第2話 森の冒険
暗い夜の森は静かなようで騒がしく、草木の動く微かな音でさえびっくりしてしまう。でも直前に歩いた霧の道と比べれば当然視界は悪くない。杖を両手で握って歩けば、伸びた背筋を維持できるほど余裕があった。
『先ほどは我の炎を使わなかったのだな。まあ彼奴らがいずれシルメンに向かうなら問題は無いが』
「邪教の黒い霧は出てなかったよ。あと、覚醒の篝火を探せば自然と魔力は消えるんじゃなかった?」
『そう簡単に篝火が見つかるとも限らぬ。それに邪教は今後、魔法が使用可能なあらゆる場所に干渉する可能性がある。訪れる地から一つ一つ、力を封じるべきであろう』
「分かった。ならこうした寄り道にも、ちゃんと意味があるって事だね」
わたしはポジティブに思考して頷いた。元々は森に入らない予定だったけど、流れで脇道に逸れている。しかしただ一直線に進んでしまった場合、わたし達の知らない所で被害が起きてしまうかもしれない。
そしてこの方針は家族捜索においても好都合だった。お姉ちゃん達の居場所が分かったとして、そこに向かってもルートから外れない自由があった。
「でしたらキュアラ様。ここからこちらへ進路を変え、アレを見に行ってもよろしいですかな?」
おじさまが指差した方角は、森のさらに奥深く。今以上に道が暗くなると思いきや、そこだけ木の群れが存在せず、月明かりが届く空間があった。
『あそこに見えるは、小さいとはいえ遺跡だな。東方大陸特有の建築構造をしておる』
デバイスが興味を示した対象は、わたしにはまだよく見えない距離だ。月明かりの空間は何もないわけではなく、緑の世界にぽつんと茶色っぽいものが佇んでいる。
「拙僧は今、胸の高鳴りを感じています、わくわくですぞ」
おじさまが声を弾ませている。つられてわたしも楽しくなってきた。知らない道から新たな発見、旅の醍醐味かも……!
「あれが安全な建物だとしたら、焚火で野宿も免れたりするかも、ですかね⁉」
「その通りですぞ! ささ、夜も深まる前に確認するといたしましょう」
勿論警戒は怠りませぬ故、と付け足したおじさまと一緒に、半ば駆け足になって遺跡を目指した。
『止まれ!』
デバイスが叫ぶ前に、わたし達は足を止めている。近付くまで分からなかった大量の茨が、先へ進む道を塞いでいる。木から木に繋がっているように張られ、強度は高そうだ。
「デバイス殿がこのようなものに鋭い警告を発するとは。どうされましたかな?」
おじさまがわたしの分まで尋ねると、すぐに返答が聞こえる。
『強い魔力を帯びている、この茨自体が発動中の魔法のようだ。普通の茨と違い、触れれば痛いだけでは済まんかもしれぬぞ』
それを聞いたわたしが一歩身を引く。しかしこうなるとおじさまが手で取り除いたり、わたしが杖で叩くのも危なそうだ。
「どうやら、あの遺跡の空間を囲むように張り巡らされているようですな。恐らく伸び続け壁になる魔法といったところ。迂回しても茨に当たりましょう」
「うーん。ここまで来て引き返せないし、どうしよう……」
奥に何があるか怖くなるけど、戻る道の森が安全かと言われるとそうでもない。わたしが首を傾げていると、尻尾が勝手に動いてふくらはぎを軽く叩いた。
「ぴゃっ!」
足自体に痛みは無いけど、足を叩く感覚が尻尾を伝って這う。
『自らの力を忘れたか。確かに触れるは危険だが、お主ならむしろ、物理的な障害よりも容易に突破できよう』
そうだった。言われて気付いたわたしは身震いを終え、杖を茨に向けた。
「自然よ、お許しくださいっ……!」
炎が茨に触れると、熱が他の木々に伝わることなく、茨だけを綺麗に取り除いた。
「律儀ですな。では、改めて参りましょう」
微笑んだおじさまからつい視線を逸らし、わたしは先を急いだ。
月明かりに踏み込む直前の木に身を寄せ、まずは目で確認してみる。木造の民家といった具合の遺跡だった。屋根は滑らかな曲線を描く黒いレンガ。木の柱は傷が多いが、丈夫に屋根を支えている。
まあレンガだけならシルメンの民家も似たような素材を使ってると思う。ただこっちの遺跡はなんとなく屋根が低いというか、尖ってないというか、落ち着いていた。
「まさにワフウ建築。よくもまあこのような状態を保ち続けられるものです」
『森の中の特異空間。特段高い魔力も感じる。何かしらの力によるものだろう』
おじさまとデバイスが話す内容はよく分からない。
「何年前の遺跡とか、分かったりするんですか?」
わたしが聞くと、おじさまは木から体を離した。
「数百年前の文明ですな。東方大陸の遺跡でのみ確認されるであろう、東方文明、和の文化と呼ばれるものです。――どうやら茨はあれ以上無い様子。ご安心を」
ついに月明かりを体に浴びる。見上げる夜空があると、広い世界やレイナ様と再び繋がった気がして、安心感を得られた。
遺跡の民家は、近くで見るほど丈夫さが伝わる。外の風も防げて、動物の声も遠い。今夜は安心して眠れそうだった。
念のため、おじさまが先行して扉を開ける。これといって強烈な臭いとかもしなくて、虫が沢山飛び出したりもしない。
「おじゃましまーす……」
内部に潜入。やはり外より暖かい。おじさまが明かりになる物を探している中、わたしも扉を閉め、その暗い室内を探索した。
低い段差を越え、土から木に変わる足音に心を弾ませると。
「ほぎゃす!」
「きゃああああああ!」
踏んづけた何かから発された声で、わたしの心臓は吹っ飛んだ。
「何奴!」
おじさまの鋭い声とほぼ同時。空中に炎が揺らめき、二つ、三つと増える。丸く固まるように絡まった蔦が燃え、揺れている。
「ひぇえぇえっ! お姉ちゃ、おじさま、じゃない火で、炎で消さなきゃ!」
「待て待て落ち着け! 火事じゃない、俺人間、平和ぁ!」
部屋は照らされ、全貌が明らかになった。燭台に置かれた草の塊がこの部屋の照明。それに火を点けたであろう魔晶石を手にする青い髪の男性が、おじさまとわたしに向けて手を広げ、待ったのポーズをしていた。
わたしは杖の炎を消してへたり込んだ。冷や汗を拭い、立てた杖を抱える。
まだ部屋は薄暗いけれど、この環境における深夜の限界明度だろう。おじさまは構えた手刀を下げ、青髪の男性も、魔晶石を壁の棚に置く。
三人揃って、大きく息をついた。
「ここに誰か来たのは初めてだなぁ。俺はサタユキ、ずっと前からここに住んでる」
木の床の中央に四角く開いた穴、中は灰が敷き詰められた炉になっている。そこに魔晶石で火を点け、焚火のように挟む形でサタユキさんとわたしたちは対面していた。
火の魔力を扱う魔物が体内に宿す魔晶石は、貴重でありながら一家に一個の必需品。これを集めて売る仕事は儲かるらしいけど、それで返り討ちにあった人を蘇生させた事もあるわたしは、いつでも感謝を忘れない。
「まさか先客がいようとは……ここの主の子孫、などですかな?」
おじさまが顎に手を沿えて聞くと、サタユキさんは両手を大きく振った。派手なアクションを取る人だ。
「いんや、家を持たない大衆の一人よ。周りに馴染めず距離とって、見つけたボロ家はまさに都ってね。んで、君達は何者よ」
遺跡にゆかりはなく、さらには遺跡であるという知識も無いみたいだ。
どちらもお喋りは好きだったけど、サタユキさんがおじさまの方を向いた流れで返答者が決まる。
「こちらの方は、メレザ・キュアラ・サクレリテス様。拙僧ホルクスを護衛とし、女神レイナ様より賜わりし使命の為、旅をしております」
ほとんどわたしの紹介だった。
「女神レイナねぇ……聞いたことないね……」
サタユキさんは目を細めて苦笑した。今の立場のわたしを崇められちゃったりしたら、ちょっとむずがゆいし困ってしまう。けどそれ以上に、わたしたちの信じる女神様が人々から忘れられている事を実感するのが、とても悲しかった。
そんな表情が表に出ちゃったのか、それとも察しただけか。サタユキさんは「なんかごめんな?」と気さくに謝ってきた。それだけですごく良い人だって分かった。
「いえそんな、こうして知って貰えただけで嬉しいです。ところでお願いなのですが、今晩ここに泊めてはいただけませんか? 金品などはありませんが……望むならわたし、頑張ってお仕事します! 色々!」
わたしが本題を切り出すと、サタユキさんは笑顔で両手を広げた。
「あぁ勿論! むしろおれからそう勧めたかったよ、今の森は夜活動すると危険だ」
手をそのまま立ち上がったサタユキさんが、土床の方へ歩き出した。
「夕飯食わずに寝ちまったよ。作るから適当に話し相手でもしてくれないか? 最近一人で寂しくしててね」
「わたし、料理も得意ですよ! 手伝わせてください!」
「よっしゃ。じゃあメレザちゃんはこっち、ホルクスさんはその床の炉を見ててくれ」
「ほっほ、年相応の役割を貰ってしまいましたな」
温かい人で良かった。おじさまが見守る和みの火の傍らに、杖を寝かせた。
和風遺跡の台所は玄関と繋がるように近い。土床と木床の境には、サタユキさんとおじさまの靴が置かれていた。木の方は土足厳禁だったかもしれない。太古の文化とはいえ知識不足を恥じた。
火を発生させる魔晶石を使い、サタユキさんが肉を焼き始める。こんな時間にがっつりだけど、夕飯扱いなら分からなくもない。わたしは手作りっぽい棚に転がったフルーツを手に取り、デザートを作り始めた。何か頼まれてもいいようにチラチラと隣を見る。
「ここに来る途中、大丈夫だったか?」
「はい。動物や魔物とも遭遇せず、平穏でしたよ?」
深刻な声だったので、訳ありそうな事情を尋ねるように答える。
「魔物が減ったっていうのはメリットか。――実はこの森、最近幽霊が出るんだよ」
「ユウレイ? それは普通に、魔物ですよ……?」
この世界のあらゆる不思議現象は魔法によるもの。騎士の鎧が歩いたり、物が勝手に浮いたり。実体を持たずに活動する魔力の塊は魔物だ。ついさっき茨が燃えて揺れてたのも魔物かと思った。
物語や言い伝えなどであれらを幽霊と呼んで、子供の教育に使ったりする。メレザ教やレイナ様を信仰していれば、その真実に早々気付ける。お兄ちゃんにからかわれた期間はとても短い。
「いや、アレは別格だ。そもそも姿すら見えやしない。どこからともなく茨が伸びて来たし、親友のベルも惑わされたのかおかしくなっちまって、どんどん声のする方へ進んでいったな。人の声の幻惑に、強すぎる茨の魔法。魔物とは思えねぇよ……」
茨の魔法。あの道を塞いでいた茨は、その魔物さんの仕業らしい。
「ユウレイなんていません! わたしは幻を祓い、真実を知る為に来ました。泊めてもらうお礼に、その魔物の対応で森の平穏に貢献させてください!」
『幻を祓い、真実を知る。随分と様になってきたではないか、キュアラよ』
「デバイス、そこ恥ずかしいから触れないで!」
幼い頃お兄ちゃんに騙されたユウレイネタへの対抗心で、勢いが乗ってしまった。いつの間に仕事が増えているけど、悩む人を助けたいのは本当だ。
「デバイス?」
サタユキさんが肉から目を離す。おじさまが聞こえるから忘れてたけど、基本デバイスの声は周りに聞こえないんだ。
「あっ、いえ、何でもないです。とにかくわたしは、そういった魔法を打ち消す力があるんです。ベルさんも、もし幻惑魔法などの被害でしたら治せるかもしれません」
「あ、いや……あいつは……」
言葉に詰まり、目を逸らそうとするサタユキさん。わたしは両手を組んで見上げ、全て受け止める意思を示す。神と繋がるシスターに、全てを救いたいわたしに、遠慮はして欲しくない。思いが通じて、その口が小さく開く。
「ベルは――親友のトナベルは、数日前に死んだよ。茨に絞められて。俺はそれから、幽霊を狩る方法を探し続ける日々だ。暗かったおれの心に、火を灯してくれたあいつのために。このおれの空元気が、続くうちに」
「えっ……」
肉を焼く火が消えていき、部屋に薄暗さが戻ってくる。
「だからすまねぇ、ベルを救う事は出来ない。幽霊狩りの提案は本当にありがたいから、せめてそれで――」
わたしは半ば反射的に、首を横に振っていた。そして確信する。悩ましい力だったけど、使わない選択をする自分は嫌だった。
こんなに温かい人の火は、消えて欲しくない。炉の熱を浴び、穏やかな顔で微睡むおじさまを一瞥し、サタユキさんに向き直った。
「ベルさんの体は、まだありますか」
「えっ? あぁ……実はまだ、奥の部屋にね。仇の幽霊の首でも取れるようなら、見せてやろうと思って」
「わたしは蘇生魔法使いです。ベルさんのこと、助けられるかもしれません」
「……へ?」
顔のパーツが崩れるくらい変な顔で困惑している。わたしは表情を緩めて、微笑んでみた。
「……な、なんだってぇーーっ⁉」
裏返った絶叫で、寝ぼけたおじさまの転がる音が鳴った。
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