第10話 紅蓮の祝福

 お姉ちゃんはいつもわたしに、頑張らなくていいって、言ってくれた。

 頑張るわたしのために、負担を少しでも減らすよう頑張って、安息の場所になってくれた。頑張らなくていいわたしで、いさせてくれた。

 そんなお姉ちゃんが今日、どこかに行ってしまう直前。頑張ってと、わたしに言ったんだ。初めてわたしに、そう言ったんだ。

 だったら、お姉ちゃんが休ませてくれた分、今頑張らなくてどうするんだ。

「大丈夫。わたし、頑張るよ。お姉ちゃん」

 どこかにいてくれる、少なくともわたしの心の中で応援してくれる。そんな大好きなお姉ちゃんに向けて、笑顔で宣言した。



 紫色の雲が空を覆う。闇の霧と関連する事象だろう。

 まずは今発生している異変をどうにかする。雲を、霧を晴らせたなら、お姉ちゃんを取り戻せるかも。それが無理でもせめて居場所を掴めたり、どういう状況なのかだったり、知る事くらいは出来そうだ。

「まずは霊峰を下りて、村を、島を救いたい」

 お姉ちゃんがより良くしようと努め、真摯に守り続けた場所を。

「メレ――デバイスは、そのために何ができるの? わたしにも分かるように教えて」

 見定めるとかなんとか、繰り返されてしまう前に釘を刺す。

『我の炎は幻想――』

「むー」

 首を曲げ、なんとなくわたしの肩のあたりを睨む。角も尻尾もすぐには見えない位置にあるけど、体内に、魂に本体は潜んでいそうだ。

 分かりにくいという指摘を受け、デバイスは咳払いのような音を発する。威厳が失われてきた。

『――炎であらゆる魔法を消す事が出来る。邪教のオーラ、かの霧も魔法の一種故、同様に消滅可能だ』

「オーラを纏った魔物は?」

『オーラを消滅させ、本体は残る。与えられた魔力により動作するタイプの魔物ならば、そのまま元の姿に還るであろうな』

 なら神殿に現れた動く鎧や、ゴーレムあたりは簡単に処理出来るんだ。回復魔法しか使えないわたしからしたら、戦闘で勝利できるだけでも大きな恩恵だ。

「残った本体は拙僧にお任せを。老骨なれど衰え知らずですぞ」

 おじさまが手袋を引っ張ってみせる。レイナ様の意思が聴けるだけあって、デバイスの声も聴けるみたいだ。

「助かります、おじさま。なら早速向かいましょう。きっと魔物も今頃、溢れてしまっているはず」

 頷き合って、わたし達は地を蹴った。



 竜の座していた場所にも紋章はあり、乗ったら風が運んでくれた。神殿前、聖堂前の紋章も機能に対応しているようで、今回は聖堂前に飛んでいる。

『一体ずつ狩っていてもキリが無い。レイナや我を眠らせているシルメン島やその他重要地点には、いざという時世界の異変を止めるための機構――覚醒の篝火が用意されている。島の中央に向かえ』

 頷き、目的地を探して空から島を見渡す。既に魔物が村を埋め尽くしていて、みんなの安否が心配だ。

 少し滑ったけど、転ばずに両足で着地出来た。竜の力かもしれない。

 荒らされたお花畑を、歯を食いしばって通り抜ける。島の端に着き、そこを沿うように走る。

「ずっと外回りの方が安全そうだけど、様子を見たいから村の通路を進みます! ――って、お兄ちゃん⁉」

 島の入り口に来たから曲がって村を目指そうとした時、橋を渡るお兄ちゃんを見つけた。誰もそっちの進行方向で利用しなかったその先は、霧の道とゼニムス島が控えている。

「どこ行くのお兄ちゃん、レイナ様はどうしたの⁉」

 振り向いたお兄ちゃんは、わたしを見て笑った。優しい笑みではなく、歯を覗かせるように、ニヤリ、と。

「キュアラ様、伏せてくだされ!」

「えっ――」

 耳で聞こえても体が対応できなかった。伏せるの意味をすぐ理解できるほど慣れていない。

「ぬぉぉおおっ!」

「おじさまっ!」

 轟音に驚いて振り向くと、体長二メートルほどのゴーレムの攻撃を、おじさまが受け止めていた。四肢の生えた岩石魔物の腕と、人の両腕がぶつかる。

 振り上げた両腕がゴーレムの腕を僅かにズラし、わたしの角スレスレを通過する。おじさまはそのまま横に吹っ飛んだ。

「ご、ごめんなさ――」

『謝る暇があれば手を動かせ、杖を握れ、構えよ! 念じろ、神に祈るのではなく、自らの内より燃える炎を放て!』

 割り込む叱咤しったに口をつぐみ、戦いの厳しさに震えながらも構える。ゴーレムに杖の先端を向け、体から杖に流れ込むエネルギーを感じる。

「アウェイクフレイム!」

 杖の先端から射出された炎は、ゴーレムの次なる拳より速くヒットした。繋がった岩石の隙間を這うように巡る炎が、内部の魔力を焼き尽くす。そのままゴーレムは崩壊し、物言わぬ岩石が転がった。

「はぁっ、はぁっ……で、出来た……」

 しばらく射出姿勢のまま固まってしまった。無我夢中だった思考が戻ったら、すぐにおじさまのもとへ駆け寄り、膝を着いた。

「ご無事ですか⁉ すぐに手当てを……あれ……?」

「なに、腕も折れておりませぬし、受け身も取れれば大した攻撃ではありません。それより……」

『今レイナは長き眠りより覚めている。その間お主らに力は与えられぬし、よって魔法も使えん。オーラの悪影響を気にせずに済むし、我の力は別物であるがな』

 レイナ様が力を与えられる条件は初耳だった。とにかく、今大怪我したら治せないみたいだ。

 思い出して橋を見る。お兄ちゃんはいなくなっていた。

 お兄ちゃんが不在の中、レイナ様も不安だ。魔法もないし、お父さん達は正直頼りない。村だけじゃなくそっちの心配をする面でも、急がないといけなかった。

 おじさまを引っ張り上げて、村へ直行する。阿鼻叫喚の嵐を想像したけど、人々の声は無く、足元に死体が転がってるなんて事もなかった。ただ魔物は蔓延っている。

 進む先に白い石で造られたひし形の高台が見えた。今まで気にしてこなかったけど、あれが覚醒の篝火だろう。登るための階段もあり、その左右には霊峰の山頂と同じく柱が並んでいる。

「これ以上時間も、おじさまに負担もかけたくない。突っ切りたいけど、何か防御能力はある? デバイス」

『邪悪は炎により裂かれる。よって我らに邪悪は触れる事叶わず』

「よく分からないけど、それ以上の力は特に無いんだね」

『お主、我にだけ辛辣すぎぬか?』

 いつの間に村の外の魔物密度も同程度に増えて、同じ場所に留まる事も厳しくなりそうだった。どうしようか困っていると、目の前の道を塞ぐ魔物の群れが一瞬で数体沈んだ。

「テメェら! こんな所で何してやがる」

「ダリュくん!」

 先程の闇とは違う、昔から持っていた方の剣を持ったダリュくんが中央街道を横切ろうとして止まった。

「さっさとこっち走れェ!」

 ダリュくんが叫ぶと、おじさまはわたしの手を取って前進した。後ろから獣の吠える声。またわたしは同じミスを繰り返しそうになった。

「炎よ!」

 杖を構え、狼の纏う闇のオーラを消し去るけど、その毛皮が燃える事は無い。炎とはいっても、実際の炎とは違う性質の光みたいなもののようだ。

「らぁっ!」

 ダリュくんが低い姿勢で踏み込んで、狼を両断する。噴き出した血を全身に浴びて、怯む事なく足を動かす。わたしも見習わないといけない。もう迷惑はかけられない。

 わたしはおじさまに頷いて、祭壇に向けて走り出した。魔物の壁が迫る中、一撃で無力化出来る魔物に狙いを絞って、炎を放つ。おじさまは危険な攻撃から守るように、反応の悪いわたしを引っ張ったり運んだりしてくれる。ダリュくんも隣をついてきて、弱った魔物を瞬殺した。

「村の人達は⁉」

「俺が室内に避難させた。奴らに殺られるとケンジと同じようになる。皆思い出していくんだ、死の恐怖を!」

「わたし達、今すぐあの高台を目指したいの。お願い、手伝って!」

「おうよ。何企んでるか知らねェが、また俺らを狂わせたら許さねぇぞ」

「こっちの台詞。わたしは、あなたを許さない!」

 空を覆う雲が濃くなっていく。到着した段差に踏み出す時には、足元の白は暗く染まっていた。

 この篝火台の中に魔物は入って来られないようで、迫る足音や鳴き声は遠くなった。ただ諦めの悪い魔物達は、こちらに石や魔力を撃ち込んでくる。器用に後ろを確認しながら走るおじさまの指示に従い、体を逸らしたりしゃがんだりしてそれらを回避した。

 運動能力が若干高まっても、体が成長したわけじゃない。限界以上に走らされるわたしのひ弱な足は、今にも折れて割れてしまいそうだった。

「きゃっ!」

 もう少し。手の届きそうな頂上を望むと、尻尾の先端に投石がぶつかった。腰に衝撃が響くようにバランスを崩し、耐えきれなかった左足が段差につまづき、派手に転んでしまった。どんなに意思を強く持っても、倒れた体は重力に潰され、痛みに悶え、即座に起き上がれはしない。

 後方確認をしていないダリュくんが、おじさまより早くわたしに近付く。乱雑に掴み、わたしを投げ飛ばす。

「クッソぉぉあ!」

「あっ……!」

 持ち上げられたときに気付く。魔物の魔力弾が近くの柱を攻撃し、倒壊を始めていた事に。

「罪人に、相応しいだろう?」

 わたしを狙っていた柱は、短い猶予で笑ってみせたダリュくんの体を押し潰した。

「ダリュ、くん……」

 無事だった頭部は動かない。離れた胴体から流れる血は階段を下りて、魔物の群れに突き進む。

「ッ……あぁぁあっ!」

 止まるわけにはいかない。わたしは息を吐くように絶叫、踏ん張って立ち上がる。あと数歩の階段を登り終え、篝火の前に立つ。三本の細い足と、中心の太い四本目の足で支えられた籠の中には、既に薪が並べられていた。こんな普通の道具でいいのだろうかと思う間もなく、中心の鉄の足から光の線が流れ、足元の白石もうっすら光った。

「ここまで届いた投石は、拙僧が受け止めてみせましょう。さあ急いで、一歩先すら闇となる前に!」

 背を向けたおじさまに無言で感謝を伝え、頭より少し高い位置の籠を睨みつける。メレザ継承者の身長は予測出来ていなかったようだ。

『覚醒は杖からではなく、お主の体から直接発動せよ。我の力を制限なく発揮するために』

 わたしは声に従い、左手を掲げた。右手は杖を持ち、地に真っ直ぐ立てて支えとする。

『此れは道を誤りし神への粛正である。正しき世界のため、覚悟が決まったなら、答えよ』

「うん。わたしやれるよ。デバイス」

 広げた手の平から炎が燃える。肌は熱を感じないけど、体は意識が飛びそうなくらい熱い錯覚を覚える。

『我に続き、唱えよ』

 腕が痛い。大きな力に耐えるように、杖の支えをより強める。

『「天望の開展庶幾かいてんしょき睥睨へいげいせよ! 天網の六百三十よ照覧あれ! 爪にて裂き、炎にてただす。我、此処に裁断紅蓮のえきを果たさん!」』

 障壁を張っていたかのように抵抗していた篝火がついに燃える。燃え上がる。

『やれ、メレザよ!』

紅蓮の祝福セイクリッドブレイズ!」

 吹き出した炎の反動で腕が真後ろに弾かれる。篝火の炎は天高く燃え上がり、雲を突き抜ける。瞬く間に雲の穴は広がり、眩しい晴天となる。差し込む日差しと眩しすぎるフラッシュに連動するように、地上は轟音を響かせる。炎の効果が島全体に広がったのか、ゴーレムが崩れて動物を潰し、魔物が全滅していた。

 光は落ち着き、目も慣れて。世界は何事も無かったかのようにそこにあった。

 わたしが足を動かそうと杖の支えを外すと、途端に力尽きて倒れてしまった。

 意識が落ちる。世界はもう一度だけ、真っ暗になった。

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