第4話 信仰の形

 今日は安息日。お仕事をしなくていい日だけど、お仕事が出来ない日でもある。こういう暇な日はよくお姉ちゃんと遊んだり、料理をしたりするけど、今日のお姉ちゃんはお花畑を見に行くらしい。

 最近は訳あって外に出るのを避けているというのもあって、せっかくなので今日は久しぶりにお兄ちゃんに会う事にした。平日は朝と食事中に顔を合わせるくらいなので、しっかりお話しする事はあまりなかった。

 書斎の扉をそっと開き、中に入る。サクレリテス三姉妹――兄妹? ――は以前まで同じ部屋で寝ていたけど、いつからかお兄ちゃんは、あまり使われていない書斎に自分のスペースを設けて過ごしていた。

「お兄ちゃーん……ジェムスお兄ちゃーん……」

 わたしとお兄ちゃん以外に書斎の利用者がいない事を確認しながら、本棚から顔を出して覗き込む。小さくても声が届いて、お兄ちゃんはわたしに目を向けた。お姉ちゃんが持っていたものより数倍分厚い本を閉じ、アンダーリムの眼鏡を軽く押した。

「なんだキュアラか。そんなに縮こまらなくても、安息日でさえこの書斎は無人だぞ」

 まあたまにホルクス爺は来るが、と付け足した声を聞いたら、わたしは安心して本棚から飛び出す。足音が響く床と靴なので多少落ち着きつつも、速足でお兄ちゃんのもとへ歩いていった。

 普段は真面目な感じで周りが話しかけづらそうな雰囲気だけど、喋るととっても優しい声で微笑んでくれる。金髪は短くて赤い瞳もお姉ちゃんより少し細いけど、お姉ちゃんと一緒で温かい。あと早朝寝ぼけてると知性が無くなっててかわいい。

「あのね、今日はお兄ちゃんと遊びに来ちゃった。読書の邪魔しちゃったかな?」

 お話するだけでもいいというかそれが目的だったし、なんなら読み聞かせでも楽しいけど。なんて思いながら尋ねると、お兄ちゃんは小さく首を横に振った。

「いや。読書は毎日してるし、ちょうど他の予定があったから丁度いい。こんな暗い所じゃない、良い場所に行かないか?」

 そう言って立ち上がり、わたしに手を差し伸べる。

「お花畑とかは、今日は行かないよ」

 少し笑ったお兄ちゃんは、すごく楽しそうな顔をしていた。

「なに、もっと貴重な、素晴らしい場所さ」



 お兄ちゃんの後ろを、頑張ってついていく。途中で歩幅の大きさに気付いたお兄ちゃんが、こっちを見ながら速度を落としてくれた。

 お兄ちゃんが、いつの間にお姉ちゃんの身長を越している事にびっくりした。お姉ちゃんけっこう高身長なのに。やっぱり男の子なんだ。

 今お姉ちゃんは十八、お兄ちゃんは十七歳。別にわたしが特別低いとは思わないけど、二人はいつまでも、わたしを見下ろし続けるんだろうなぁって思う。その事を悪いとは思ってないし、むしろずっと見上げていたい。

 大聖堂の奥の奥まで歩いて、渡り廊下を通る。暑さの中、秋の始まりのような風が涼しく通り過ぎて、フードとその中の髪が揺れる。久々の外の空気が、顔や手、足元から全体に染み渡った。身体がびっくりしてる。

「その反応、もう少し外に出た方がいいんじゃないか?」

「内職シスターだもん。というか、お兄ちゃんが言える事じゃないと思うな」

 面白がるようにわたしの反応を見られたから、頬を膨らませて言い返す。本の虫お兄ちゃんは「ごもっとも」と笑った。

 そして急に床や壁が木から石に変わり、足音がさらに響くようになった。わたしは昔の記憶を思い出して、先の道とお兄ちゃんを交互に見る。

「お兄ちゃん、ここってもしかして……!」

「そう。我らが女神レイナ様の安置される、トゥレゾ神殿だ」

 狭い道が終わり、一気に開けた場所に出る。聖堂暮らしだからふらついたりはしないけど、それでも圧倒される天井の高さだ。随分前の事だから、以前来た時と違う景色にすら見える。

「神託の儀が近いだろう? ここもそのために開いていて、聖堂の僕ら修道士たちは入れるようになっているんだ」

「なるほど、確かに貴重だね。レイナ様がお目当て?」

「それはそうだが、言い方がなんとなく不敬だぞ」

 ははーんって感じ。お姉ちゃんの真似をするようにニヤニヤしながら聞いてみるけど、冷静に注意されてしまった。

 しばらく大広間を歩くと、それが鎮座している光景が現れる。その見た目の迫力と、音やら、空気やら、様々な要素でわたしに圧力をかけているようだ。思わず一歩引きそうになり、息を吐く。

「何度見ても、すごいよね……」

「ああ。あれから書斎の文献を漁り続けたが、これに関する知識は未だ得られない」

 柵で侵入不可となっているその奥には、金属で出来た物体が大量に散らばっている。細かい物は形状すら他で見た事が無くて、用途は一切分からない。

 特に目立つものを挙げるなら、五、六メートルくらいの高さでこちらを見下ろす、直方体の金属箱。それがいくつも一定間隔で並んでいる。指先ほど小さい穴から緑や黄色の光が灯り、時折短く高い音を発する。

 それらは同じ金属の大きな管に繋がっていて、中央の巨大な祭壇のようなものに集まる。管の外側でゆっくり流れる青い光の進行方向からして、祭壇に何かを送っているようにも見える。水とかかな。ここの空気はどこよりも冷たく、寒い。

 管の集まる祭壇の下には、縦二メートルくらいの大きなガラス筒が斜めに倒れている。その中にはシンプルで硬そうながらも上質な白いベッドが入っていて、その上に女神――レイナ様が眠っている。筒のガラス部分は半分で、ベッドがある方は他と変わらない金属。こちらもたくさんの管が繋がっている。金属の空間でレイナ様だけは、謎が無いように姿を見せてくれている。掛け布団もないので、服と体が全部見えた。

 お兄ちゃんは柵に触れそうなギリギリまで止まらないので、わたしもその隣まで歩いた。両手を組んでお祈りした後、目を開けてその姿を再び目に映す。金属群より手前なのでけっこう近い。

「やっぱり綺麗だよね。いつまでも変わらない姿で、ずっと綺麗」

 外見年齢は十八歳くらい、身長も今のお姉ちゃんよりちょっと低いくらい。ここから見ても分かるほど滑らかな白い肌。腰まで伸びる黒髪は横にも広がり、ベッドの白の中で光って見える。

 服の色も大半黒と白で、ボタンなど一部金色だったりする。腕は長袖で覆われてるけど、下はスカートで膝から下は靴を履いててもちょっと寒そう。手首足首は寝具のベルトで固定されているけど、締まりは緩く穏やかだ。まあ寝相とか一切ないけど。

「その点は同意だな。しかし今の視点でこのご尊顔を拝すると、人智を越えた存在がさほど僕らと変わらぬ人間の見た目であった事には驚く」

 言われてみれば確かに、神様が動物というか化け物じみた外見をしていてもおかしくないのに、今となっては生きてきた時間の長さすら同じくらいに思える。

「でも、この方が怖くなくて好きかも」

「ああ……」

 声音が少し変わった気がして、お兄ちゃんの横顔を覗き見る。こっちの視線なんて気付いてないくらいに真っ直ぐ、レイナ様を見据えるその目はいつになく輝いていて、楽しそうな、嬉しそうな表情はとても柔らかい。

 昔、お姉ちゃんが話していたのを思い出す。お兄ちゃんのレイナ様への信仰は、神様への敬意だけじゃなくて、女の子への恋も含まれてるんだって。

『本人から聞いたわけじゃないけど、あの顔は間違いないわね! 私達みんな身は捧げてるけど、ちょっと違うのよねぇ……あれ指摘したらまずいのかしら……』

『恋ってとっても大好きって事だよね。よくない事なの? わたしはお姉ちゃんに恋しちゃだめ?』

『信仰や好意にも形があるのよ。単純な大小だけじゃなくてね。私とキュアちゃんの好きは恋とは違うから、安心して? ほら、ぎゅーっ!』

『やった、お姉ちゃん大好きーっ!』

 わたしには、恋は分からない。お姉ちゃんに対する感情とは別で、それ以上の好意なんて考えられない。

 お兄ちゃんは、レイナ様に何を思っているんだろうか。

「お兄ちゃん、レイナ様の事好き?」

 声をかけると、お兄ちゃんは素早く片足を退いてから、すぐ戻って眼鏡を上げた。

「そ、それは皆そうだろう。キュアラは違うのか?」

「ううん、わたしも好きだよ。敬う存在で、感謝もしてて。この身、この力でレイナ様のために働きたい。お兄ちゃんは……その力で知識をつけて、何をしたいの?」

 お兄ちゃんが十歳の時その身に授かったのは、衰えない完全な記憶力と、得た知識、技能が即座に定着する特性だ。昔から勉強熱心だったお兄ちゃんにぴったりなその力は、最初こそ何の変化も及ぼしてくれなかったけど、今では頼れば大抵の事は解決の糸口を見つけてくれる、すごい頼れるお兄ちゃんになった。

「姉さんには、しばらく言わないでくれよ」

 お兄ちゃんはそう前置きして、レイナ様の方を向いた。――ずっとそっちばっかり見てる。

「レイナ様が僕にこの力をくれたのは、こんな謎に満ちた存在を理解し、関われるようにするためだと思っている。だからあらゆる情報を集め、技術を会得していった。より多く、より頼もしく、神の支えとなれるように」

「お兄ちゃん、錆びついた古代の小道具とか、すぐ動かして使えるようにしてたよね」

 お兄ちゃんは頷き、続けた。

「昔から爺――ホルクス様が羨ましくて、憧れていたんだ。彼は眠れる女神の意思を聴き、交信する力を持っている。僕らにどんな能力を授けたのか、次の神託の儀はいつなのか。それを伝えるため、爺は女神の声を聞く事が出来る。一人の人間でありながら、レイナ様と関わり、共に世界を支える大きな柱のひとつとなっている」

 お兄ちゃんには、この柵もガラスの壁も煩わしくて。このあと数歩の距離が、とっても遠いみたいだ。目を開けない、口を開かない冷たい静寂が、きっとつらいんだ。

 種類は違うらしいけど、わたしもお姉ちゃんとこの距離を保ったまま話せないとしたら、耐えられない。そう考えたら、理解できる気がしてきた。

「明日の神託の儀、楽しみだね」

「そういう事だ。爺は全く衰える気配は無いし、その方が良い。しかし、後任くらいはそろそろ決めてやるべきだと思うし、それが僕であれるよう、これまで努力を欠かさずにいたんだ」

 明確に定まった目標と、それに向かう努力。そして純粋な献身の心。

 多少何かが混じっていたって、あつい信仰には変わりない。別にそれでいいんじゃないかな?  なんて、心の中でお姉ちゃんに言ってみた。

「今のお兄ちゃんを見てたら、なんだかお姉ちゃんに会いたくなってきちゃった。忠告通りお外に出てみるよ」

「なんだそりゃあ。なら気をつけてな。僕はもう少し、ここに残るよ」

「分かった。じゃあね、お兄ちゃん!」

 レイナ様に深く祈りと礼をしてから、お兄ちゃんに手を振ってこの場を後にした。

 神殿を出る前に振り返ると、お兄ちゃんはその場から動かずレイナ様を見ている。その背中を見てわたしは、なぜだか少し寂しくなった。

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