第8話 信託の行く末

 最近のわたしは泣いてばかりだった。おかげですっかり涙は枯れて、今になって一粒も流させてはくれなかった。

 それとも、泣いていられたのはお姉ちゃんがいてくれるからだったのかな。

「んんっ……ぅん……」

「レイナ様、まさか!」

「どうした⁉ レイナ様がどうしたっていうんだ⁉」

 おじさまが驚愕の声を発した直後、お兄ちゃんが怒号のような大声を発して慌てた。

 わたしは杖を第三の足にして立ち上がり、ふらつく頭で周囲を確認した。お父さんやお母さんやシスターさん、全員がレイナ様に注目している。状況が状況とはいえ、お姉ちゃんの心配を二の次にするみんなの信仰が嫌いだ。

 うなされていたレイナ様の纏っていた闇のオーラが消えていく。そのねぼすけさんの目がゆっくり開いた。半目で止まり、その隙間から覗く濃い茶色の瞳は、とても暗い。

「レイナ様が……目覚めた……?」

 端っこで声を発したお父さんにレイナ様は視線を向け、そのままゆっくりと横に黒目を動かし、わたしと目を合わせて止まった。やがて完全に目を開ける。

「神託です」

 ガラス越しでも通り抜けるレイナ様の澄みきった声に、息をする音すら止まる。

 本来の、以前までの神託の儀も、神殿の女神様の前で行われた。しかしその内容は、神の意志が聴けるおじさまがただ伝言してくれるだけというものだ。

「邪教が私を、世界を脅かしています。今の私では、正しくあなた方を導けない、望みに応えられないでしょう」

 一度目を閉じ、息を吐く。

「私は、世界を知ってしまった。私は、世界を恨んでしまった」

 首を回し、わたしに顔を向ける。その儚い表情は悲しそうで、何かに怯えているようでもあった。

「キュアラ――サクレリテス」

 長い溜めがあった。わたしは無言で頷く。

「ホルクスと共に、メレザの霊峰に向かって。私を信じられないなら、私を憎んでいるなら……一度、ちゃんと叱って?」

「レイナ、様……?」

 声音に感情は籠っていた。でもその言葉の真意は、すぐには読み取れなかった。

「あなたに、メレザの継承を行うわ。邪教が再び――私が暴れてしまう前に、急いで」

 肩に手が触れ、体が跳ねる。反射的に顔が向くと、おじさまが隣にいた。

「――とのことです。歩けますかな?」

 わたしの手を取ったおじさまが、曲げた足の向きで行く先を示す。わたしはレイナ様とおじさまの顔を交互に見合わせ、戸惑いの残る足を動かし始めた。

「キュアラ、サクレリテス」

 レイナ様がわたしを呼び止め、僅かに俯いた。

「姉の――レスカの事……ごめんなさい」

 そんな風に言われても、困ってしまう。

「レイナ様が悪いのか、悪くないのか。わたしにはまだ、分からないです」

 だから、謝らないで下さい。

 最後まで言い切らずに、会話を終えた。わたしとおじさまの靴が石を踏む音だけが、しばらく響いて。

「僕には! 僕に何かやれる事は無いのですか、レイナ様!」

 お兄ちゃんの声が響く。わたしは神殿の巨大装置を横切り、その姿は見えなくなる。

「その目は……何なのですか。神託は――何故、その口を僕に開いてはくれないのですか⁉ 答えてください、レイナ様ぁっ!」

 お兄ちゃんの声が、怖い。おじさまの腕にしがみついて、歩みを早めた。

「あなたの望むままに生きた。あなたの為に努力を続けた! 届かぬのですか……その手には……僕に、何が足りないのですか」

 神殿の奥、さらなる大扉がこちらを重く威圧する。おじさまが手をかざすと、ゆっくりと、されど抵抗無く開き、赤い葉を伴う風が吹きすさぶ。

「せめて一声、僕の名を……僕は、あなたを……僕は、僕は……僕は! ああああああああああぁぁぁっっ!」

 紅葉樹林が、メレザの霊峰が。わたしを暖かく迎え入れた。


 もう走れますと告げ、紅葉樹林を駆け抜ける。しばらく坂を登ると、左右にも木が一部無くなって、円形の空間になっている場所に着いた。中央の地面には紋章が刻まれている。落ち葉で隠れて見えにくいけど、聖堂や神殿の入り口に刻まれていたものと同じだった。

 おじさまが手で促す通りに、並んで紋章の上に立つ。紫色に染まる雲を見上げ、おじさまは叫ぶ。

糾明きゅうめいの時来たれり! 紅蓮竜よ、我が呼び声に応えよ!」

 数秒の、静寂。困惑したわたしが声をかけようとすると、丁度目が合ったおじさまが先行する。

「落とし物など、ございませぬよう」

「えっ? ひゃっ、きゃあああぁっ!」

 突然地面から、周囲の木々から風が集う。暴風がわたし達を上空に吹き飛ばし、山の山頂へと誘う。修道服がバサバサとうるさい。フードが脱げて長い髪が広がる。直前に聞いた言葉だけ忘れずに、お姉ちゃんの杖だけ絶対に離さないよう握り続けた。

 おじさまが少し早く着地し、振り返ってわたしを抱きとめる。

「ふごっ」

「あっ、ご、ごめんなさい」

 わたしの頭はおじさまの胸に収まった。けどそれより高い位置にあった杖の先端が、おじさまの頭に直撃しちゃった。

「いえいえ、拙僧の未熟」

 おじさまはわたしを降ろしてから、頭に片手を添えて振った。ちょっと痛そう。

 到着した山頂には、灰色の石で道や柱が造られた空間があった。その道の先、紅葉よりさらに赤く燃えるようなそれを見て、わたしは言葉を失った。

「ほう……? かような娘がメレザ足り得ると申すか。面白い。その目、真っ直ぐ我を見据えてみよ。その姿、正面から、もっと近くで見せてみよ」

 空気が震えるほど力強く響く低い声で、遥か高みから見下ろす存在。

 赤い鱗。四本の足、尻尾、両翼。長い首に繋がる頭から、鋭い牙、二本の角。

 巨大な竜が、わたしを待ち受けていた。

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