第10話 明日への希望

 魔法が失われた世界は新鮮だ。回復が使えないというだけで体が脆くなったようだし、祈りに応える感覚が無くて不安に陥る。しかし魔法によって複雑な思いを抱えてきたわたしとしては、目に映る平和が安心するし、重力が少し弱まったように身軽さを感じる。

 黒い霧の晴れたベルさんは、エリーさんのいた場所に重ねるように手を伸ばしている。焦点の合わない目が揺れている。

 サタユキさんはベルさんに向き合って頭を掻いた。

「どうしたよベル。じっと俺の方見て」

 わたしは思わず吹き出し、ベルさんはため息をついた。

「見ていたのは別にお前じゃない。……いや、お前しか目の前にいなかったな」

 手を下ろしたベルさんは、普段の暗い顔に戻ってしまった。わたしは再び傍に座り、念のためその体を見る。

「体調などはいかがですか? 邪教の脅威は去りましたが、体内魔力の濃いエルフ族ですから、何か違和感などありましたら……」

「違和感は当然ある。森から力が伝わらないし、残された自分は空っぽのようだ」

 睨むような目線を向けられて、わたしが目を少し細めると。遅れてベルさんはそっぽを向いた。

「別に、体調不良や後遺症は無い。安心しろ」

「そうですか……! なら、良かったです」

 言われた通りすごく安心して笑った。おじさまが会釈をするように頭を動かすと、みんなの視線が一斉に移った。動かない時の驚異的な静けさによる力だ。

「この地の一件も一段落ですかな。この時期の夜は冷えます、続きは遺跡でイロリを――炉を囲んでいたしましょう」

 全員同意し、月明かりの森を後にした。わたしはおじさまに先を譲り、開いた扉を支える。そのまま静かに、外の彼を見守り続けた。

 一人で空を見上げるベルさん。やがて歩き出すと、扉で待機していたわたしに気付く。

「全く、お前は」

 独り言のように吐き捨てながら通り過ぎ、遺跡の家に帰還する。わたしは笑って扉を閉めた。

 ベルさんもお兄ちゃんみたいに、一人でどこかへ行ってしまわないか、不安だった。だからこうして帰ってきてくれた事が、とても嬉しかった。



 サタユキさんが火打ち石で点けた、炉の火を囲んで四人座る。わたしの右がベルさん、左がおじさま、正面にサタユキさんだ。男性陣があぐらをかいたり片膝を立てたりする中、わたしだけが正座だった。

 ここもわたしにとって、落ち着ける場所になった気がする。フードを脱いで髪を服の外に出すと、サタユキさんがすごく驚いた顔をした。そういえば見せた事無いし、長髪って初めて知ったかもしれない。恥ずかしがりながら目線だけ上げると、サタユキさんは嬉しそうに笑った。ベルさんは一瞥くれた程度で、特に反応しなかった。

 おじさまが二つの木の実を半分に割り、それぞれに配る。中で揺れる汁が、炉の火で光る。両手で支え、ちびちび飲んでみる。甘くておいしい。ほっぺふにゃふにゃになった。

 みんなが木の実を一旦床に置いたのを見計らって、サタユキさんがベルさんに目を向ける。真剣な表情だった。

「さぁて、ベル。これからどうするよ。まだ死にたいって思ってるか?」

 ベルさんは右手で頭を支えて俯き、首を横に振る。表情は暗かった。

「もう死なない――いや、死にたくたって死ねない。エリファネルは僕の生きる理由で、だからこそ死ぬ理由にも出来た。それ以前の退屈な日々の中でさえ、世界からの逃避を実行に移せなかった臆病者だ。彼女も、力も失った今の僕には、何も出来はしない。ただ環境に見放された植物のように、しけり、腐っていくだけだ」

 わたしは胸の上で手を握り、言葉を探す。勝手に引っ張り出し、その上で全てを奪った張本人である認識が、かける言葉を制限していた。

 おじさまが顎に手を添え、前向きな音で唸った。

「アクラウムにおいて魔法は遥か古来、その原初より、当たり前に存在し続けたもの。世界は新たな歴史を歩まんとしております。失われたと悲観するより、未体験の新世界に期待するといった心構えはいかがでしょう? ――少なくとも拙僧は、この旅をそのように思っておりますぞ」

 最後の言葉は、わたしに向けて発されていた。おじさまなりに、わたしも励ましてくれているのだろう。

「理屈は分かるが、僕にそんな思考が出来るとは思えない。僕は見ての通りつまらない奴だからな」

 ふてくされるベルさんの発言に、サタユキさんが笑う。向けられたベルさんの視線に動じる事無く、得意顔で人差し指を立てた。

「もっと自分を大切にしろ。楽しめ、長命なくせに勿体ない」

「なっ……!」

 ベルさんが驚き、狼狽えていた。それはかつてベルさんが、サタユキさんにかけたという言葉にとても似ていた。

「ベル。お前は元々、楽しむ気持ちをちゃんと持ってた。今のお前みたいに明日への希望を失っていた俺に、それを与えてくれたんだよ」

 言い返してこないベルさん。サタユキさんは笑顔で握りこぶしを作った。

「楽しんでいこうぜ。今日の、明日の時間は物理的には平等だ。この新世界、俺とお前の時間は重なったんだ。短命も長命も関係ない。そうは思わないか?」

 ベルさんはしばらく言葉を受け止めるように黙り込み、その後、また俯いてしまった。

「そうあれたら、それが一番だろうが……。僕は、楽しめるんだろうか……? 彼女の願い通りに、笑っていられる自信が無い……」

 その言葉を聞いて、わたしは一歩踏み込んで明るく笑った。

「笑いたいと思えたなら、もうあなたは笑えるはずです! ちょっと頑張って笑ってみてください。笑顔笑顔、ですっ」

「――ハッ!」

 ベルさんがわたしの発言か顔か、何らかの理由で嘲笑うように息を吐いた。ちょっと理想とは違うけど、でもやっぱり笑えた。

「そういつだって笑えるなら、僕は今こうなっていない。明るいだけの世界を見て、眩しいくらいにいつまでも笑いかけられる、お前みたいにはなれない」

 そんな人でありたいとわたし自身思って行動していたけど、どうやらベルさんには逆効果になっていたみたいだ。内心ちょっと悲しくなっていると、サタユキさんが鋭く割り込んだ。

「好き勝手言いすぎるなよ、ベル。俺は知ってるぞ、メレザちゃんがいっぱい抱え込んで、悩んで、苦しみながらでも頑張ってるって事」

 二度目の蘇生の際に、見せてしまった泣き顔。きっとそれを思い出して怒ってくれているのだろう。彼のその苦しい表情を見て、わたしは気持ちだけでも感謝を伝えた。

「――なあ。どうしてメレザちゃんは、それでも笑っていられるんだ……?」

 純粋な疑問か、ベルさんの代弁か。サタユキさんの質問を受け、わたしは改まって踏み込んだ足を戻した。

「わたしも実は、そんなに明るい子じゃないんです。日々が辛くなかったというと、嘘になります。でも、わたしが笑うと、相手も笑ってくれるから。そして世界が明るくなったら、自然と笑えるようになります」

 サタユキさんに笑いかけると、笑い返してくれる。少なくともベルさんも、暗いだけの表情は維持できなくなっていた。

「すると今日が、明日が楽しみになります。これは繋がって、続いてくれます。つい暗くなって落ち込んでも、希望が残っているから、わたしでも笑えるようになります」

 明るくない子が言うには矛盾した話に聞こえそうだ。ベルさんが片目を広げながら口を挟む。

「暗い存在に、自分から笑える力は無い。その最初の笑みは、希望は一体どこから来る?」

 わたしは頷いて、大好きなお姉ちゃんを思い出した。

「わたしより先に笑ってくれた、大切な人から貰いました。今は会えなくても、貰った笑顔と、幸せと、この教えを覚えています。だから今度はわたしが、わたしみたいに笑えなかった人に与えられる側になりたいんです」

「今のメレザちゃんを形作ってくれた人っ……良い人だったんだろうなぁっ……」

 サタユキさんは涙目で拍手してくれた。受け売りが評価されたら、お姉ちゃんが評価された事になるので嬉しい。

「明日への希望は、与えられるもの。それなら、僕にも理解できるかもしれない」

 ベルさんが頷く。エリーさんを思い出しているのだろうか。その顔に浮かんだ微笑みで、わたしはようやく、彼を蘇生したという罪が少しだけ赦された気がした。

「よっしゃ! なら俺の笑顔はどうよ! お前のおかげで生きようと思えたんだ、今度は俺が与える番ってね!」

 突然立ち上がったサタユキさんが、ベルさんに満面の笑みを向けた。炉の火より輝いて見える。音でも鳴ってるくらいに。

「もう既にエリファネルから貰っていた事を思い出した。やかましいお前の顔は要らないな」

「おいおいそりゃねぇぜ!」

「ふふっ、ふふふっ」

「ほっほっほ」

 わたしとおじさまがつられて笑ってしまった。

 今夜のこの時間は楽しかった。そうみんな思えただろう。

 なら明日も、きっと楽しいと良いなって、思える。

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