第9話 真実の思い

 回復しても記憶に残る痛みと共に、今更ながらに戦闘の恐怖で足のバランスが悪くなる。杖を支えにして落ち着けるように呼吸するうちに、他のみんなも戦闘終了を実感したみたいだ。

「エリファネルッ!」

 真っ先に叫んだベルさんが、エリーさんに駆け寄る。わたしも向かわなくては。

 幸い腰は抜けてない。震える足に安全を言い聞かせ、踏ん張って歩き出す。

「おい、キュアラ。これは一体どういう事だ……!」

 ベルさんがわたしを見て声を震わせる。その畳まれた膝の向く先では、一部分の空間だけ酷く歪んでいた。近付いて目を凝らすと、横になっているエリーさん本人と分かった。ベルさんと同じく、闇の霧を纏っている。

「そんな……もう影響が……!」

 あのような魔物の中にいたら必然的とも言えたが、考えたくない可能性だった。

 おじさまと一緒にサタユキさんも駆けつけて、霧を纏う二人とわたしを交互に見る。

「なあメレザちゃん。結局その邪教ってのは何なんだ? 二人は、どうなっちまうんだ……?」

 わたしは新たな情報を頼るようにデバイスに確認する。

『お主の知るままよ。魔法をこちらの都合の悪いように反転させる闇の魔力、及びそれを纏う魔物や武器を呼び出す何者か。レイナは自身が暴走した理由をその干渉によるものと言ったが、レイナの力に干渉できる者など、我を除いて存在するとも思えん。乱心の言い訳と捉える事も出来るほど、我らはそれについての情報を持たん』

 悔しさに歯を食いしばりそうになった。一呼吸置いて、サタユキさんに返答する。

「戦闘中にお話しした事が全てです。受けたら最後、魔法は悪い方向に作用するようになります。魔力だけで存在しているエリーさんは、もう……正常な活動が、出来ないかもしれません」

 わたしの言葉で、静寂が生まれる。苦しむエリーさんの顔から目を離さないベルさんが、地に着いた拳を握りしめる。

「これは、成就だ。選ばないようにしていた手段を実行し、望まない形で願いを叶える。残酷な力にして、僕自身が抱えた闇だ。僕が、悪いだけなんだ」

 魔法はレイナ様に願った祈りの成就。それを狂わせるのなら、真に迫る解釈と言えた。

「僕の渡せる魔力にも限りがある。僕はそれでも、消えゆく彼女と共にいたかった。そのために様々な方法を試した。森に魔力の茨で壁を張り、彼女の魔力を内部に閉じ込めた。だがそれは、完全に魔力を逃がさない密閉空間の檻を作り彼女を監禁する――そんな手段を取れなかった僕の、中途半端な城壁だ」

 嘆くベルさんの背を、膝を着いたサタユキさんがそっと触れる。

「そうやって、非道になりきれずにいた最後の手段が、一緒になって消えるってか。なんだよ、怖すぎるよお前。でも、本当にイイ奴じゃねぇか。ベル」

 わたしも膝を着いて、声をかけた。

「そして叶えられた自身の願いも、エリーさんのために否定しました。そう自分を責めないで下さい、ベルさん」

 エリーさんが僅かに目を開き、ベルさんがさらに近付いた。

『案外すごいコトしてたのね、カワイイ子』

 エリーさんはベルさんの頭を撫でるように手を動かす。触れる事は出来ず、すり抜ける。ベルさんは静かに嗚咽を漏らした。

『体が蝕まれてくのを感じる……悪夢でも見てるみたいに、わたし自身があの木の魔物になっていくイメージが見える。流石にもうリミットみたいね』

 エリーさんは顔をわたしに傾け、どこか遠くを見るような目線を向けた。

『キュアラちゃん。メレザって、あのメレザよね。幻の島から来たのなら……オリゴって名前の人は知ってる?』

 突然の話に驚く。そういえば彼はゼニムス島からの来訪者だ。質問の意図を察し、わたしはすぐに頷いた。

「はい。今はシルメン島の村でお仕事を頑張っていますよ。ご家族と離れた事を悔い、それでも前を向こうと必死になっていました」

 邪教襲来後に旅を始める前にも、無事避難していた彼に挨拶をしてきた。もし家族に会えたら生き残れるよう助けてやってくれと、切実に懇願された。

『そう。本当に凄い人ね。ワタシ達も信じて進んでいれば、こうはならなかったかもだけど。まあこれはこれで、良い出会いに恵まれて良かったかもね。――娘と息子にも会えたら、同じ話をしてあげてね』

「えっ、エリーさんがオリゴさんの、えっ、ご家族の、お母さんなんですか⁉」

 なんというか年齢が、違いすぎるような――なんて困惑していると、ベルさんが呟くように割り込んだ。

「魔力分離した際に外見年齢は若返ったらしいが、彼女の魂年齢は四十を超えている。――というか、既婚だったなど初耳だぞ、エリファネル!」

「騙された! おねーさんって年齢じゃねぇ! おいベル、お前そのくらいの女性が好みで……」

「失礼が過ぎるぞサタ! 僕の基準では彼女くらいがうら若き少女で……!」

『うふふっ、うふふふふっ!』

 エリーさんが笑って、ベルさんの顔に手を添える。漂う闇は濃くなるが、それにより透明な体も全体がくっきり見えてくる。

『トナベル君はこうでなくっちゃ。珍しい泣き顔なんかより、最後もちゃんと笑ってみせて、ね? ――あらあら言ったそばから。ほーら、泣かないのっ』

 最後。その単語を繰り返して涙を流すベルさんと、あやして慰めるエリーさん。今の二人の姿はわたしから見て、母と子のように映った。もしかしたらお姉ちゃんとわたしも、似たような姿だったかもしれない。

『場も和んだ所で、キュアラちゃん。アナタって魔法や魔力を綺麗に消せちゃうのよね』

 いつ切り出そうか迷っていた話題を、エリーさんの方から出してくれる。でも、わたしも心の準備が出来ていない。

「はい、そうですけど……で、でも……」

『このまま魔物と化すよりは、このワタシのまま終えたいし。あと、キュアラちゃんに送られるなら、安心できる』

 わたしが言えないでいた事を、代わりに言ってくれる。本人の覚悟が出来ているのだ、わたしがこれ以上狼狽えていてはいけない。

 涙を拭うベルさんに、視線を向ける。気付いてこちらを向いた表情には覚悟が宿り、無言の頷きには力が籠っていた。わたしもそれに頷き返す。

『キュアラよ。ここは炎の対象を単体ではなく森全体にするべきだ。篝火が無くともその程度の範囲なら出来る。真に憂いを晴らし、平穏を望むのなら。お主は全てを見据えねばならない』

 空気のように周囲から魔力が流れ込むから、最終的には篝火の力が必要かもしれないと付け足してきた。でもデバイスの見立てでは、稼ぐ時間としては十分という判断だろう。

「大丈夫だよデバイス。最初から、その覚悟は出来てる」

 わたしは立ち上がり、数歩足を引き、右手で杖を立てた。おじさまが片膝を着くと、みんながわたしを見上げる形になった。

「わたしはこの地を浄化し、かの霧や魔物の被害を防ぐために来ました。未熟で、優柔不断で、踏ん切りがつかないせいで。こんなになるまで何も出来なくて、本当にごめんなさい」

 目を瞑り、胸の前で左手を握る。一瞬の迷いを、怯えを断ち切る。傲慢でいい。勇気で一歩踏み出せ。

「この森にもたらされる魔力を全て祓います。魔法は使えなくなりますが、魔物も発生せず、平穏が訪れる事と思います」

 サタユキさんとベルさんが驚き、目を見合わせる。魔法はこの世界に当たり前にあった常識のようなものだ。その反応も無理はない。

 エリーさんがそんな二人の間に割り込んで正座し、にこにこと笑いかけた。笑みは全員に伝搬され、怖いものはなくなった。

 開いた左手にメレザの炎を宿す。重い、重い使命を感じる。

「エリーさん。この力は幻想を裂き、真実を見定める炎――らしいです。ですけどわたし、あなたの事を幻だなんて思いません。くれた言葉は、伝わった思いは。わたしの中に残る、確かな真実ですから。本当に、ありがとうございました」

 エリーさんが笑顔で頷く。わたしの中に眠る炎の行使者も口を挟まなかったから、同意と見ていいだろう。

 炎を掲げ、夜空を見上げる。一度落ち着いた闇は、再びうっすらと見え始めていた。

『「天望の開展庶幾かいてんしょき睥睨へいげいせよ! 天網の六百三十よ照覧あれ! 爪にて裂き、炎にてただす。我、此処に裁断紅蓮のえきを果たさん!」』

「エリファネル。僕は、あなたと出逢えた事を後悔しない」

『ワタシもよ、トナベル君。明日もどうか、笑顔でいてね。……ちゅっ』

 二人の挨拶を聞き届けたわたしも、思わず笑みをこぼしてしまった。夜空の輝きを見据え、詠唱を完了する。

紅蓮の祝福セイクリッドブレイズ!」

 天高く昇った炎が、闇を祓う。強風が吹いたかのように、森の木々が一斉にざわめいた。魔物が沈んだり、無垢な植物や動物になった音だろう。

 反動で弾かれた左腕と、よろめく体を杖で支える。小さく息を吐き、正面のみんなに微笑みかけた。

 そこには男性陣のみが残され、エリーさんの姿は、見えなくなっていた。

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