なくしたいだけだが、そんな理由でお母様は了承はしてくれない。だからここは一つ嘘を付いた。
「それは少しばかり寄り道を考えています。王都から領地まで遠いですから寄り道なんてしたらパーティーの時間に間に合わないかと思いますので。それに早朝からだと皆まで起こしてしまうのは私の良心に癪に障りますから・・・」
これまでにはない私からしたら完璧な理由に流石のお母様でも了承してくれるだろうと高を括っていた。
けれどそんな余裕もお母様の前では一瞬にして消える。私の理由を聞くや否や微笑んだ。
「随分と面白い理由なのね。」
まるで私の考えを見透かされているかと言わんばかりのその表情に私の顔は強張った。手に持っているティーカップが無意識で小刻みに震えていた。
きっと拒否されるかもしれない。もっとマシな理由付けをすれば良かったと後悔した。私は俯いた。
「良いわよ。私から御者と近衛兵に伝えておくから。」
「えっ?」
思いもよらない言葉で呆気に取られた。
「よ、宜しいのですか?」
そう聞き返すとお母様はただ一言「良いわよ」と了承してくれた。これは喜ばしい事であるが同時に疑問符を浮かべた。
「本当に宜しいのですか?」
どうしても腑に落ちない為かさっき言ったばかりの返答をもう一度聞き直した。
「ええ、別に良いわよ。何と言ったて愛娘の我儘だもの。それぐらいなら聞いてあげる。それともダメだって言った方が良かったのかしら。」
「いえいえ、嬉しい限りです!」
お母様の冗談混じりの言葉に焦りながら言葉を気持ちを伝えた。そんな慌てふためき様が面白かったのかお母様は笑みを浮かべた。まるでお母様に弄ばれているようで少しばかり気に食わなかった。
「話も済んだし、そろそろ部屋に帰るわね。理由を作る時にはもっと知的に考えた方が良いわよ。」
「はい、肝に銘じておきます。」
ちょっと不機嫌な顔で答えるとそれを見たお母様はクスッと笑って席から立ち上がった。
「あ、それとちゃんと理由を答えたからには責任を持って嘘でもしっかりと行動で示さないよ。」
そう言ってお母様は侍女と一緒に部屋を後にした。
「責任を持って行動かー」
そう呟いて再びベッドの上に寝っ転がる。言葉の責任を持てという事をお母様は言いたいのだろう。その場凌ぎの理由であったが、お母様は御者と近衛兵にその理由で話を付けるに違いない。ならば私もそれに応じなければならない事になった。
(いつか寄る予定であったからあの場所に行こう)
そう考えながら目を閉じた。
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