第5話 これからの覚悟
礼拝堂から外へ。日の眩しさと、穏やかとはいえ吹き続ける風を感じる。まだ慣れないけど、先程渡り廊下は往復したので身体がびっくりしたりはしない。
来た場所を振り返って見上げる。大聖堂とはいうけど、他の住居とそこまで大きさに差があるわけでもない。ただ、その後ろのトゥレゾ神殿はそれより一回り大きい。
さらにその後ろには標高の高い山――メレザの霊峰。緑に茂った他の山とは雰囲気が違って、木々は季節を問わず燃え続ける紅葉だ。それらが一直線に繋がってそびえ立つので、サクレリテス大聖堂も随分と大きな存在に見えてくる。
「とりあえず、お花畑に行ってみよう」
フードを少し深く被って、足元に視線を落とす。――いや、これじゃ駄目だ。
「笑顔、笑顔」
お姉ちゃんに会いに行くんだ、お姉ちゃんの一番好きなわたしになる。にっこり笑ってフードを軽く持ち上げれば、世界は簡単に明るくなる。
「よしっ」
前を向き、軽い足取りで歩き出す。足元をずっと見てなくたって、案外人は転ばない。
空は雲一つない快晴。アクラウム島嶼群は、この天気の確率が非常に高い。シルメン島が極東の島というのもあって、東側を見れば青空の他に何も見えないなんて風景が見えたりする。天空を漂う浮島は、それ以上の陸地を見せない。ちなみにシルメン島東の崖から下を見下ろせば、雲海が果てしなく広がっていたりする。
ご近所、ギリギリ聖堂敷地内みたいな場所。色とりどりの花が、一面に広がるお花畑。
遠くに聖堂や神殿が見えて、安心できるこの場所に、もうお姉ちゃんはいなかった。
まああれから時間も経ってたし、薄々分かっていた。次のお姉ちゃん候補へ散歩しに行く前に、お花畑の空気を浴びていく。
膝を折り、腰を落ち着けて、花の海に浸かるようにして神殿方向へ祈る。花びらを伴って優しく流れる風を受けていると、とても癒され、落ち着く。世界がその両腕でわたしを包んでくれるようだ。
そんな柔らかさに満ちた空間に、カシャリと。硬い音が割り込んでくる。
「ひっ……!」
咄嗟に祈りを中断し、身をかがめて花に隠れる。カシャリカシャリ、迫る音はわたしの近くで止まった。
「キュアラさん、だよな。そんなに俺の、鎧の足音って怖いのか?」
よく聞くその声に、わたしは上半身を戻して顔を向ける。
「ケンジくんかぁ……。もう、脅かさないでよ」
「そんなつもりは無かったんだけど……ごめんな。教会以外で会うのは久しぶりだったから」
そう言って頭を掻く彼は、よく聖堂にお祈りに来てくれる騎士さんだ。お兄ちゃんと同い年だけど、こっちはかなりの筋肉質で、お兄ちゃんより肩幅がずっと広い。
その細い目は睨んでいるようにも見えるけど、そんな事はなくて、むしろ優しい人だ。家族やシスター以外の未成年だと――唯一、信用できる。
「祈りの邪魔をしたなら、再開してくれて構わないよ。どうする?」
「ありがとう。じゃあ、もう少しだけ。ごめんね」
わたしが祈る間、ケンジくんは一切音を発さず、待ち続けてくれた。
祈りを終えて立ち上がり、膝とお尻を手で払う。
「ケンジくんは、どうしてここに?」
こっちの台詞だと言われそうな質問を受け、ケンジくんは表情を変えずに答えた。
「数日後に討伐隊の試験があるんだ。ゲン担ぎとか、初心に帰って目的の再確認とか。そんなところかな」
シルメン島辺境の森には、肉食動物の中でも特に凶暴で、体内に宿した魔力で狩りをする魔物と呼ばれる存在が住み着いている。レイナ様としてはある程度動物にも魔法を与え、全て平等に世界の住人とする考えなんだろう。実際獲れる肉やその他諸々のおかげでわたし達人間は生きているけど、正直その対応には苦労する。
オリゴさんや彼を迎え入れた二人のような、多少戦える民間人の苦労や被害を減らす為、最近は魔物討伐隊という精鋭の集まりが結成され始めた。ケンジくんは努力を重ね、若き最優秀志願者になっている。数年前初めて会った時と比べて、体の大きさが二倍になっている。わたしが突撃しても多分びくともしない。
「ケンジくんがすごく頑張ってたの、わたしはよく知ってる。あなたの明るい未来を、わたしも祈るよ」
「君がそう言ってくれるなら、俺は――ッ」
言いかけたケンジくんは後ろを向き、大きな体を回した。わたしはその先を一瞥して、大きな背中に隠れた。
「帰りに寄り道してみりゃ、キュアラ・サクレリテスサマじゃねぇか。良いよなぁ、お偉いネクロマンサーは墓参りなんて手間が無くてよ」
向こうから聞こえる声はわたしの心を一瞬で抉って、鎧に触れる両手を握らせる。
「ダリュ。今更どういうつもりだ。俺やお前の母親がアクラウムの土に還ったのは、遥か過去の話じゃないか」
「うるせぇケンジ、テメェとは話してねェ。出て来いよサクレリテスサマ、一般市民にゃ顔も見せねぇってか?」
わたしは素直に体を出し、真っ直ぐ向き合う。背中を曲げてわたしと視点を合わせるダリュくんが、ぼさぼさで長い土色の髪を垂らして睨みつけてくる。
別にわたしは、サクレリテスは他より位が高いわけじゃない。生まれた時から天に定められた役職がある家系というだけだ。道を迷わなくていいけど、道を選べないとも言える。今司教としての責務を全うするお父さんが、本当はもっと自由に生きてみたかったという思いだったことは、ホルクスおじさまから聞いている。本人からはそんな言葉、絶対に聞けないんだけど。
そしてそういった家系を除き、ほとんど人の名前はファーストネームのみとなる。ダリュくんがわたしをサクレリテスの名で呼び続けるのは、そういった点を含めた嫌味だ。
「人の生死を雑に扱ったり、向き合う事から逃げたりするつもりはありません。わたしは全て受け止めた上で、これからを与え、よりよき未来を歩めるようにと――」
「それを逃げるって言わねぇのかよ! オレのババアは死んだぞ、その事実から逃げねぇ。仇討ちに討伐隊を目指す足が折れねぇのは、オレが目を背けてない証拠だ」
わたしの蘇生魔法が失敗する条件は分かっている中で二つ。目の前に死体が存在しない事と、完全に寿命を迎えた衰弱死体の場合だ。魔物の被害で亡くなったダリュくんとケンジくんのお母さんは、わたしが蘇生魔法を習得して仕事を始めた時、既に骨も残っていなかった。一瞬の希望を失ったダリュくんのもとに、討伐隊の話題は舞い込んだ。
「オレの目を見ろ、オレの目を見ろよ、サクレリテスサマよ……揺れているか? 真っ直ぐ向いてるだろ……? 歪んだ女神サマの歪んだ力を扱う、プルプルプルプル震えてるテメェの目ん玉と違ってェ!」
「レイナ様の冒涜は許しませんっ! わたしはレイナ様のために、みんなのために……この力を扱えるように……救えるように、って……っ」
「ダリュ、もういいだろ。その目を向けるべきはキュアラさんじゃないって事くらい、お前が一番分かっているはずだ」
「……ケッ! テメェも、同じじゃねぇのかよ」
ケンジくんに指差した後、ダリュくんは踵を返す。その荒い足取りを見て、わたしは一歩踏み込む。
「ダリュくん、ここは大切なお花畑です。せめて、なるべく傷つけないように――」
次の瞬間、ダリュくんは足元の花を蹴っ飛ばした。絶句するわたしに顔だけ振り向いて、吐き捨てる。
「向き合え」
ダリュくんは去っていく。わたしがもう一歩踏み込もうとして、ケンジくんに肩を掴まれる。わたしは閉じた口の中で歯を食いしばって、涙を堪えた。
そう言うダリュくんこそ、どうしてお母さん以外の命を考えられないの。
頑張って立ち続けた。揺れて崩れて、倒れるわけにはいかない。
大人たちはみんな、蘇生魔法を歓迎した。女神様を崇め、わたしに感謝した。
でも一部の子供達は、わたしと同じくその負の面を不気味に感じている。ダリュくんほど露骨じゃないけど、外に出て年の近い人と出くわすと、あまりいい顔をされない。わたしが聖堂に引きこもる、主な理由だった。
「君はあくまで自分じゃなくて、女神や人々、花のために怒り、泣くんだな」
「泣いてない……泣きたくなんてない……」
ケンジくんはわたしの前に立って、いつもと変わらない声を降ろす。
「いいじゃないか。皆を、あらゆる命を大切にしている優しい心の証じゃないか。何度蘇生を行っても、蘇生を行えるとしても。目の前の命の尊さを忘れず、心から想い続けられる」
おもむろに片膝をついたケンジくんが、真剣な表情でわたしを見上げる。
「謝らせてくれ。俺は四年前、教会で蘇生を行う際に涙を流す君を見てしまった」
「えっ……」
「当時の俺はひ弱だったな。死体を運んで外に出ようとして、椅子にぶつけてすっ転んで、痛がってる間に連れが扉を閉めてしまった。蘇生を終えてからついでに俺の足も治して貰おうと、教会の椅子の裏に転がって隠れたんだ。転ぶ音すらちびっ子だ、君は気付かなかったんだろう」
運んでくれた人達は扉が閉まるまで見送るつもりだったけど、始めて一年足らずで、死者やその事件のショックが大きい時なら、そんな可能性も確かに考えられた。
「一体どうやって蘇生するのだろうか、キュアラさんはいつもの笑顔で華麗に役目を果たすのだろうか。興味本位で覗いてしまったよ」
俯いたケンジくんの表情が見えなくなる。言葉は続く。
「かかる責任の重さを垣間見た。抱えるものの大きさを知った。その悲痛な感情を察した。そして何より、それを感じてなお何も出来ず。結局他ならぬ君の助けを乞おうと動かない自分の足が情けなくて、ひたすらに悔しかったんだ」
顔を上げたケンジくんは、わたしの手を取った。大きくて固いその手は、わたしを容易く包み込む。
「俺が討伐隊のために体を鍛えたのは、ダリュのように母の仇討ちをするためじゃない。最も多い死因である魔物を狩る事が、君が一人で悲しまずに済む最善の道だと思ったからだ。俺は、君の助けになりたい」
「ケンジ、くん……」
いつの間に我慢できなくなっていた涙を、立ち上がったケンジくんがそっと払った。
「君と初めて会ったのはこの花畑だ。まだ蘇生魔法も無い頃だ。年下で、小さくて、でも俺よりずっと落ち着いた佇まいで祈り、笑う君を見て、俺は――いや、これは今言える事じゃない」
首を振って、数歩下がるケンジくん。いつもの距離感に戻った。
「とにかくそんな訳で、俺は今日ここに来たわけだ。……なぁ、キュアラさん。俺が試験に受かって、討伐隊に入ったら。また、ここで会ってくれないか」
お姉ちゃんだけじゃない。わたしの秘密を知って、その上で助けようと、みんなを守ろうと聖堂の外で頑張ってくれる人がいてくれる。その事実を知る、わたしはそれだけでも、大きく救われるのだった。
「うん、分かった。お祝いしないとだもんね。……ありがとう、ケンジくん」
「礼にはまだ早いかな。じゃあ、また」
「うん、また。あなたにご加護が、ありますように」
その大きな背中を見送って、空を見上げる。いつの間に日は傾き始めていて、お姉ちゃんも聖堂に帰ってそうだった。元々の目的とは違ったけど、外に出て良かったと思う。
「よし、明日も頑張ろう。笑顔笑顔っ」
日が沈む。安息日が終わる。日が昇る。明日を告げる。
神託の儀が、始まる。
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