第一章 渇望
第1話 旅の始まり
道の霧は想像以上に濃く、二歩先の地面が真っ白になって見えない。一度方角を決めたら真っ直ぐに、おじさまの手を離さないように歩き続けた。
方向感覚も体のバランスも崩れそう、ついには自分がちゃんと前に進めているかすら分からなくなる。その度におじさまに話しかけて、足元の小さな石ころの違いを確かめる。こんな道を一人進んだオリゴさんは、さぞ大きな不安に駆られたことだろう。
「幻の島扱いも納得ですな。これは」
「おじさまもこの道は初めてなんですか?」
「昔は霧などありませんでしたなぁ。しかしそれ以前に拙僧もキュアラ様と同じく、シルメンの外は初めてですぞ」
「えっ、じゃあゼニムス島の知識とかは……」
「レイナ様から聞いた話と、書物より得た歴史的知識が大半となります。後は一応――」
『フハハ! 五百年前の地形情報ならば、我が全て把握しておるぞ』
「こちらの方の記憶ですかなぁ。ほほ」
「古い……信じていいのか微妙だなぁ……」
快適な旅というわけでも無さそうだったけど、おじさん二人? の愉快な笑い声を聞いていると、不思議と安心感は得られるのだった。
「霧が晴れてきましたな。キュアラ様の尻尾の先まではっきりと見えます」
「あの、おじさま。実はまだ恥ずかしいので、あんまり見ないでください……」
熱くなる顔をフードの下に隠しても、尻尾は全てさらけ出されている。足と同じくらい長いそれが、今どのくらい元気に揺れてしまっているかは感覚で分かる。振り向いて確認したくはない。
『何を言う、誇れ。メレザの継承者である証にして、偉大なる竜族の象徴だろう』
「それが人の身の腰から服の外に露出して、手足と同じように動く今が恥ずかしいんだよデバイス……」
操作が意思よりも感情を優先されてしまっているのが特に。実は内心、辛い毎日から離れた旅にわくわくしてるのがバレちゃうかも。
まだ生えて二日だから慣れてないんだ。そっか、二日かぁ……。
霧が完全に晴れて、草木生い茂る新大陸が広がる。わたしはネックレスを手の平に乗せ、天辺から傾きつつある太陽にかざした。
流石に、間に合わなかったな。
「お誕生日おめでとう、お姉ちゃん」
立ち止まったわたしに振り向いたおじさまが、ネックレスの魔石を眺める。数秒経ってハッとしたように頷いた。
「レスカ様は今日で十九でしたな。そのネックレスはもしや……」
「はい、今日渡すつもりでした。一緒に沢山の感謝とか、願いとか、いっぱい」
色々、色々話すつもりだった。でも、こんな事なら惜しまずもっと話せばよかった――なんて、後ろ向きな事は考えない。
「これからも想いを籠めます。使命の旅の中、いずれ会えた時、その分まとめてあげたいです」
お姉ちゃんとの日々は、過去の思い出じゃなく未来に必ず存在する。だからその日を楽しみに待って、笑顔で迎えるんだ。
おじさまは目を閉じて、しんみり聞いてくれていた。
「きっと見守ってくださるでしょう。キュアラ様がサクレリテスの誇りとなれるよう、拙僧も尽力して参ります」
ただその表情や雰囲気に、お姉ちゃんの存在を遠くに見ている感じがしたのが、ちょっと気持ち良くなかった。
「さて、それほど大事な物なのでしたら、この先を進む前に隠しておくとよろしいでしょう」
目を開いても細すぎるおじさまが、顔の皺を増やして忠告した。
「それは、どうしてですか?」
従いながら尋ねると、おじさまはすぐ近くの集落に顔を向けた。
「現在のゼニムス島の大半が貧困地域なのはご存知でしょう。そのような物をちらつかせれば、拙僧は護衛として早速働く事となります」
護衛が必要な事態になるって事? 遠回しな言い方に、理解に時間がかかった。
「そ、そんな野蛮な……」
「可能性の話ですぞ。されど用心に越したことはありますまい」
まずはゼニムス島内の現状について知識が豊富な人や、高い位に就く方を探す為、大きな街を目指す方針らしい。よってここは素通りとなる。
小さな集落、正面から入って中央の道を進む。周囲を見回すと、誰も彼もが服とは言えない皮を纏い、地面に座りこんでいる。壁が崩れそうな家に皆入っているのか、ここから見える人数自体は両手で数えられる程度だ。
「おねえちゃんたち、だあれ?」
性別も分からない小さな子供が一人、こちらに近付いて来る。わたしはおじさまの服の背中をつまんでから、膝を着いた。
「こんにちは。わたしは、東の島から来たシスターです」
同じ高さで見つめると、小さな瞳が視線を返す。わたしと同じ白い肌、体中が土に汚れている。
どうしてこのような集落が生まれてしまったのだろう。哀しみと共に疑問を覚えると、子供のお腹が大きく鳴る。わたしがおじさまの顔を見上げると、首を横に振って返された。
「なりませぬ」
「どうしてですか⁉」
数日分の携帯食料はある。ケチってる場合じゃない。
「一日分与えたとて、明日はどうされます? 我らにそれだけの力と余裕はありませぬ」
「それでも、明日に希望があるのなら――」
「一人に与えられた無償の希望、周りはどうされますかな?」
「でもっ――」
言いかけてやめる。きっとおじさまが正しいのだ。わたしの蘇生魔法を求めて、シルメンの村人がわたしに頼りきってしまった事を思い出す。
「おねえちゃんたち、食べ物持ってるの?」
わたしが大声を出して、子供が本題を切り出す。それにより集落から数人の大人が出てきた。多分まだ全員じゃない。
「高そうな服着やがって。カルロの手下とも違いそうだが……?」
大人の一人がわたし達を眺めまわす。わたしが改めて自己紹介すると、よだれを垂らした大人が睨みつけてくる。
「俺たちゃその幻の島ぁ目指して、白き壁に同士を喰われて立ち往生した集まりよ。言っていい冗談と悪い冗談ってもんがあらぁ」
喰われた、というのは。恐らくあの行く先も見えない中で力尽きてしまったり、迷い込んでしまった人達の事なのだろう。あの霧が晴れる時が来たら、一体いくつの死体が転がっているのだろうか。
「壁じゃ、ないです! シルメン島は実在します、幻なんかじゃないです! わたしが証明です!」
答えるうちに気付いた。これが、この集落の人々を救う現状唯一の方法だと。
「しばらく前にも一人、ゼニムス島から一人いらっしゃって、皆さん温かく歓迎しました。だから――」
諦めないで――って、言おうとした声は。大人がよだれを吐き散らした音で遮られた。
「うるっせぇやい! そのためにゃまずその高そうな服剥いで!」
大人が言い終わらないうちに、おじさまがわたしを抱え込んで。
「その長そうな髪ぃ売っぱらって!」
全速力で駆け出して。
「その美味そうな肉焼いて喰わせれゃぇぇいいい!」
姿が見えなくなるまで突き放した。
日は暮れて、空は燃えて。やがて炎が消えるように夜が来る。
「落ち着いたようですな」
「はい……もう大丈夫です」
長い時間、怖くて震えてた。世の嘆かわしさを感じる暇もなく、逃げ込んだ森の中で心を落ち着けていた。泣きはしなかったけど、お姉ちゃんがいない夜は不安を誤魔化すのも時間がかかった。
頷いて、また歩き始める。まずは今夜の寝床探しだ。初めて部屋のベッド以外で寝る事になりそう。――嘘、昨日篝火の下の石で寝た。
「おじさま。わたしは、彼らを救えたでしょうか」
「最後の言葉や、それを語るキュアラ様の姿は、一部の者には響いたでしょう。それだけでも今は、十分ですとも」
「今後わたしは、みんなを救えるでしょうか」
「キュアラ様がそう望み、進み続けたならば、いずれきっと。なにせこの旅は、レイナ様が見守る世界浄化の旅なのですから」
「はい……はい。そうですね。きっと、救ってみせます」
今は強く生きて、前を見据えて、歩くしかない。手に置いたネックレスを一瞥して、大きく息を吸い、吐いた。
「笑顔笑顔!」
よしっ。
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