第3話:依頼人

 風紀委員長のピエール・アルモンド氏は、なかなかの有名人だ。

 まずアルモンド伯は広大な領地を持つ高位貴族であり、位は侯爵。

 爵位の序列は、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵と続くけど、上からなんと2番目だ。もう大分前になるけれど、皇后まで出したことがある名家なのである。

 ピエール先輩は、その第二子。

 嫡男ではないけれど、成績上位、実直さと華やぎを備えた容姿、風紀委員長の実績、と将来有望なお方である。


 金の髪は、一部が額の右半分を隠すように垂らされ、他はきれいに後へ流されていた。繊細な文様をあしらった髪留めが、後頭部で金髪をまとめている。

 ちなみにことあるごとに僕が営業をかけた結果、アルモンド伯は無事にローランド食品店実家が卸すお茶の大口顧客となってくれた。


「これはこれは、アルモンド先輩……!」


 途端にうやうやしくなる僕に、エレナが半目になった。


「商売人……」


 なんとでも言え。

 先輩は肩をすくめて、口の端をちょっと持ち上げた。


「ピエールでいい。学校でまで、家名がものをいうのは閉口でね」


 一方、ピエールさんは興味深そうな目をエレナに向ける。10歳くらいの姿に、『これが噂の魔女か』とでも思っているのかもしれない。

 僕らは、お茶と古書の香りが漂う一室で、円卓を囲う。

 ピエールさんはハーブティーを傾けた。


「……ありがとう、落ち着いた。最初の言葉に、嘘はない」

「失踪ですか」


 僕は前に身を乗り出した。


「『事件』であれば、まずは学園の先生や、騎士団に言うべきでは?」


 ピエールさんは目元を揉んだ。


「わかっている。当然、学園は関知している。しかしまだ騎士団には告げていない。当然ながら、大々的な捜索の許可もまだだ」

「理由は?」


 部長として、大事な友達でもあり、部員でもあるエレナを、危険なことに巻き込むのは避けたい。


「ひと言で表すと、消えた女子生徒は自分の意思で逃げたと思われるからだ。理由は、婚姻関係だ」


 風紀委員長として、何度も考えた事なのだろう。ピエールさんの口調は淀みがない。


「失踪は昨日、明日までに本人が出てこなければ、事件として捜索が始まるだろう。騎士団も動く。だがそうなったら、学園に噂が広まるのは避けられない。女子生徒に同情の余地がある分、私も大事にはしたくない」


 ピエールさんはため息を落とす。


「占ってほしいのは、いなくなった女子生徒の居場所だ。教師や我々が捜索しているが、手詰まりでね……」


 腕を組むと、『風紀委員』の腕章が目を引いた。


「君たちの占いについて、部員から噂を聞いた。『魔女の血を引く』ということは、特別な占いなのかもしれないと思って訪れた。すまないが、いなくなった女子生徒の居場所について、何か明らかにはできはすまいか……?」


 藁にもすがる思いで、ということだろうか。

 肩を落としてしまう。なぜって、この手のトラブルは初めてではないからだ。

 エレナの占いは――断言するが、へっぽこだ。

 だけどその事実は、あまり知られていない。結局、やってきた人は満足して帰っていく。満足した人は『占いはヘタだったけど』とはわざわざ言いふらさないものらしい。

 結果、エレナの占いに頼って、時々、こうした本当に厄介な困りごとがくる。


「……エレナ、どう?」

「ううん……」


 小さな手が、タロットカードを触っている。

 腕を見せたい気持ちはあるけれど、決心がつかないのかもしれない。

 ピエールさんは鞄から古い書物を取り出した。


「もし協力してくれれば、この本を差し上げようと思う。ほかにも、我が家の書庫から何冊か都合しよう」


 全身に鳥肌が立った気がした。


「『ルイス・グランによる国学史』……! しかも初版!」


 エレナが小さな眉をひそめる。


「いつもの古書集め?」

「ああ。信頼のおける歴史書で、時の王国が改訂を命じる前の版は特に価値が高い」


 僕はエレナに笑いかけた。


「国の歴史に関わった魔女についても、たくさんページを割いてる。エレナ、君のおばあさんの記録もあるよ」


 エレナの目がまん丸になって輝いた。

 魔女は長寿。有名な魔女は、時に何世紀にも渡って登場し、文字通り歴史に名を刻み込む。

 エレナは、おばあさんの――『占いの魔女』の魔法を引き継ぐため。僕は、歴史好きとしての好奇心、そしてそんなエレナを助けるため。

 『占いの魔女』の情報を、歴史を集めている。

 この歴史同好会で僕らをつなぎ合わせているのは、『占いの魔女』に対する関心だった。

 エレナはふんと鼻息をふいてふんぞり返った。


「ま、まぁ占いは、人を助けるものですからね!」


 いささか現金すぎる気もするけれど、僕も人のことを言えない。

 時々危なっかしいエレナを、しっかりと護らないと。

 ピエールさんは安心したように息をついた。


「助かる。肩の荷が下りた」


 エレナはカードを切りながら、上目遣いで尋ねた。


「まずは、詳しく教えてください。その女子生徒が、いなくなった事情を」

「あ、ああ……」


 ピエールさんは目を彷徨わせる。


「もともとは風紀委員の失態でもあるのだが……」


 そこから、ピエールさんは事件の顛末を語り始めた。


「これから話すことは内密に願いたい。失踪しているのは、サシャ・マレットという男爵令嬢だ」


 マレット……。

 エレナと顔を見合わせる。


「どこかで聞いたような」

「しっ」


 エレナが小さな指を唇に当てた。


「本学の一年生だ。君たちの一つ年下だな。豊かな赤毛が目立つ見目のよい人であったのだが、それをとある男子生徒が目に留めたのがトラブルの始まりだ」


 ピエールさんは辛そうに目を伏せる。まるで自分の妹について話すみたいだ。


「彼女の父、男爵は実業家でもある。近年、荘園からの収入が乏しくなり、商売に手を出す貴族も多い」


 僕は眉をひそめた。


「ローランド、君の家もまた事業家と聞く。ならばわかると思うが、商売は簡単ではない。男爵はそこそこうまくやっていたようだが、折からの不作、原料の高騰で厳しいようだ」


 そこで、とピエールさんは言葉を切る。


「男子生徒は支援を持ちかけた。条件は、マレット嬢と自分の婚約だ」


 うへ、と僕とエレナの口は同じ形に動いただろう。

 絵に描いたような政略結婚。

 僕は言いつのる。


「……学生で、ですか?」

「失礼だが、貴族の風習に鈍いな。貴族の令息、令嬢であれば、入学前に社交界でのお披露目デビュタントを済ませる。無論、学内で行き過ぎた逢瀬は御法度だが」


 風紀委員らしくそう付け加えて、ピエールさんは目を細める。


「逆に言えば、学生での婚約も珍しくはない」


 それは――そうか。

 ついつい平民の視線で考えてしまうけれど、貴族の恋愛、そして結婚は、平民に比べてかなり早い。

 平民は、30歳まで結婚しない男性などザラだが、貴族の場合は、ヘタをすると子供時代から許嫁という形で婚約者が決まっている。

 ピエールさんが口を開いた。


「男子生徒の家は、大いに成功した実業家だ。見目よい女子生徒と婚約しつつ、女系とはいえ貴族の籍も手に入る。なかなかよい取引だ」


 口元は笑っていても、ピエールさんの目つきは厳しかった。


「令嬢、サシャ・マレット本人が嫌がっていたことを除けば、な」


 貴族の世界も、色々と大変らしい。

 家系も、事業も、維持しないといけない。


「――話を戻そう。令嬢も、親たる男爵家も、無理矢理な婚約に当然ながら反対した。しかし、もともと落ち目の男爵家と、成功した実業家だ。圧力は仕入や借入を絞られるに至り、父親はついに首を縦に振ってしまった」


 ひどいな。そんなことをしても、気持ちが離れるばかりだというのに。

 エレナは唇を結んでしまい、ピエールさんも馬鹿らしそうに苦笑した。


「令息はそこまでやって、ようやく、令嬢に自分の家に来ることを承知させた。婚約ではなく、単なる顔合わせという名目だっただろうが、彼女の怖さはどれほどだったか」


 ピエールさんは残っていたハーブティーを飲み干した。


「本題はここからだ。馬車に乗らされた令嬢だが、彼女は学校の敷地内で、隙を見て馬車から飛び降りた。そして令息と、その使用人から逃走を始めたんだ」


 僕は目を丸くし、エレナも眉を上げる。


「やりましゅね」

「……でも、それでも、解決にならないような」

「その通りだ、二人とも。逃走する令嬢、そして追いかける男達は風紀委員の目にもとまった。『これはただ事ではない』と、私達も走ったよ」


 グランワール学園で、風紀委員は生徒を取り締まることもやっている。もともと優秀な人が集まりやすい学園だから、魔法のレベルも高い。

 風紀委員は魔法に秀でた人を集めて、校内を睨む役割もあるんだ。

 学園内の自警団、といった具合だろうか。


「そして――サシャ・マレットは、私達の目の前で消えた」


 僕は目を瞬かせた。


「消えた?」

「ああ。マレット嬢は、追いかける私達の前で、消えてしまったんだよ。文字通り、煙のようにね」


 僕とエレナはぽかんと口を開けたと思う。

 一方、ピエールさんは右手で指輪を光らせた。

 カートに置かれた花瓶から、指先ほどの水が浮き上がる。と、空中で、手のひらサイズに薄く広がった。


「――失礼。この事件のせいか、落ち着かなくてね」


 ピエールさんは魔法で生み出した水鏡で、不安そうに髪の毛を直していた。

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