第5話:発生現場
ピエールさんが言った幼なじみという言葉で、思い出したことがある。
僕とエレナも幼なじみだった。
以前、僕の家族はとある港町に住んでいた。都の本店を祖父が回している間、港町の支店を修行がてらに父と母が任されたのだ。
歴史のある港町で、古い家が多く、外れには深い森があったのを覚えている。
そんな街で、僕は魔女の子孫という女の子と仲良くなった。
彼女のおばあさん――後で『占いの魔女』という偉人だと知った――から色々な話を聞いたことが、僕の歴史好きの始まりだったのかもしれない。
ただ、最初の付き合いは長くは続かなかった。
僕は都へ引っ越し、エレナとの縁はぷっつりと切れてしまう。
最初は手紙を出したりしていたけれど、幼い子供同士のつきあいなんて――そんなものだろう。
だとしても、その後のことを思うと、当時の自分を殴りたくなるけど。
小さな魔女の記憶は、だんだんと薄れていった。
それが鮮明になったのは、2年前のことだ。
僕は家の手伝いで、かつて住んでいた港町を訪れる。
街は少し寂れていたけれど昔のままだった。
僕は、エレナと再会をした。
『魔女の血を引く』というのがどういうことか、僕はその時になってやっと本当にわかった。
エレナの姿は、僕と別れた時からほとんど変わっていない。6年が過ぎ、僕は15歳になっていたけれど、エレナはまだ10を少し過ぎた頃の外見だった。
彼女は、ひどく寂しそうに見える。
小さな姿で買い物カゴを持つ背中は、僕が大きくなったせいか、ずいぶん幼く、頼りなく思えた。
別れた時にも、エレナには友達が何人もいたと思う。でも彼ら、彼女らの姿はすでにない。彼らのうち少なくない人数が、エレナではなく、僕の方に関心があったのだとその時になって意識した。一時的に港町に住んでいたけど、都の本店は、商人の世界で老舗と有名だったから。
無神経を突き付けられた気持ちだった。
当時、すでに『占いの魔女』は亡くなっている。
再会したとき、エレナの青い目は見開かれた。
――やぁエレナ。
迷った末、僕はそう声をかける。
『久しぶり』などという言葉より、別れる前に交わしていたような言葉が図々しくも出てきた。
エレナは微笑する。
――こんにちは、ローランド。
読みさしの本をまた開き直したみたいに、僕らは友達を再開した。
エレナもそれを許してくれて、よかったと今も思う。
魔女、それも『占いの魔女』の血縁ということで、エレナが僕と同じ学園に入学するのは、その少し先の話だ。
◆
知りたい。
僕は歴史について、エレナは先立たれた祖母について。
そんな好奇心が、僕とエレナでは似ているのかも知れない。そしてそんな気持ちは、時々、僕らを協力させる。
特に、人助けになるような場合には。
「ここが現場だ」
ピエールさんが僕らへ振り向く。
殺風景な広場だった。
だいたい、10メートル四方の正方形だろうか。
グランワール学園の外れにあるこの場所は、普段は学生も生徒も近寄らない、倉庫や裏門があるだけの場所だった。
ここまで来るときにすれ違ったのは、頭巾を巻いた侍女くらいである。
四隅にある花壇と、掃除用のモップやバケツ、そして左の壁際の用具入れだけが、頻繁に人の手が入るもののようだ。それ以外は、壁のひび割れを見ても、煤けた塀を見ても、手入れがされているとは思えない。
女子生徒が消えるという事件があったせいか、風紀委員の腕章を着けた生徒が、用具入れの横に立っていた。
その風紀委員が僕らへ近づいてくる。
「委員長、少しよろしいですか?」
彼は小さなエレナに驚いたようだけど、話を続けた。
『これが噂の占いの魔女か』とでも思ったのかも知れない。
「どうした」
「実は、先ほど、挙動の怪しい男が近くの路地に来まして――」
ピエールさんは目つきを厳しくした。
「それで、どうした」
「申し訳ありません、風紀委員が近づいたら逃げてしまい……」
「そうか……いや、ありがとう」
僕はエレナと視線を交わし合った。
――犯人は現場に戻る。
そんな言葉が胸を過ぎる。
「協力者がいるってこと?」
「可能性はある。複雑な魔法であったら、消えた令嬢では難しい」
エレナも頷いた。
この広場で姿を消した令嬢、サシャ・マレット。彼女の魔法の成績は高くない。高度な魔法は無理、という結論だった。
「
エレナが口を開き、ぐるりと辺りを見回した。
「この広場には、3つの道が通じていますね」
ピエールさんが首肯する。
「ああ。まぁ、広場というより、建物の間に空いた隙間といった具合だな。見ての通り、T字路の合流地点がこの広場だ」
広場を貫くように、一本の道が走っていた。T字路の、上の横棒というイメージになる。
これが校内から広場を抜け、裏門へと至る道だ。
広場から辺りを見回すと、殺風景という印象が強まる。
ここから伸びる三本の道もまた、塀に挟まれたよく似た道だったからだ。無機質で、飾り気がなくて――『建物の隙間』という表現は、確かにぴったり来る。
ぼんやりしてたら、方角さえわからなくなりそうだ。
エレナは腕を組む。
「女子生徒はここを直進して、裏門へ抜けようとした?」
「そういうことだと、風紀委員も考えている。だが実際は、彼女は裏門も正門も通ることなく、学校から消えた」
ふむ、とエレナが顎に手を当てる。
「それも謎、ですね。とはいえ、そっちはあまり難しくないですが」
「そうだな。今日まで、消えた女子生徒が見付かっていない以上、彼女を匿う協力者がいても不思議じゃない。貴族であれば、登下校の馬車に同乗させれば足りる。女子生徒が消えた直後は、校門で人を改めさせるところまでは手が回らなかったからな」
ピエールさんは金髪をかき上げて、話を戻した。
後ろ髪を結う髪留めが、薄暗い中でもキラリとする。よく見ると、ヒマワリをあしらったデザインだ。
「道の話だったな。見てのとおり、この事件で問題になるのは、広場を突っ切って裏門へ抜ける一本道だ。しかしながら、広場で右へ曲がると、もう一つの道へ出ることもできる」
ええと。T字路の、下側の棒の部分か。
「直進せず右へ折れた場合は、校舎側へ通じているだけだ。女子生徒が利用したとは思えない」
うん、そうなるよね。
状況を整理すると、T字路の上側の横棒、そこを令嬢は逃げていた。無理矢理な婚約から逃れるために。
彼女を追跡していたのは、捕らえるための男子生徒達と、騒動を見て集まった風紀委員。
そして、マレット嬢は消えてしまった。
「マレット嬢が消えたのは、この辺りらしい」
ピエールさんは、広場の真ん中辺りをつま先でつついた。土に、靴の跡が残る。
エレナが問うた。
「ピエールさん。『らしい』というのは、あなたは、消えた瞬間を見ていない?」
「残念ながら、ね」
ピエールさんは肩をすくめた。
「私は、裏門方向から回り込むつもりだったんだよ」
T字の上側の横棒を、マレット嬢は左から、ピエールさんは右側から走ってきた、ということだろう。
「女子生徒と合流して話を聞かないことにはなにもわからないからね。だが広場を目にした時には、令嬢の姿はなかった。慌てて引き返したよ、他の路地にいるかもしれないからね」
ピエールさんは俯く。
「……幼なじみであれば、もっと早く話を聞いてやればよかったと、今になって思うよ」
胸が痛むけど、今は推理だ。
頭で状況を整理する。
物事が起こっているのは、全て、T字路の上側の横棒だ。
例えるなら――棒の左側から、女子生徒が逃げてきた。それを追う追跡者は、男子生徒達と、ピエールさん以外の風紀委員。
そして、ピエールさんは棒の右側から走ってきた。
普通なら女子生徒は挟まれていただろう。広場で消えたのでなければ――
「あの。普通に、広場を曲がったというのは?」
一番ありえそうなのが、広場を右側に曲がってしまったことだ。
だがそれも、ピエールさんは否定する。
「風紀委員の確かな証言でも、それは否定されている。そんな姿は見られていない」
だとすると――。
ピエールさんが言い足した。
「T字路の三本の道は、いずれも左右は塀だろう。計測させたが、高さ2メートル、マレット嬢が1人で越えるのは無理だ。そもそも越えようとしたところで、誰かの目に入る」
「……本当に、消えたんですよね?」
「広場の真ん中で、煙のように、姿が見えなくなったそうだ」
エレナが問う。
「足跡は?」
「女子生徒の靴跡は、広場を突っ切る形で残っていた。だが本当に突っ切ったとすれば、逆側から走ってくる私の目に入るはずだ」
エレナは、女子生徒が走ったという方向に足を進める。
「広場を出た先の道は、石畳ですか。その後は――」
「最初の数歩だけは、泥の跡があった」
「うーん……?」
僕は腕を組んでしまう。
不思議な出来事だ。ここは魔法を使える者が大勢通う学園である。消えたことには魔法が関わっているような気もするけれど、そのやり方が見当もつかない。
「ねぇエレナ。そんな風に、姿を消す魔法ってあるのかい?」
部室でも同じ質問をした。
その時の答えは『ない』。ただ、状況がわかってきた今なら、別の考えがある気がする。
「姿を消す、のやり方による」
エレナは青い目をぱちぱちと瞬かせた。
豊かな黒髪を揺らし、体も大きく揺らす。考えている時の癖だ。
「人を透明にする魔法も、人をどこかに転移させる魔法もない。だけど、この場合は――『消す』のではなく、『隠す』魔法で事が足りる」
エレナは指を3つ立てた。
「魔法でできることは、大きく3つ。『幻惑』・『操作』・『変質』」
魔法の授業で習う基礎の基礎のことだ。
僕は授業を思い出してみる。
「幻惑は、魔法で人の認識に影響を与えること。急に眠くさせたり、数を誤らせたり」
「そうね。ちなみに、人に向かって放つのは危険で、罪になる場合も多い。犯罪にもっとも繋がりやすい魔法だから」
「操作は――物体の操作」
「はい、正解。念動力、といった方がわかりがいいわね」
「最後の『変質』は、モノの性質を変えること」
「そう。ローランドが使っていた魔導具、魔導コンロとかはこれの応用ね。水というモノに対して、熱さ、冷たさ、という性質を変えている」
僕とエレナの会話は、トントン拍子に進む。通いなれた道だ。
二人で論理を確かめあえば、きっと結論にも早くたどり着ける。
ピエールさんが眉を上げた。
「なるほど? 風紀委員も、『幻惑』を検討しているところだ」
小さな魔女は首を振る。
「その場合、大勢の風紀委員達を、令嬢、あるいはその協力者が幻惑したことに。しかし、大勢の認識を同時に誤らせるのは、あまり――いいやり方ではない」
僕は尋ねた。
「どうして?」
「言ったように、『幻惑』については罪に問われるかもしれない。家の事業が苦しい状況で、さらに家族を苦しくさせるような行いを取ったとは思いにくい」
「なるほど? しかし、咄嗟に、ということも……」
いいさす僕に、エレナはちっちっと指を振った。
「『幻惑』については、追跡者が5人の場合、5回もかける必要がある。単純に、追いかけられながらやるのは難しい」
風紀委員らは不承不承といった様子で顎を引いた。
咳払いして、ピエールさんが問う。
「――なるほど。では、3つの内、2つめ、『変質』は?」
「『変質』は、モノの性質を変える魔法。状況として、女子生徒と追跡者の間に空気しかなかったとすれば――『変質』だけでどうにかなるとは、思えない」
ここまでくれば、残りは1つしかない。
「エレナ。だとすると、使われたのは『操作』だね?」
「で
「カギは、令嬢が消えたではなく、姿を隠したと考えること。なら、令嬢の姿を隠せる何かを、魔法による『操作』で持ってくればいい――か」
言ってから、僕は自分の言葉ながら困ってしまった。
「それ、何……?」
広場のど真ん中で、煙のように、姿を消してしまう魔法。
どんなものを使えば、それが可能になるというんだ……?
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