第9話 疑心と竜

 試すようなその眼が、わたしを呼んでいる。杖を両手で握り締め、力強く一歩を踏み出した。不思議と怖くはなかった。真っ直ぐ目線を合わせて進む。

「サクレリテス大聖堂のシスター、蘇生術士、キュアラ・サクレリテスです」

 初めてこんな名乗りをした。いつの間に、自分の中に授かった力を認めてきたのか。

「キュアラか。レイナから聞いた名だが、少々印象が違うな。やはり物事は直接確かめるに限るというもの」

 竜が喋る中、おじさまが歩いてくる音がする。けど途中で止まった。後ろから見守るつもりみたいだ。

「あなたは……わたしや、みんな、レイナ様を救ってくれるんですか」

 竜の口元が、一瞬笑った気がした。

「行動するのはお主だ、キュアラよ。それによって得られる結末が、救いか、そうでないかを決めるのも、他ならぬお主自身だ」

 どういう事ですか、ってわたしの顔を読み取る竜が、口を僅かに開く。翼を広げると、わたしの視界は全て竜に占められる。

「我は裁断紅蓮竜、メレザデバイス。神が過ちを犯した、その疑念が生まれし時。世界の姿をただし、幻想を裂くものなり」

 メレザ教の聖典に記された、神が神で在り続けるための監視者、上位存在だった。記述はとても少なく、思い出すのが今ようやくになった。

「我は継承者の器に憑依し、力を与える。ここより出る事の叶わぬ我の代わりに我の目となり、手足となり、メレザとなり。世界を見定め、邪悪な幻想を断ち切るのだ」

 首を下げ、わたしに顔を近付ける。頭部だけでもわたしより高く、口を開けば丸呑みされてしまいそうだ。

「我と継承者は対等だ。そして我の前で嘘は認めない。思う事を話せ、その赤き瞳は何故燃える?」

 そう言ってくれるなら、遠慮はしない。今のわたしに、余裕はない。ちょっと気を抜くと、支えが無いから崩れてしまう。

「信用していいんですか。少し前に、蘇生魔法も、レイナ様も一瞬、疑わしくなりました。もう一度聞きます。あなたは、わたしを――お姉ちゃんを、救ってくれますか」

「フッ……フフ、フハハハハハハ!」

 メレザデバイス様は目を閉じ、首を上げて大笑いした。

「認めよう! 信仰心はあり、信じようとする意思がありながらも、疑念を払う事なく、世界を見定めようとする! お主こそ我が力の継承者に相応しい! 受け取るがいい、我が紅蓮の炎ォォ!」

 メレザデバイス様の巨体が火の粉となって散らばり、紅葉の景色と混ざる。火の粉はわたしに集まって体の周りを巡り、やがて光となって体内に入り込んだ。

 白い修道服に、赤いデザインが少し増えた。服にかかっていた血や汚れは、いつの間に消え去っている。握っていた杖の柄は白から赤に変色し、小さくて可愛かった先端にも赤い石が埋め込まれた。

「わっ、きゃっ、なに、なになに、なんなの、あんっ、んんっ、んーっ!」

 額の上から、前髪を押しのけて赤い角が二本ぐんぐん生えてきた。ちょっと痛い、むずむずする。不思議な感覚に戸惑ううちに、腰の上のあたりからも何か生えてくる。勢いに負けて前方に倒れ、両手を握って踏ん張った。もしかして、尻尾⁉

 角は短かったけど、尻尾は長そうだ。容赦ない勢いで伸びる尻尾は、修道服の後ろをめくり上げて、ぶんぶん揺れた。

「んんーっ! んーっ! あぁあ! はぁっ、はぁっ……」

 揺れると付け根に本来存在しない感覚を味わわされて、声を漏らした。しかし伸びきった後に尻尾を揺らしていたのは自分である事に気付く。手足と同じように動かせるようで、不慣れながらも頑張って止めると、ようやく収まってくれた。どうやら痛みに悶えた事で尻尾がまた揺れるという悪循環に陥っていたらしい。

『疑い続け、信じ続けよ! 我はお主を導こう。己の信ずるままに、け!』

 耳じゃない。脳に直接響くようにメレザデバイス様の声が聞こえる。待って今それどころじゃないです。

「わたしはただ、お姉ちゃんを取り戻せるかどうか、それだけが知りたかったんですけど……」

 世界は二の次、というか、わたしにとってお姉ちゃんがいる場所が世界だ。一度失って確信した。

『それを知る為、力を振るえば良いだろう。この世界が、それを成せる世界か。それだけだ』

 レイナ様と同じ、もしくはそれ以上の存在かもしれないメレザデバイス様は、世界のためならわたしの意思を尊重するつもりらしい。案外自由だ。でも自由というのは、これからを自分で選び取らないと、このまま地に伏したままになってしまう事でもある。

「こうもすんなりとデバイス殿が人を認めるとは。キュアラ様、お見事ですぞ」

 おじさまが拍手してきた。よく分からないけどすごいらしい。やった。

「ありがとうございます……。お手数かけますがおじさま、引っ張り上げていただけますか」

「ええお安い御用です」

 手を引いてもらって立ち上がる。その際に動いた尻尾が服に触れ、さらさらと擦られた。

「ふゅゆゆゆぅ」

 震えてから体をくねらせ、後ろの足元を確認する。やっぱり少し太い赤の尻尾が、服の下から元気に鱗を見せている。感覚に備えて尻尾を振り上げると、服が大きくまくれ上がった。誰にも後ろは見られてないけど恥ずかしい。

「これ不便です、メレザデバイス様」

『我とお主は対等だ。敬語も要らぬし、デバイスで良い。尻尾は我が力を出したり、下界を観測するのに必要なのだが……纏う衣を舞わせたくないなら、こうしよう』

「ひぇっ」

 すると勝手に尻尾が動いて、付け根と同じ高さに先端が来るように丸まった。そして外へ一直線に突き出し、大きく破れる事なく小さな穴を綺麗に空けた。

「へやっ」

 尻尾は収まる。声も静まる。準備万端、役目を果たせ、って事だろう。

「なんか、すごく疲れた気分……」

 でも、暗く沈むばかりだった心は、一旦強制リセットされた。服と髪についた落ち葉を払い、息を吸う。

 覚悟を決めて、前を向いた。

「よし。笑顔、笑顔!」

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