第3話 救済の畏怖

 数日後の夜。夕食の用意を進めていると、数人のシスターさんに手招きされた。わたしはここの最年少シスターなので、みんなの身長が高い。

「キュアラちゃん、キュアラちゃん」

 真剣な様子だったので、早々に手を洗って駆け寄る。

 足が重い。笑顔笑顔。

「はい、どうしましたか?」

 並んで中央にいたシスターさんが、申し訳なさそうに言う。

「キュアラちゃんの力を必要としてる人が来たの。夕食担当は私が引き継ぐから、お願いね」

 そうそう人は来ない時間だけど、わたしの案件となると、確かに翌日に回したくもないだろう。その人や周囲にとっても。

「分かりました、ではお願いしますね。お姉ちゃんにもこの事は伝えておいてください」

「おっけー、なんならレスカさんにはキュアラちゃんの作ったやつ渡せるようにしとくね、楽しみにしてそうだし」

「ええ是非! ありがとうございますっ」

 ここでの心残りを晴らし、わたしは礼拝堂へ速足で向かった。

 どうか深刻でありませんように。なんて、叶いもしない望みを今日も祈る。

「頑張って!」「頑張れ!」「頑張ってね!」

 送り出すシスターさん達の応援が聞こえた。希望は失われた。



 祭壇の前に担ぎ込まれた男の人の体が倒され、床を汚した。

「来てくれたか、キュアラちゃん」

「色々間に合わなかったけどよ、どうにかこうして帰って来れたぜ」

 息も絶え絶え、傷だらけの二人組は笑ってわたしを見下ろす。

「そんなに怪我して……! 今、回復魔法を使いますから――」

「いいっていいって後回しで。まずはコイツよ」

 酷い事だと思っているのに、我ながら見ないようにしていたものを彼が指差してくる。指し示される通りに見下ろし、血の気が引いた。

「オリゴ、さん……」

 目を開いたまま、まばたきもしない。息をしていない体は僅かにも動かず、広がる血がわたしの靴に触れた。

「俺達は森から出てきそうだった動物の生活圏を取り戻すために、オリゴも連れて魔物討伐に出た。そしたらその魔物、実は三体もいやがった。コイツ、囮役をやるとか言い出してよ。見事勝利出来たが、そん時にゃご覧の有様よ」

 足が震えそうになる。両手を組むと力が入って肩が震える。もう少し、我慢。

「頼めるかい?」

 わたしは頷き、震えないように声を出した。少し早口になってしまった。

「もちろんです、任せてください。早速魔法を使おうと思うので、お手数ですが外でお待ちください」

「あぁそうだった、悪い悪い」

「オリゴの事、頼んだぜ!」

 二人組は明るく手を振りながら離れ、扉を閉めた。

 元々回復魔法だけは使えたわたしが、十歳で授かったさらなる力。別に誰かがいると不発になるなんて事はないけれど、みんなにはこれを使う時、席を外してもらうようお願いしている。理由は――

「オリゴさん……どうしてっ……」

 わたしもこの時ばかりは、感情を隠しきれないから。笑顔でいられないから。

 足が崩れ、膝が血の池を叩く。修道服もハイソックスも赤に染まる。

 血はすっかり見慣れてしまった。でも人の死はいつまでも慣れない。

 顔を覆って泣きじゃくる。拭っても拭っても止まってくれない。

 泣き止むまで魔法は使いたくなくて、おかげで発動に時間がかかる能力と思われている。

 彼の為にもなるべく早く行いたい。両手で頬を叩いて、涙が止まったのを確認する。始めよう。わたしだけが出来る役目をしっかり果たそう。

 両手を組み、祈る。レイナ様にお願いする。オリゴさんの事を思い、回復魔法を発動する。オリゴさんとわたしの体とその周囲が、緑に、やがて白く輝き始めた。

「わたしは、力になれましたか」

 あの日のわたしの言葉は、あなたを救えたでしょうか。

 この結末は、わたしが寄り添った事でより良いものになった結果で、もっと悪い未来もあったのでしょうか。

 そんな事はない。死は終わりだ。その人にとって、それ以上も何も無い。わたしはこの人を守れなかった。

 ならせめて終わる時、わたしの存在はあなたを前向きに、後悔の無いような思いにさせてくれたでしょうか。なんて、まるで赦しを乞うような事を思っても、彼から答えを聞けはしない。

 目を閉じ、強く、強く祈る。これまでと、そして――これからを。

 しばらく目を開けられないほどの光を、瞼の裏からでも感じる。

 蘇生魔法リザレクションは、今回も成功した。

「ん、あぁ……? 俺は、なんで……」

 声が聞こえたので、目を開ける。組んだ手も離して、安堵の息をついた。

「無事成功しました! 入ってきても大丈夫ですよーっ!」

 普段はわたしが扉を開けるけど、足が動かなかったので大声で呼びかけた。

 二人組が駆け寄って、オリゴさんを持ち上げる。

「さっすがキュアラちゃん! これで被害者ゼロだな!」

「ほらオリゴ、もうあんな無茶すんなよ? 夜にここに来ると帰りが遅い」

「は……? あ? なにが、なんだか」

 そういえばこの二人がここに来るのは久しぶりだった。説明が必要だ。

 ようやく動き出した足をゆっくり立たせ、心からの笑顔を見せた。なんであれ、今生きてくれているのは嬉しいから。

「蘇生魔法を使った際は、しばらく軽い記憶障害のような副作用が起きます。しばらくすれば治りますから、今日はもう、ゆっくり休ませてあげてください。それと、あなたたちも――」

 通常の回復魔法はすぐに出せる。二人に向けて両手を広げ、祈りを込めると、傷はみるみる癒えていった。

「――はいっ」

「うぉっ、すげぇー!」

「オリゴは服まで直して貰ってるけどな」

「ほんとだ、ずりぃぞオリゴ!」

「知らねぇ、俺なんも知らねぇよ……」

 わたしの望む答えを持たないオリゴさんを見ていて辛くなってきたので、退出を手で促す。察した二人はオリゴさんを引っ張って歩き出した。

「んじゃまたなー!」

「夜遅くにすまなかった、次はなるべくないようにするよ」

「お祈り目的などでしたら、いつでもいらしてくださいね。皆さんにご加護がありますように……」

 扉が閉じると、再び静寂が訪れた。わたしは後ろに振り返り、祭壇と、その奥の煌びやかな内装を見上げた。

 魔法は、眠れる女神レイナ様の行使可能な力を一部分けてもらい、わたしたちが代わりに使えるようになったもの。

 お姉ちゃんのように、沢山の人を助けられる人になりたいと思うわたしに授けてくれた、大いなる救済の力。

「レイナ様……あなたは本当に、すごい神様です」

 そして、ちょっとだけ――怖いです。



 汚れた床の清掃と、服の着替えをしてから、夕食を取る。味はあまり感じなかった。

 部屋に帰ると、ベッドにお姉ちゃんが座っている。相部屋だから当然だけど、いてくれる事がとても嬉しくなる。

「あっ、キュアちゃん」

 わたしに気付いたお姉ちゃんが、本を閉じてこちらに目を向ける。歩みと共に徐々に歪んでいくわたしの表情を見て察したか、慈悲深い微笑みで両腕を伸ばしてくる。

「お姉ちゃん」

「うん」

「お姉ちゃん……っ!」

 腕の届く場所まで歩いてから、限界を感じて飛び込む。あの時どうにか我慢できた分の涙が、全部溢れ出してきた。

「わたし頑張った、いっぱい頑張ったよ……!」

「うん、えらいわキュアちゃん、とってもえらい」

「怖かった、辛かった、悲しかったっ……」

 全身でわたしを包み込んでくれるお姉ちゃんに縋る。わたしが唯一、真の安息を得られる場所。

「もう――っ」

 嫌だ、は飲みこむ。どんなに辛くても、これはわたしの誇れる力で、全うしたいと思う役目で、これからも続けたい存在意義のひとつだ。

 わたしが蘇生魔法を覚えてからは、配属が玄関――礼拝堂になった。そこで怪我をした人や、死んでしまった人を魔法で治している。

 ホルクスおじさまによると、蘇生魔法は長い歴史においても世界初らしく、わたしは現状唯一無二の使い手になっている。その情報はシルメンの村のみに伝わっていて、村人が事故で亡くなった場合、当然全てわたしのもとへ運び込まれる。

 わたしは村のみんなと話し、知り合う。そしてあらゆる事故や被害を知り、顔馴染みの死体を見る。こんな生活をもう五年、続けてきた。

 素晴らしい魔法ではあるから、みんなには良いものとして捉えて貰う。ただお姉ちゃんにだけは、わたしの蘇生魔法に対する悩みを、負の面を伝えている。

「キュアちゃんは頑張った。十分頑張ってる。だからちゃんと休んで。私がいるから。この部屋にいる間は、なんにも頑張らなくていいから。甘えて? なんにも遠慮せず、話してね」

「うん……うん……っ」

 みんなは頑張ってねって、応援してくれる。それ自体はもちろん嬉しい。嬉しい。

 お姉ちゃんは、頑張らなくていいって、言ってくれる。だから、大好き。

 泣きつかれて眠ってしまうまで、お姉ちゃんの胸の中で甘え続けた。

 そうしたら、明日はまた、笑っていられる。

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