第4話 独りよがりな願い

 早朝、貯めこまれていた雨水の池で水を浴び、回復魔法で池も体も清める。

 森の中だとよく見えないが、空の色を変え始めた日の出の東へ、真摯な祈りを捧げる。木々の隙間を通り抜け、光がわたしを迎え入れる。一日の始まりだ。

 わたしが一番寝るのが遅かったけど、起きる時間はいつも通りで最速だった。シスターとしての生活が定着している。この旅で寝不足になりすぎないようにしないと。

 祈りを終えて振り向くと、もう他の三人も起き始めていた。サタユキさんがおじさまに斧の振り方を教える中、そこを抜け出したベルさんがこちらへ歩いてきた。

 朝に弱いのか、それとも別の理由か、普段通りなのか。くたびれたように半分閉じた目で、わたしを見ていた。こちらは首をわずかに動かし、笑いかけて応対した。

「ベルさん、おはようございます。身体や記憶の調子はいかがですか?」

 ベルさんは私の前に立つとそれ以上は微動だにせず、片目だけ少し瞼を上げた。サタユキさんと逆で、アクションの小さい人だ。

「僕はトナベルなんだが……サタの影響か」

「あぁっすみません、馴れ馴れしかったですね」

「別に構わない。お前が僕を蘇生させた名前の長い奴か。この通り身体も動くし、記憶も戻った」

 この通りと言いながら固まっている。

 増えて長くなりすぎたせいか、名前は覚えられてなかった。自然に呼ばれるならともかく、こちらで選べるなら――と、少し迷って名乗る。

「はい、キュアラとお呼びください。お元気そうで安心しました」

 幽霊とされているだけあって、例の魔物さんの件は夜捜索となる。よって午前はこの遺跡もとい家の手伝いをする事となった。役職を事前に決めていたわけでもないけど、おじさまが斧を手に奇声のような雄叫びを発しているので、自然とわたしはベルさんを手伝う流れになった。

「僕やサタの服はここにかけてくれ。御付きの爺の分も少しあるが、並びはお前の好きにしてくれ」

「はいっ」

 洗濯物を抱え込み、遠くの木から木に張った長いつるの上にかける。みんな体格に差があるので、なんとなくサイズ別に分けていく。

「お前の服はいいのか? 干したい下着やらがあったら、また別で蔓を伸ばすが」

「あっ、いえ、その……靴下だけ、お願いします」

 この手の話題は早々に終えたかったので、すぐに声を繋げる。

「というか、蔓って急に伸ばせるんですか?」

「……伸びろ」

 ベルさんが突然手を振ると、森から蔓が飛び出してきて、洗濯物が干された近くに並んで張った。わたしが目を輝かせて感嘆の声を上げると、表情を緩めそうになったベルさんが目を逸らした。

「エルフの魔法――家の照明のために燃やしているのもこれだ。サタの言う幽霊と似た能力だが、俺のは森の木々から発生させるのに対し、彼女は何もない空中から茨を伸ばす」

「彼女……ですか?」

「うっ」

 幽霊、彼女。追求すると、ベルさんは目を逸らしたまま黙り込んだ。

「むー……」

「……人間の女性の姿をしていたんだ、それだけだ」

 そういえば、ベルさんは幻惑魔法のようなものにかかっていたらしい。それで誘われた先で色々あったのなら、サタユキさんより情報を持っていそうだ。

「ユウレイさんの事、何か知っていたら教えてください。今夜調査予定ですし、ただの魔物と分かれば対処は容易です」

 人型なら、もし知性があるとしたら会話という手段も取れるし安心だ。色々想像したけど、ベルさんはぶっきらぼうに吐き捨てるだけだった。

「何も知らん。むしろ、だからこそ知りたくて進んだんだ」

 ただそれでも、一つ分かった事がある。

「自分の意思で、進んだんですね。サタユキさんは、惑わされたって言ってました」

 しばらくの静寂。そよ風で草木と洗濯物が揺れると、ベルさんは真剣な表情で向き直った。

「キュアラ。お前は、人の恋愛感情をどう思う」

 唐突な質問だった。わたしはその単語に関わる、過去の出来事を振り返る。わたしを見てくれない時の、お兄ちゃんを思い出した。

「わたしには、分からないです。でもちょっと寂しくて、怖いです」

 俯きはしないけど、眉は少し困ったように下がった。ベルさんは頷いた。

「同感だ。あんなものに短命種族が惑わされ、狂うなど浪費が過ぎる。実に恐ろしい。人間というのは」

 言葉には恨みがありそうだった。けどその発する声は、表情は、楽しそうだった。

 レイナ様を見上げる、お兄ちゃんみたいに。

「ベルさん。わたしは今夜、そのユウレイさんに会いに行きます。あなたが望むなら、一緒に行ってみませんか? 今度は、死なせないように守ってみせます」

 きっとその感情を向ける相手が、ユウレイさんなのだろう。だから、もう一度声をかける必要があると思った。

 話せなかったお兄ちゃんは、いなくなっちゃったから。

 ベルさんは首を横に振る。そして半目をさらに細め、睨みつけてきた。話題が話題だっただけに、足が一瞬竦む。

「やめろ。それ以上僕に構うな。僕は僕のやり方で、これからを進む」

 サタユキさんがこっちに向かって大きく手を振り、ベルさんの背に声をかけている。大きくため息をついたベルさんが体を回し、歩き出そうとして止まる。

「お前は僕を蘇生させた理由を、願ったからだと言ったな」

「はい。サタユキさんのためにも、わたしが何か、できたらと……」

 首だけ振り向いたベルさんの目は、生気を失ったように虚ろだった。

「僕は蘇生を願ってない。自分の思う善を、救済を、勝手に押し付けるな」

「っ……!」

 遠ざかる背中に、何も言えないまま立ち尽くした。

 今回の蘇生で、比較的心が落ち着いていた理由が分かった。わたしはサタユキさんのために、つまり既にこれからを生きていける生者を思って魔法を使ったのだ。サタユキさんの話から得た情報から、ベルさんのこれからを生きたかった悔しさ、悲しみといった気持ちは伝わらず、ただサタユキさんの思いだけがあった。

 勿論、ベルさんにこれからを生きて欲しい気持ちもあった。失われた時間を取り戻し、もっと先にあったかもしれない、幸せを得られる時を逃さないように。でもそれは、わたしの独りよがりだったのかもしれない。

 だからって、あの場で蘇生をしない選択が正しいなんて、思いたくはなかった。でもこの考えは、思いは、ベルさんにとっては迷惑で。

「わたし、みんなが救いを求めてると思ってた。よくなかったのかな。どうしたら、よかったのかな」

 ねえ、デバイス。……分からない、のかな。ならごめんね、分からないならいいんだ。

 こういう時でもなんだって答えてくれるお姉ちゃんは、今はいない。

 わたしは答えの出ない問題を、延々と巡らせ続けた。

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