「ああ、忙しいよ」
依頼されてから一週間が経っていた。
正直にいえば、今のオレは無性に苛立っていた。
もう、ソラの為に書く手紙のネタなんてほとんどなかった。
それまで漫画とか映画、歌の引用をした手紙はことごとく却下されてしまう。おまけに他の依頼も入り込んで、オレのリソースも割けなくなっていた。
こんな依頼、受けるんじゃなかったと自分に腹も立てたし、送る度に返ってくる指摘にもウンザリしていた。
素性のわからない、得体の知れない相手。勝手にしろって思う。ソラのトーク画面を開くのも嫌になっていた。自身が書いた虚空の愛の手紙など、ちらりと目にするだけで脱力感に見舞われる。
その日も丸一日なにも書く事はなく、放校後に家に帰ろうとした。教室を出ると、すぐ目の前にソラが立っていた。オレと目があった瞬間、気まずそうに視線を逸らした。
「あの……安吾くん、いま、お時間ありますか?」
「あぁ、うん。でも、歩きながらね」
オレはソラのことなど気にせず、さっさと歩き出した。
オレが一番イラ立っているのは他でもない。ソラに距離を感じていたからだ。
「最近、その、手紙がくる頻度が少ないから」
「ごめん、なかなか時間なくって」
よそよそしく言った。嘘だが、別に後ろめたいとは思わなかった。
常に妙な気分だった。お願いされてソラのために書いているというのに、ソラが受け取ってくれないような感覚だったから。
「そうなんだ。忙しいの、ぜんぜん知らなくって」
「ああ、忙しいよ。すっごく、ね」
ひどくトゲトゲしい言い方だと思う。
「ごめんなさい。安吾くん、優しいからちょっと甘えてしまったみたいです」
どこか卑屈な言い方もあって、なんだかムッとした。
下駄箱でさっさと靴に履き替えて外に出た。それでも、ソラは追いかけてきた。それがすっごく腹が立った。
「そうだね。でも優しいからってなんでもやってるわけじゃないけどね。透明人間への手紙なんか、滅多に書くわけないし」
気がつけば苛立ちをぶつけていた。ひどく尖った声音をしてたと思う。
なにぶん、こっちも余裕はなかった。恋する乙女のワガママには、もう付き合えない。ソラはショックを受けていた。いまにも泣きそうな顔で、行き場のない手が胸の前で固まっていた。咄嗟に視線を逸らしてしまう。
「ごめん、そういうことだから」
そう告げると、ソラは「ごめんなさい」とまた謝って去っていった。ソラの背中をチラリと盗み見る。
いやに項垂れていた。
俺自身、女をフッたことはないけど、見てきたことはある。
あの背中は、泣いている。
大崎青空はオレのせいで、泣いている。
トボトボと去っていくソラ。チクチクと胸が痛む。やがて、みるみるうちに見えなくなった。
ほらな。後先考えずに傷つけると、後悔するのはいつだって傷つけた側なんだ。
◇
その日の夜、ソラからメッセージがきた。
──手紙、ありがとうございます。
──それでなんですが、これで手紙の代筆を最後にしたいと思います。
──安吾くんへの負担が大きいなとようやく気付きました。やはり、こんな身勝手な依頼をするべきではなかったと後悔しました。
――ですので、この件はなかったことにしてください。もちろん、お金もきちんと払います。
──ほんとうにご迷惑をお掛けしました。安吾くん、こんな私を許してくれますか?
――遠くからでもいいので、友達でいてもいいでしょうか?
ソラからのメッセージは一方的で、どこか投げやりであった。そりゃあそうだ。あんな風に言われたら、離れるしかないから。
どうしたもんか。オレはすっかり罪悪感に悩まされていた。放校後はあんな風に尖っていたのに、ソラの消えそうな背中を見た瞬間から、自分をぶん殴りたくなった。
謝ろうと思った。でも、それすぐに行動に移せなかった。「ごめん」だけで、済む問題じゃない気がした。
両腕を枕に、椅子の背もたれに背中を預けて天井を見上げる。丸いシーリングライトの中央に、ソラのそわそわした顔を浮かばしていると、着信音がなった。手に取ってみれば、コトハからのメッセージであった。
──お疲れ。まったくバックが支払われないけど、まさかトラブル起こした?
実に現金なやつ。呆れるも、返事を返す。
──依頼はこなしているよ。ただ、お客さま本人が慎重な人でね。
守秘義務を尊重した返信。コトハはすぐに返した。
──つまり、納得してないってことだね。ご愁傷様。
可愛らしいウサギが涙を流してるスタンプ。こういうときだけ、女の勘は鋭い。コトハからのメッセージは続いた。
――でも、ここ最近見てるけど、あんまりそんな感じしないけどなぁ
──ほんとかよ
――私がウソ言うわけないでしょ?
ウサギが怒ってるスタンプ。
――だって、教室で楽しそうにスマホを眺めてるって話だよ
オレのラブレターを見てか。スタンプを送ってやる。アホ面した犬が「へぇー」と興味なそうにしてるやつ。ホントに興味がなかった。話題を変えてみる。
――というかさ、ソラはどうやってオレを知ったの? ソラのクラスには、オレの情報なんてあったか?
──いや、ないと思うよ。でも、私に来たときは安吾くんの名前を出していたよ。
――どこで知ったんだ?
――知らないよ。実は、随分前から知っていたんじゃないの?
――ほんとかよ。
――知らないって。自分で確かめたら?
ごもっとも。コトハのメッセージは追い打ちをかけるように続く。
――自分のことなんて、思いのほか知らないものだからね。
――だから、聞くんじゃん。それがあんたがすべきことでしょ?
コトハからメッセージにオレは苦笑した。そりゃあ、そうだ。オレはじゃあそろそろ寝るからまたなと半ば無理やりにやりとりを切った。
背もたれに身体を預け、ソラのことを思い出す。
子犬のようなコソコソとした振る舞いに、パッと急に明るく咲く笑顔。早口で吃音があって、人見知りなんだろうな。きっと、オレと話すのだってやっとだったろうに。
思えば、オレはソラのことを良く知らない。
でも、ソラはオレのことを知っていた。
〈安吾くん、優しいから〉
あれがオレをムカつかせた。買い被られたような気分だった。オレのなにを知ってるんだ? って。
ムカつくことばっか。けど、どうすりゃあいいんだよ。なにも言わず、泣くのはズルイだろ。オレは頭を掻きむしる。途端にコトハの言葉がリフレインした。
――だから、聞くんじゃん。それがあんたがすべきことでしょ?
ムカつく言い方だったが、モヤがかっていたオレの頭をぶん殴るには、ちょうど良い言葉であった。
ベッドにダイブして、リモコンで部屋の灯りを落とす。
真っ暗な部屋の中で、想像する。もしかして、ソラはずっと前からオレのことを知っていたんじゃないか、って。
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