第4話
嵐が去るが如く黒マスクの庭師と別れてからも、私は美しくも硝子細工のように脆く、儚さを帯びた花たちの楽園をアイリスと共に少し周った。
何とも言えない幻想でゆったりとした夢心地は疲れ果てた心を癒し、頭を悩ます考え事もその刹那のうちに忘れてしまう程、敷地を埋め尽くす花の可憐さに私の心を射止められて忘れられない。このまま頭の中もお花畑になってしまいそうな勢いに私は花畑に見惚れるも私は、私を導いてくれるアイリスと共に『花園』の出口に向かって足を歩んでいた。
どれだけ心を癒しても、どれだけ考えを忘れようとしてもその幻想の夢から覚めなければならない。依存性のある夢心地の時間は終わらせなければならなかった。
こちらを呼び止めるように花たちが燦々と照らされ上に向かって綺麗な花びらを何一つ隠す事なくつぼみを開ける。
それに誘われることを堪えて、私とアイリスは咲き乱れる花たちに背を向けて『花園』から立ち去った。
アイリスと共に屋敷の周りを歩き始めてからかなりの時間が経った。
久しぶりに外を歩くのか、前世よりかは体が疲れが溜まりが早かった。『花園』で少しばかりはしゃぎ過ぎたのもあるが、それでも前世の方がもう少し動けた気がする。今後の課題として体力も入れておいとかないと私は心の中でそう決心した。
「ご機嫌よう?」
「「「ご機嫌でございますお嬢様。」」」
ゆっくりと屋敷の方へと戻って行く時にすれ違ったメイドたちに軽く挨拶をする。そしてメイドたちはホッとしたかの様な安心した表情をして去っていった。
ここに居る使用人さん達は気さくで良い人ばかりだ。外見の良さ悪しで態度を変えるわけでもなく平等に接してくれる。良い事は褒める。悪ければ叱ってくれる。そんな人たちなのだ。本当にこんな人に恵まれた環境に何故ディア・エスタークが悪役令嬢になったのか私には理解できなかった。
それにしても私と会う使用人たちは揃いも揃って安心した表情になるのだろう。さっき会ったメイド以外にもアイリスとの散歩中にたくさんの会った使用人たちもそうだ。
別に使用人の好意を無下にはしたいなどとは思っていない。私からしても他人からの好意は嬉しいことだ。
けれども彼らは何故私を安心した表情になる『理由』があるのかは、前世を思い出した『私』では記憶が混雑してその『理由』を見つけ出すことはできない。
故に不思議とそれを疑問に残ってしまうのだ。
勿論、その疑問を解決する手段は「アイリスに聞く」だけなのに聞くための言葉が出てこない。
もしも、彼女に偽物だと思われて死なない程度に拷問されたらどうしようだの、刺されたらどうしよう、溺死させられるかもしれないだなと、そんな最悪な結末ばかりを考えてしまい、あたふたとしてしまう。
けれど聞くのを躊躇ってしまったら、この疑問もこれから先も自らの進む道を閉じることになりかねないのだ。
もう聞くしかない。頑張って聞くしかない。これ以上、疑問が残っていたらむず痒くて夜も眠れないのだろう。
ううう、頭ごなしに考えて戸惑うだけでこんなに疲れるなんて思わなかった。何処かで少し休みたい。
「ねぇ、アイリス……」
「どうなされましたかお嬢様。」
木陰の下を歩いて私は疲れきった足を止めてアイリスに声をかけると、アイリスは私の一歩進んだところで足を止める。
さぁ、聞くんだ。何事にも躊躇わず疑問のことについて「教えてほしい」と言えばいいのだ。勇気を持て私!!
「………………………、少し何処かで休憩しない?」
………………、やってしまった!!私は何を言っているだ。言いたいことは違うのに〜〜!!
「かしこまりましたお嬢様。それでは近場の休憩場に運び致しますね。」
「そこまでしなくていいよ。自分の足で歩けるから。」
「承知いたしましたお嬢様。」
私らアイリスの言葉に平然としたまま答える。
だが、平然と装っているのは外面だけであり、内心では自分の行為を悔やみつつ、自分を呵責し、ドタバタと一人勝手に悶えていた。
過去の自分を振り返っても、何故このような事を言ってしまったかも分からずただ無駄な時間がゆっくりと過ぎて行くだけであった。
『もう一度聞く』という手段もあるものの、またさっきみたいに違う言葉を言いそうでなかなかに言葉に出来ないでいる。次も間違えたら体全体を使って悶えてしまいそうだ。
口を閉じて無言なままに木影の上を歩く。『いつでも聞けるのだろう』と楽観的に考えて、引き出せない記憶のことについて聞くことを今は諦め、いつかは聞こうと心の中で決めた。
「お嬢様こちらです」と考え事をしていた無知な私は日差しの下でアイリスに導かれるままに歩む。
少し歩いた先には、ぽつんと伸びる一本の大きな樹木がその場を日差しから守るように強く根を張り、限界までに幹を伸ばし、枝を増やし、新緑の葉っぱで覆い尽くしてそれは聳え立っていた。
まるで母親に見守られているような、そんな感じがする樹木の根元には一席の二人掛けのベンチが不自然と置かれている。
それは確か、昔に父が母にプロポーズした時に座っていたベンチを思い出のように残していると、前に父が話していた事に覚えがあった。
そんな思入れのあるベンチに疲れた体を預けるようにして座った。無意識に全身に入れていた力が抜けるような感覚があった。
ゆったりと流れる時間を風を通して肌で感じ、当たり前のように隣に立っているアイリスを見る。
「どうなされましたかお嬢様?」
「その、アイリスも隣にどうかなって。」
そう言って私は空いている隣のベンチを軽く手で叩き、座らないかと誘う。
「お言葉はありがたいのですが、私の身が尽き果てるまでお嬢様の身をお守りするようにと御領主様に言いつけられておりますから。」
けれどアイリスは無表情なままに私の誘いをあっさりと断られた。
アイリスが言う"御領主様"はきっと父のことなのだろう。本当に私のメイドに何を命令をしているのだろうか父は。
「でも、アイリスだって歩きで疲れていると思いますし私の隣で休んだ方が良いと思いますよ。」
「大丈夫ですお嬢様。体力は日々の仕事によって鍛えられていますので、この程度は疲れには入りません。
それにお嬢様を狙う敵が何処かに潜んでいるかもしれませんので私は休む訳にはいきませんので。」
「あの、別にそこまで警戒しなくてもいいのでは、ここはその、屋敷の敷地内ですし。」
「いいえ、こういう時だからこそ警戒しなければなりません。こう言った『安心』だと油断して休んでいるのが一番の危険と聞きますので、警戒を怠る訳にもいきませんので。」
「………………。」
それでま諦めずに休むようにアイリスを再び誘ってみるが、再びそれとなく断られる。私が護衛に関することを言えば、アイリスが怠慢せずに守ると言う。
ああ言えばこう言い返しのまるで攻防戦に、私は何も言い返すことも出来ずに、半分諦めた気持ちで言うのをやめた。
無言な時間が続く。新緑の葉が日差しの暑さを抑えて、葉の隙間から漏れる光が穏やかな風共に私を優しく温かく包んでくれる。そして小鳥の囀りが私の眠りを誘ってくる。目を瞑って仕舞えば夢の世界に一直線なのだろう。
そんな休憩には最高のロケーションに私は居座っている筈の私なのだが、アイリスが警戒を高めて辺りを見張っている所為で気休みどころか安心できず、逆に緊張して体が少し強張ってしまう。
時間だけが過ぎていく。
長過ぎる場の空気感に耐え切れなかった私は未だに充分な休憩をしきれていないけれど、ベンチから立ち上がった。
「戻ろう」とアイリスに言葉をかけようとした寸前で、
「姉さん!」
幼い男の子の声が私の言うとした言葉を抑えた。
声のした方へと私は振り返る。私はその姿を見て更に体を強張させてしまった。
私の黒いに若干の蒼色が混じった髪。幼い容姿なのにアイリスにも負けない恵まれた顔立ち。その碧い瞳は私を捕らえて離そうとはしない。同じ年齢、同じぐらいの身長の男の子
「………キルシュルス。」
私は不意にそう口に溢す。キルシュルス・エスターク。のちに『
幼いキルシュルスがこちらへと近づいてくる。それだけなのに私は身を震わせて僅かに恐怖をしていた。
「どうしたのキルシュルス。」
彼に抱いている恐怖をバレないように震えた声で平然とした感じで尋ねる。
「姉さん。もう僕の事は『キルシュルス』じゃなくて『キル』って呼んでよ。僕達は姉弟じゃないか。」
「そう、だったわね。うっかりしていましたよ。あはは、」
乾ききった笑い方をしまったが今更遅い。キルが私に近付く度に震えと抱いている恐怖が増長していくばかりだ。
「それでキル、私に何のようなの?」
「もう、姉さん外に出るなら僕も誘ってよ。僕も姉さんと一緒で暇なんだから。」
「暇って……、」
爽やかに笑ったり、ぽくーと頬を膨らませてちょっと怒ったりと、キルの顔の表現がコロコロ変わる事に戸惑い隠せない。何せゲーム内ではディアと同じクールなキャラであったはずだ。それなのにこんなにも感情表現が豊かだと驚くしかない。
そんな表現豊かなキルを前に私はただ苦笑で答えることしか出来ていないでいる。一秒でもキルから離れたいと衝動的に本能が警報を鳴らしている。
「そうだ姉さん。今から一緒に『花園』を探検しない?珍しい花とか発見できたりして、きっと楽しいと思うよ。」
「ごめんなさい。誘いは嬉しいのだけれども、『花園』はアイリスともう見終わったから。」
「じゃあ、それならさ屋敷の周りを散策しようよ。」
「ごめんなさい。もうはしゃいで疲れてしまったから自分の部屋に戻りたいの。」
「なら、帰りは僕も一緒に付いていくよ。」
早くキルから離れたいのに、キルは私を離さてくれない。それどころか体が触れそうなぐらいまでに距離を詰めて一緒に付いて行くと言う始末。
今から何を言っても彼は私に付いてくるだろう。それは今の私に何故だかとって恐ろしいことだと思えた。
それに今だってそうだ。キルが近くにいるだけで声が震えて怖いと思ってしまう。きっとその思いも顔に出てしまっているのだろう。
そんな私の機嫌を察知したのかアイリスは私とキルの間に割り込んだ。
「誠に申し訳ないのですが、お嬢様は私だけで部屋までご案内致しますので、キルシュルス様はどうぞ急ぎ自分の御部屋にお戻り下さい。確か魔法学の先生がお見えになられるはずではありませんか。」
アイリスがそう言うとキルは不機嫌そうに「そうだったね。」と詰めていた距離が少し離れた。
助かった〜、とひとまず安堵をすると「それでは帰りましょうか。」とアイリスが呼びかけ、私はそれに「うん」と相槌をする。
これでこのままキルから離れて部屋に戻ることができる。そう私は安心きった時であった。
「待って、姉さん。」
そうすれ違い様に私の左手首に触れようとした。その瞬間、私の記憶の一部が断片となってフラッシュバックした。
崩れ落ちる体。
銀色に光る鋭い物。
恐ろしい怪物。
声にならない絶叫。
それを見た瞬間、キルの手はまるで怪物のように見えた。
「触らないで!!」
そう触ろうとしたキルの手を叩いた。私は怒りの孕んだ声でハッキリと拒絶した。
私も何故そのようにしたかは分からない。ただそれは強く、彼の手を触れるを拒絶した。多分、あの時にフラッシュバックを見た影響かもしれない。そうだと思いたい。
「えっ、あ、そのそんな訳じゃないの。そ、そのご、ごめんなさい!」
余りにも気不味い雰囲気から抜け出したくて私はキルから逃げるようにして私は部屋に戻る道を走った。
「………姉さん。」
一人、樹木の下に取り残された少年は、赤く腫れた手を強く握り締め、走り去る姉の後ろ姿をじっと見つめていた。
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