第二章 焦燥
第1話 浮島の秘密
長い時間歩き続けて分かったのは、ゼニムス島は目立った大きな村や街がほとんど無いという事だ。建造物の群れを見かけても、家を持たず仮の住まいとしている人がいるだけで、街としての機能は失われているものが多かった。人が少ないのか、サタユキさん達みたいに逃げ込んでひっそりと暮らしていて、見つからないのか。
小さな丸い島がひとつあるだけのシルメン島と比べ、東から西にかけて長く伸びる大きな島に、外周にも小島がぽつぽつ並ぶ。そんなゼニムス島で、西にあるという目的地を目指して歩けば、太陽の昇る昼間は大した出来事も無く過ぎ去るのだった。
突進する猪のような動物の群れをやり過ごしてから、乾いた大地を再び歩く。東の方には森があったけど、次第に自然は失われ、荒野のようになっていた。同じ島の中で、どうしてこうも環境が違うのだろうか。
「見渡す限り何も無いと、夜は不安になるかも」
暮れる空を見て、わたしは杖を体に寄せた。
『しかし同時に、見えるものが増える事もある。荒野の夜、お主の服は先の猪を呼び寄せるやもしれぬな』
「こっここ、怖い事言わないでよデバイス……」
「その修道服は民にとって、先の見えぬ闇の中、レイナ様へ続く道を示す光でもあります。デバイス殿も、あまりキュアラ様を脅かさないでくださいますよう」
おじさまが穏やかに注意すると、デバイスの笑い声が聞こえた。
『こやつはどうにもからかい甲斐があるのだ。多少は許せ』
「えっ、わざとだったの⁉ ひどい!」
『純粋すぎるお主を見ると、時折不安になって教育をしたくなる』
「むー」
頬を膨らませたわたしは、どうにかデバイスに反撃してやろうと、頭の角を片方、指で軽く弾いてやる。
「ぴゅぅぅ……」
振動による刺激が、額から全身にぞわぞわと伝わって自滅した。その様子を笑って見守っていたおじさまが、近くの崖の方面を手で示す。
「では、あちらの光はどうでしょう。昼からあったはずのものですが、今になって道しるべとなってくれる、大地の光ですぞ」
「大地の光……?」
進行方向を僅かに曲げ、示された光に目を凝らす。崖っぷちの地面にぽつりと立つ小さなそれは、シルメン島でもいくつか見かけた鉄の物体だった。そして今思うと、神殿や篝火台の装置に類似するものだ。
「レイナ様のご加護! この島にも存在するんですね」
駆け寄って祈りを捧げる。浮島の端にあり、雲海を見下ろすと落ちそうで怖い。なので祈りを終えたらとりあえず数歩下がった。
わたしの膝にも届かない高さの四角錐。高い位置の面にそれぞれ一つ丸い粒がくっついていて、それらから赤い光が点滅している。耳を澄ませてみると、神殿の装置と同じように音が鳴っていた。これは今になって気付いた音だけど、シルメン島の装置でも鳴っていたかもしれない。
「しかしおじさま。これは一体どういったものなんですか? レイナ様が世界を守るためにあるとは教えられましたが……」
今となっては、そんな曖昧な説明ひとつで納得は出来ない。それが信頼に値するか、自分の意思で見定める――とまではいかなくても、せめてもう少し理解を深めたい。
おじさまは片膝を着いて、その装置を優しく撫でた。
「その認識で間違いありませんな。レイナ様はその力や機械によって様々な事をしておりますが、この装置は我々人間を始めとした生物の為ではなく、この世界――アクラウム島嶼群の姿を守るためにのみ存在します」
「その装置……機械によって、それぞれ役割が違ったんですね。人の為とか、島の為とか」
色んな場所で見かけた機械は、形や大きさこそ違えどやる事は同じで、レイナ様の力を使う為に必要くらいの認識だった。だから一度聞いたらレイナ様の全てが分かると思ったけど、そう簡単な話でもないらしい。
「ええ。島々がこの場に浮き続けている、その理由がこれですぞ。このすぐ下の空に重力の変動や特殊な磁場があるわけでもなく、島自体に浮力があるわけでも無いのです。今こうしてアクラウムで生きている事、それ自体がレイナ様の御力によるもの、という事ですな」
「な、なるほど……?」
つい首を傾げてしまう。途中難しい話が連続して分からなくなってしまった。否定文で除外された要素を一旦放り出して、話を整理する。一つ疑問が浮かんだ。
「でもそれだと、レイナ様の力が制限されてしまったシルメン島は危険なのではないですか? 浮力になる魔法を炎で消されたら、考えられるのは……」
「むむっ」
おじさまが目の皺を寄せて唸る。装置を見下ろし、腕を組んだ。
「おっしゃる通り。拙僧も歳ですかな、全ての知識、記憶は保持出来ぬのやもしれませぬ。嘆かわしい事に」
珍しくおじさまが困っていると、デバイスが一言入ってきた。
『その程度対策しておる。炎に阻害されない存続の為、別の存在による力の加わった装置なのだ。当然我や邪教とも別だ』
「覚醒の篝火台みたいに、レイナ様の力以外でも働く必要がある機能には、こうした装置は置かれてるんだね」
『今度はお主の方が理解が早いな。ホルクスもこれを機に、共に世界を疑うのだ』
当たり前に生きてきた世界には、実は沢山の秘密があるかもしれない。今地面に立っているのが少し怖くなってふらついたけど、同時に興味も沸いて気分は上がった。
お勉強みたいでワクワクする。お姉ちゃんやお兄ちゃんに色んな事を教わるのは楽しかったけど、今度はわたしが何か新しい事を教えられたらと思う。驚くふたりにエッヘンってやりたい。
「そういえば昔から、拙僧はシルメン島外周にあったこの装置を巡って散歩をするのが趣味でしたな。きっと拙僧にとっても大切なものであった筈。故に気がかりで、記憶が薄れゆくのがむず痒く、またもの悲しい……」
声音からも、おじさまが落ち込んでいるのが分かった。高い身体能力とか、愉快な姿とかを見てきたけど。それでもおじさまだって、こういう悩みは抱えているみたいだ。
わたしは再び崖へ歩いて膝を着き、おじさまを横から覗くように見上げた。
「おじさまは賢いですから、きっとすぐ思い出せます。それでもまた忘れそうになるなら、わたしに話してください。わたしがおじさまの分まで、記憶を残して、伝えますから」
「ありがたい事です。しかし、くだらない私事かもしれませぬぞ?」
「それでも知りたいです。おじさまの事好きですし、せっかくこうして傍にいるんですから。趣味の事なら、前向きでいた方が思い出せると思います。笑顔笑顔、ですっ」
両手を握って笑いかけると、おじさまも笑った。
「ほほ。そうですな。拙僧としたことが、不甲斐ない姿をお見せしました」
おじさまが膝を伸ばし、わたしもその手を取って立ち上がる。おじさまに支えられて眺める島の外は、広々として綺麗だった。けど、始まった夜の暗さも実感した。
「寄り道はここまで。先を急ぐと致しましょう」
「はい。ちょうど遠くに沢山の光が見えます。人の集まりでしょうか?」
「でしたら、今夜はそこまで歩き、あわよくば野宿回避ですな。ほほっ」
荒野はここから下り道になり、遠くがよく見えた。目指す光のさらに奥には、特段強い光が煌めいている。あそこがカルロ・ゼニムスさんの居場所だろうか。
あえて先行して歩き出し、おじさまを導いた。一瞬振り返って様子を見てみる。おじさまは装置の小さな光を一瞥してから、こちらに向き直って歩き始める。
その顔にはもう、僅かな不安さえ見えなかった。
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