第6話 ︎︎死の認識

 ブーツを履いて、飛び跳ねるように膝を伸ばしたお姉ちゃんが元気よく一回転。頭のベールウィンプルと、長くはみ出した髪も一緒になって舞う。今日は白い魔法杖も背負って完全装備だ。

「準備完了! 神託の儀はもうすぐね、キュアちゃん!」

「ふふっ。お姉ちゃん、とっても楽しそう」

 笑顔は伝搬する。幸せはこうして広がっていく。

「もちろんよ。これまでの活躍と努力からさらなる道を示されて、もっと沢山の人を助けられる。そしてそれが巡り巡って、キュアちゃんの助けにもなる筈だから」

「うんっ。ありがとう、お姉ちゃ――ぁぅ、い、今はだめぇ〜ぇっ」

「ふふっ、うふふふふっ!」

 フードの下に潜り込むように、お姉ちゃんの手がわたしの頭を撫でる。思わず目を閉じて縮こまった。伝わる熱も湧き上がる熱もあったかすぎて、顔から全部溶けちゃいそう。

「ジェムくんはこの日だけは寝坊しないどころか、もう神殿に行ってるだろうけど……キュアちゃんは後から行くんだっけ?」

「う、うん。朝のうちにやりたい用事があるの。ついでにお部屋の掃除も、ね」

 ここであえてお姉ちゃんっぽく、片目を閉じた上目遣いで微笑んでみせる。お姉ちゃんはわたしの頭に乗った手を自身の手に移した。困ったような笑みが可愛い。

「あはは……いつもごめんね。掃除とか料理とか、家事だけは一向に成長しないや」

「わたしは好きでやってるからいいよ。でもお兄ちゃんは、少しは僕らを見習ったらどうだって言ってた」

「ジェムくんの掃除好きは潔癖の域じゃない……? まあいいわ、そろそろ私も神殿に行くわね。キュアちゃんも遅刻しないように」

「分かった。いってらっしゃい、お姉ちゃん」

「行ってきます。お互いご加護がありますように」

 ドアを閉める最中も、隙間からわたしを覗いてるお姉ちゃんが好き。視線も気持ちも、最後まで繋がっていた。

「……よし、じゃあ早速仕上げちゃおうかな」

 古くなってきた木製の引き出し。開けて中の様子を確かめると、期待通りの姿がそこにあった。赤い輝きが温かく眩しい。

「やった! 流石お兄ちゃん。あとはちょっと削って磨けば完成だね」

 大体の形が整ったネックレスを手に取り、ベッドに腰掛ける。小さな紙やすりを持って、魔石を磨き始めた。

 以前、お兄ちゃんにある相談をした。そうして用意された不思議な道具を使ったら、ごつごつした魔石の形が少しづつ変わり始めた。

 ︎︎石や結晶が体に付いている魔物からとれるそれは魔石と呼ばれて、魔力が僅かに宿っている。別にそれで魔物の魔法が使えるなんて事はないけど、別の魔法や魔力を注ぐことで形状や性質が変わるものがある、って教わった。装飾品としての価値がーとか、武器への転用がーとか。他にも色々喋ってたけど、半分くらいしか分からなかった。より馴染み深いのは魔晶石だから、似た単語が脳に入ってむしろ混乱した。

 ︎︎ともあれその知識と道具を借りて、本命の魔石をチェーンにくっつけて、安息日から丸一日置いて、小さく綺麗にまとまったものがこのネックレスだ。

「できた……! お姉ちゃんにぴったり」

 部屋に一人でいる機会は少ないから、このタイミングがベストだった。

 ︎︎これで、贈り物の準備は出来た。この部屋にいるからというのもあるけど、贈る前から温かい気持ちで満たされていた。

 ︎︎軽くお掃除をしてから部屋を出る。神殿への道を目指して礼拝堂を経由しようとすると、外から男の子の声が聞こえた。扉が開き、わたしに呼びかける。

「良かった、今日もいた! 今すぐこっちに来てくれ、ケンジが大変なんだ!」

 体の熱が、一瞬で引いた。



 ︎︎その子についてきた先は、村の中央から少し逸れた脇道。久々に来た中心地は、朝から様々な仕事人によって賑わう声が聞こえる。

 ︎︎そんな中、並んだ家屋で影が落ちる場所に、息切れしながら到着する。お姉ちゃんみたいに外回りのブーツじゃないし、運動も不得手だ。

「オウ。遅かったな、サクレリテスサマ。ケンカもとっくにヒートアップしちまった」

 ダリュくんと、その周りにいる数人の男の子が見下ろした先は、土に倒れるケンジくん。目と口を大きく開いて、血を吐き出している。その体の周りは空気が淀んだように、紫色のもやがかかっている。

「がはっ! すまない、キュアラさん。俺は……ぐッ!」

「動かないで! すぐ回復魔法をかけるから……!」

 駆け寄り、膝を削って滑るようにケンジくんの傍に座る。両手を組んで祈ろうとして、ダリュくんの声が落ちる。

「ほぉらそうやって。今のテメェらは傷を、痛みを軽視する。どうせすぐ治るからって、恐れ無く受け入れているんだ」

「それはダリュくんの方でしょう⁉ その剣は何、それで斬ったんでしょ、わたしがいるから大丈夫って!」

 悲しみは怒りに変わる。ダリュくんの持っている剣は見た事の無いものだった。ケンジくんの周りを漂うものと同じ、暗いオーラを放っている。

「コイツは俺が手を出しても一切抵抗しなかった。薄れているんだ、死の恐怖が」

「ヒールっ!」

 もうダリュくんは無視して回復魔法を発動した。しかし信じられない事が起きた。

 魔法をかけ、優しい緑に発光した場所に紫のオーラが集う。魔法は掻き消えるどころか反転、ケンジくんの腹を鎧ごと一部抉り、穴が開いた。

「ぐぁあああっ!」

 噴き出した血が、白い修道服を汚す。頬にも少し飛び、肌に感じたそれに息を詰まらせる。

「な……なんで……どうして……」

 声が震え、心は焦って、回復魔法が出せない。いや、出していいのだろうか。わたしの力が、またケンジくんを傷つけてしまうかもしれない。

 ダリュくんを見ると、その目も大きく開いて、驚いていた。額からは汗も流れている。

「おいおい、マジかよ……なんなんだこの剣は、ヤベェもん拾ってきちまった」

 何も信用できない。今ばかりは神様さえも。わたしはケンジくんに目を向け、背を曲げて顔を寄せる。けど、何も出来ない。苦しみながらも、私に向けて微笑んだその顔に何もしてあげられない。

「ケンジくん、わたし……わたし……ごめんなさい……ごめんなさい……」

「いいんだキュアラさん、謝らないでくれ……君の力に頼らないよう、生きてきたんだ……今更方針を曲げるような事を、神が止めてくれただけだろう」

「そんなの、ケンジくんが勝手に一人で決めてる事だよ……わたしはケンジくんが困ってたらいつでも助けたいし、頼って欲しいよ。あなたに、みんなに頼られるように、頑張って……頑張ってたのに……」

 もう一度回復を試す勇気も出ない。それで傷付く可能性を怖がってしまうと、今のわたしには何も出来ない。ケンジくんの目から、光が消えようとしていた。その手がわたしの顔に伸びて、もう力が無いのか、届かずに止まる。

「君の助けになれなかった事だけが悔やまれるけど、充実していたよ。光になってくれて、ありがとう……君は、ずっと、俺の光だった――」

 目が閉じて、その手が土に落ちる。その暗いオーラは、消えない。死体の周りを漂い続けて、わたしの最後の希望さえ覆い尽くす。きっと、蘇生魔法も効かない。それを悟っていたか、それとも死後さえわたしの魔法に頼るつもりが無かったのか。ケンジくんは先を見据えず、満足そうに眠っていた。

 ダリュくんが多量の汗を掻きながら、剣を地に転がした。周囲を取り巻いていた男の子達は、ダリュくんに怯えるように距離をとる。

「くっ、っくくくくくく」

 片手で目を覆って笑うダリュくん。そして両腕を広げ、限界まで開いた目でわたしを、みんなを見回した。

「どうだ⁉ 理解したか! 死者は本来戻らない! 人生は一度きり! その当たり前の感覚がテメェらには欠如している! この村は、この島は狂い始めているんだよ!」

 そして急に勢いが落ちたように腕を垂らし、低い声で呟く。

「耳を澄ましてみろよ、キュアラ・サクレリテス。ちょっと脇道で人が死んでも平然と流れる、ここの奴らの声をよ。ちょうどそれっぽい話題が聞こえてきたタイミングだ」

 わたしを含めて全員黙り込むと、中央広場の喧騒は容易に聞こえてきた。音の種類は多いけど、驚いてしまう内容や単語を発する会話は、脳が全て拾ってくる。

「鉱床の視察に行ってくる。今日は少し奥まで調べてみたいな。いざって時は教会行きだ、ちゃんと引っ張り上げてくれよ?」

「森に魔物が出たらしい。ってなわけで、ちょっくら行ってくるわ! だいじょうーぶ、ダチ集めた人海戦術だし、三人くらい死にそうんなったら大人しく討伐隊呼べばいいだろ?」

 ――酷かった。他にも真剣で稽古を頼んだり、水で泳ぐ練習だったり、勢いに任せて料理を食べまくる人とか。やる事は普通の日常風景に聞こえても、その言動や声音からは危機感を感じないというか、散歩する感覚で飛び降りてるというか。

「聞いたぜ、ケンジはテメェの蘇生魔法の回数を減らせるよう努力してたらしいな。だが減らないだろ、連れ込まれた怪我人、運び込まれた死体。理由は明白だ」

 お姉ちゃんが外で色んな人を助けたり、環境を整備したりし始めて、事故件数はかなり減った。けどしばらくしてまた増えた。今振り返れば、オリゴさんを運んできた二人といい、それより前の人達も。死の認識が軽かったように感じる。俯き、それらを振り返って呟く。

「みんな、慣れちゃったんだ。蘇生魔法のある生活に。わたしの蘇生は死の瞬間の恐怖や、痛みの記憶は戻らないから。それを伝える人も現れないで、ただ明るく帰っていくんだ」

 記憶障害による死の記憶消去、それ自体を悪く思った事は、実は無かった。優しい力だって思ってた。

「向き合え、キュアラ・サクレリテス。向き合わなくなった人々と、それを感じた俺達の警告から逃げて、意思を貫いた自分自身と」

 ダリュくんはわたしを責めるように言葉を重ねた後、力が抜けたように崩れ落ちた。

「そして俺も、いつの間にかそんな世界に染まって。狂っちまった事に、気付けないで……クソッ……なんなんだよ、どうしてこうなっちまったんだよ……ッ」

 昔はみんな、仲が良かった。ケンジくんもダリュくんも、わたしと一緒に笑ってた。

 レイナ様。あなたはこの魔法を救いと考え、わたしのために授けてくださったのでしょう。人間が愚かで、ごめんなさい。

 でもレイナ様は、魔物にも魔法を与える。人間のためだけでなく、世界全体のために力を使っている。だから少し、疑ってしまう。

 レイナ様は、わたしに何を求めていたのでしょうか。

 沈んだわたし達に向かって、速い足音が迫る。振り返ると、ホルクスおじさまが凄い速度で走ってきていた。年齢を無視した足腰だ。

「キュアラ様、探しましたぞ! 神託の儀へ向かっていただきます、今すぐに」

「えっ、今すぐって、きゃあっ」

 この悲惨な状況に目もくれないおじさまは、わたしを捕まえてお姫様抱っこした。今思うと間違いなく遅刻してるだろうけど、そこまで慌てて連れ帰られてしまうのはびっくりだ。

 ダリュくんは力が抜けたまま、顔だけ上げてわたしを見る。何も言ってこない。

 わたしも何も言えず、目を逸らした。そして自然と視界に入るおじさまの表情は、あまりにも切羽詰まっていて。

 息を呑み、強引に気持ちを移す。試練は、まだ続いていそうだった。

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