第2話 幻の島

「おお……! 小さなシスターさん。ここはシルメンの村の教会で合っているかい?」

 それなりに筋肉の付いた四十代くらいの男の人が、祭壇に到達する直前でへたり込んだ。その辺りは皆さんがお祈りをするための椅子が並んでいるけど、今はいないし、余程疲れているようなのでその場でわたしも膝を着く。

「はい、その通りです。もしかして、外から来られた方ですか?」

 一度話した人は大抵忘れない。最近記憶を失った人でもないのは確かだから、珍しい客人だ。

「良かった、本当に実在したんだな。極東の離島、かつて栄えた宗教、メレザ教の総本山!」

「廃れたりなど、していないつもりですが……」

「あぁすまん、こんな事言っちゃいかんよな。こうして目の前にあるんだし」

 昔はこの世界――アクラウム島嶼群とうしょぐん全域で当たり前に信仰されていた女神レイナ様だけど、現代ではそれほど常識でもないという事自体は、家族やおじさまから聞いている。しかし、そもそもの存在がここまでおぼろげになっているなんて事は知らず、少し動揺してしまった。

 レイナ様は別に信仰とかが無くても万民に魔法や加護をくれるから、密かに護り続ける方が良いなんてことも聞くけど、わたしにはあまり賛成できない考え方だ。

「それで、此度はどのような用でこちらに?」

 宗教の存在を信じてたけど信者では無さそうな彼は、ようやく疲れがとれたように動き出し、「失礼」と一言、椅子に腰を下ろした。その表情は先ほどと打って変わって、影に覆われている。

「村に着いて早々、出くわした人に話しかけた。今すぐ俺に仕事をくれ、働かせてくれって。ただ俺も情緒不安定というか、落ち着きがなくてな。その人はまず、地に足付けるためにシスターと話してこいって、ここまで案内してくれたんだ。そんなわけで、相談に乗ってくれるか……? 信者でもない、よそ者だけどよ」

 いつものわたしの仕事の範疇だった。いや、仕事じゃなくたって、こんなに辛そうな顔をした人や、わたしを信じて案内してくれた人を裏切れるわけがない。

「よそ者なんてこの世にいませんよ。わたしでよければ、聞かせてください」

 わたしは両手を組んで、俯く彼を見上げるように見つめた。彼も少し顔を明るくして顔を少し上げたので、わたしも背中を伸ばして笑った。

 彼の名前はオリゴさんというらしい。ここシルメン島から西にあるゼニムス島は、現在貧困地域のようで、オリゴさんやその家族も、飢えに苦しむ一人だったそう。

「そこの貧乏人共の集まりが、西の中央大陸に逃げて職を探そうって動き出したんだ。ゼニムスで働くのは訳あって不安しか無くてな。だが中央大陸が俺らを歓迎するかも分からなかった俺は家族に、東へ幻の島を探しに行こうって提案した」

 途中まで進んでから、希望の見えなくなった妻が中央大陸に行くと言い出す。しかし今更引き返せない事を悟っていたオリゴさんは、このまま進むと曲げない。言い争いの末に子供二人も母親に付いたが、オリゴさんは家族と別れてすぐ霧の道に辿りつき、進んだ先はシルメン島に続く橋だったそう。

「たとえ信じて貰えなくても強引に引き連れるべきだった。もしくは俺もあいつらについていくべきだったんだ。何もない俺達に信じられるのはそれこそ神しかいなかったから、俺は頑固になりすぎた。今更引き返す事も出来ない、俺は家族を見捨てた。情けなくて悔しくて、せめて俺は真っ当に生きてやろうと、そしていつかあいつらの現在を確かめてみせると、ここで働いて過ごそうと思った」

 オリゴさんの声音は自分への怒りによって力強く響くようで、それでいて赦しを乞うように震え、怖がっているようにも聞こえた。

「シスターさん、俺は必死こいて働くつもりだ。戦いだって出来るぞ、魔物とだってやり合える。こんな俺を認めてくれるか? 俺は、村の彼らと、生き続けていいんだろうか……?」

 罪をゆるす力は、わたしにはない。認めるかどうかも、わたしが決める事ではない。わたしはとても無力だ。

 でも、その過去の行いに悩み、不安に駆られる瞳は、わたしと似ている。そしてそれをいつも助けてくれるお姉ちゃんなら何を言うか、わたしは知っている。

「大丈夫です。そんなに、怯えないでください。きっと皆さん優しいですから。女神様も、村の人も、あなたの家族だって」

「怯え……?」

 わたしがオリゴさんの頭を撫でるように触れると、自身が震えている事に気付いたように、ハッとした。

「オリゴさんは今まで以上に頑張って、無理しようとしてます。でも、そうでもしないと認められないなんて、そんな事はありませんよ」

 彼の荒れた呼吸が落ち着いていくのを確認しながら、頭を撫で、言葉を続ける。

「これまでだって、沢山頑張って、無理してきたんでしょう? 認めてあげてください、自分を。よく頑張りました。せっかくここまで来たんです。よく休んで、肩の力を抜いて、いつも通りに毎日を過ごしてください」

「シスターさん……俺は……いいのか……?」

「キュアラといいます。頑張らなくてもいいですよ。それでも気が抜けない、怖いのでしたら、またここに来てください。どこかひとつ、誰か一人でも安息を得られる場所がある。それだけで、人は何度折れても立ち上がれますから」

 わたしは膝を立て、泣き出しそうなオリゴさんを抱き寄せて、落ち着くまでそうしていた。

 わたしも、お姉ちゃんみたいにやれたかな。

 今回の話で、レイナ様の存在が多くの人にとってとても遠いものになっている事、世界はあまり平穏でもない事が分かってしまった。

 やっぱり、レイナ様も全てを救う完璧な存在というわけでは無いみたいだ。

 そんな一瞬の不信を見抜かれたのか、その夜はやってきてしまった。

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