第7話 決壊

 抱えられて移動中、頭をゆっくり圧迫するような違和感を感じて、周囲を見回す。狼、熊、岩に魔力の宿ったゴーレムなど、様々な魔物が点在していた。それら全てがオーラを纏っている。先程ダリュくんの剣やケンジくんに漂っていたものと同じだ。

「どうして魔物があんなに……!」

 あれらが村に攻め込んだりしたら大変だ。おじさまはわたしの反応を聞いても動じず、ただ足を動かす。

「外にも影響が及んでいるようですな。急ぎませんと」

「外にも……って事は……!」

 開きっぱなしの聖堂に入り、神殿まで一直線に走る。おじさまにも負担をかけたくないし、降りて走ります――なんて言えない雰囲気と、降りても逆に足を引っ張るだけになる速度だった。

 神殿に到着し、おじさまがわたしを降ろす。魔物がいるかと警戒したけど、レイナ様に集うのはわたしの家族や、シスターさん達だけだった。お姉ちゃんが杖を、お兄ちゃんが魔導書とメイスを構えていたので、先程現れた魔物と戦闘があり、一度落ち着いたのだろう。

「レイナ様、連れてきましたぞ! ――キュアラ様、今は回復術を使えるシスターがレイナ様を癒しております。加わってくだされ」

「レイナ様に魔法は効かないはずじゃ……?」

「それが一人のシスターが試したところ、今回は効いたのですよ。理屈は分かりませぬが――」

 まあともかく、といった視線を受け取り、わたしはレイナ様の眠るベッドに向かった。回復魔法を構え、その様子を窺う。

 柵はそのまま。巨大な金属装置も、ガラス筒にも損傷は無い。すると当然レイナ様も無事だったけど、表情が苦しそうで、普段全く動かない頭が左右に揺れている。うなされている、って感じだ。

「どうか、届きますように」

 物理的な傷以外に魔法を使った事は無かったけど、祈るように魔法を使った。普段会わないお父さんやお母さんも見守っている。お姉ちゃんは心配そうに、お兄ちゃんはすごく険しい表情をしていた。

 やがて、祈りが届いたようにレイナ様の表情が落ち着く。回復魔法が上手く効いた感覚は無かった。けど、魔法をかけた、それ自体の意味はあったと思う。

 安心したのも束の間、神殿に暗い霧がかかる。空から騎士の鎧が沢山降ってきて、存在しない首から闇のオーラを吐き出す。魔物が出現した。

「うぅっ、あぁぁ、ああああっ!」

 レイナ様が全身を暴れさせ、呻く。初めて聞くその澄んだ美しい声は、氷が割れてしまうように悲痛だった。

「くそっ、またか! ――姉さん!」

「ブレイブパワー!」

 お兄ちゃんの呼びかけで、お姉ちゃんが魔法を使う。赤い光がわたしを含め全員に降り注ぎ、輝かせる。身体が軽くなり、力が湧き上がる感覚を感じた時には、お兄ちゃんは右手のメイスを掲げて騎士に突進していった。

「鎮まれっ!」

 メイスを受けた鎧は吹き飛び、魔力を失ったようにガラガラと崩れた。

「加勢しますぞ!」

 大ジャンプしたおじさまが別の鎧を蹴り飛ばし、その鎧を足場にするように跳んでさらに別の鎧を膝で分解した。おじさま、そんなに強いんだ。

 スムーズに戦闘終了。でも謎の霧は残っていて、またいつ現れるか分からない。

 いつもなら「僕は本来知略担当なんだが」とか言いそうなお兄ちゃんだけど、険しい目つきは変わらない。鎧を蹴飛ばすようにしてレイナ様に駆け寄り、わたしに声をかける。

「回復は効かないのか、キュアラ!」

「自信は無いけど、すぐに再開――あっ、そんな! 皆さん、今回復しちゃだめです!」

 すぐシスターさんに呼びかけると、全員止めてくれた。レイナ様の体を漂うオーラに、シスターさん達も気付いたのだろう。

「はぁっ、はぁ、うっ、ぐ、うあああああああああ……!」

 苦しむレイナ様の声と共に、再び騎士鎧が二体出現。そのうち一体はお兄ちゃんの背後から降り立ち、その背中を斬りつける。

「ぐぅっ! 卑怯者がぁっ!」

 お兄ちゃんは振り向きざまにメイスを叩き込み、鎧を怯ませる。無力化には至らず、首から鉄の削れる音を発してくる。怖い。怖いよ。

「お兄ちゃん! ひ、ヒールっ!」

 その血を流す背中に向けて回復魔法を構え、支援を行う。お姉ちゃんの支援も期待してその方角を向くと、霧がお姉ちゃんに向かって集まっているのが見えた。

「えっ、なんなのこれ、なんなのよ……!」

 お姉ちゃんが余裕を失い、怯える表情を見せた瞬間、わたしは駆け出していた。霧はみるみるうちに濃くなり、お姉ちゃんの周りの景色が塗りつぶされるくらいに真っ黒になる。

 それは丸く穴のようになって蠢く。お姉ちゃんは左右を見回し、上の空のように目標を定めない瞳を揺らした。その体がバランスを失ったようにふらつくと、突風でも吹いたように、何かに引きずり込まれるように後ろに倒れそうになった。

「きゃっ」

「お姉ちゃんっ!」

 わたしがその左手を掴み、引っ張る。そしてわたしも巻き込まれそうになって咄嗟に踏ん張った。本当に引きずり込んでる。この穴は、お姉ちゃんを吞み込もうとしてる。

「キュアちゃん⁉」

「ううぅ、うううぅぅーーーんっ!」

 重い。引力がどんどん増してく。闇の穴はお姉ちゃんを諦めない。強い、負けそう、嫌だ、嫌だ嫌だ。

「キュアちゃん、そんなに無理したら、キュアちゃんまで呑み込まれちゃう……!」

「諦めない、諦めたくない! お姉ちゃんは渡さない、お姉ちゃんはわたしだけのお姉ちゃんなんだから……っ!」

 背後に鎧の降り立つ音が聞こえる。お兄ちゃんたちの助けは期待できないけど、この手は離せない。

 お姉ちゃんは一瞬わたしの後ろを見て顔を歪ませた。必死に引っ張るわたしを見て一瞬泣きそうな顔をして、目を閉じる。

「ごめんね、キュアちゃん。私なら大丈夫」

 右手に持っていた魔法杖を投げ、わたしを通り過ぎて後ろで金属音を鳴らした。

「えっ……?」

 少しだけ力の抜けたわたしの手を振り解いて、お姉ちゃんは微笑んだ。

「キュアちゃん。キュアちゃんも絶対大丈夫だから。――だから、頑張って。キュアちゃん」

 穴は収縮し、閉じた。お姉ちゃんを巻き込んで、一緒に消えた。

「あ……あ……」

 何も無くなった目の前の壁を呆然と眺めていると、右腕と脇腹に衝撃が走り、視界の風景が左方向に飛んだ。

「がぇっ!」

 石の床を転がって、一瞬止まった呼吸が戻る。横になったまま目を開けると、片足を上げた騎士が体をこちらに向けていた。どうやら鎧に蹴られたらしい。その足元には白く長い杖と、騎士の剣が転がっている。お姉ちゃんは、後ろの警戒を放棄したわたしを助けてくれたみたいだ。

 その無力に横たわる杖を見つめると、目が逸らせない。現実を受け止める目と、誤魔化すように逃げ続ける心がせめぎ合う。

「このぉっ!」

「せぇい!」

 お兄ちゃんとおじさまが連携して、その鎧を弾き飛ばした。止まった景色が動き出し、わたしは目を覚ます。二人がわたしを見ている。声はかけてこなかった。

 霧はもう無い。端に避難していたシスターさん達が動き出し、ただの鎧となったそれを回収している。レイナ様の呻きも聞こえないので、場は収まったのだろう。

 わたしは回復魔法を使えることも忘れて、痛む体の右側を放置。息を大きく吸い、吐く。左手に力を籠めて中途半場に起き上がり、低い姿勢のまま杖を目指す。

「お姉ちゃん……お姉ちゃん……」

 杖を両手で握ると、それが僅かに温かいのを感じた。わたしはそれに縋りつき、うずくまった。

「ううっ……ううっ……」

 杖の熱が少しづつ消えていく。わたしの熱で上書きされていく。杖がわたしに応えて熱を与える事はない。

 行かないで。行かないで。消えないで。嫌だよ、やめてよ、これ以上何も奪わないでよ。

「ひどいよ。こんなの」

 絶望した。世界は暗く沈んだ。

 光が灯り、火が灯るまで、わたしはそうして心を失っていた。

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