第33話 お詣りが終わったら
お詣りが終わったら
デートはいつも碧の家に迎えに行った。それに甘えていつも望は遅刻していた。碧とのデートはいつも咎められることで始まった。今思えばたとえ家でも時間通りに来ないことはかなりの不安を与えていた筈だ。失敗は理想型に近づく糧になる。望の出会った優秀な人は同じ失敗を繰り返さない。それも予備校時代以来学んだことだ、高校には優秀な同級生がいなかった。
望は1時間前に待ち合わせ場所に到着するつもりだったが、到着したのは15分前だった。時間にだらしない者には、それに見合った対策がある。万人が共通して使用できる公式などはないのだと思った。数学には真実があるが、理科には真実に近いところにしかいけない。恩師の言葉を思い出していた。そして大学で「公理」という言葉を知った。
待ち合わせの8分前に望は歩いてくる菫を見つけた。しょっちゅう時計に目を落とし、緊張する自分を笑う余裕が生まれた。菫は一度望に目線を向けたがそのまま望の前を通り過ぎてしまった。望は自分が扉を開ける前のシュレーディンガーの猫になってしまったのかと思った。望はそうだとしたら、消滅した自分に意識がある事に”消えるということはこんなもんか”という感想を持った。肉体だけ滅んで意識が継続するのであれば死の恐怖は90%以上が取り除かれる。とりあえず菫の後を追って声を掛けた。
「すいません。赤羽駅に行きたいのですが、道を教えて頂けませんか?」
ここは赤羽駅である。菫は望に気付いて笑顔で答えた
「ここから東に40,000 km程進んだところにありますよぉ~」
「東ですか?
北も西も南も裂ける
王座は砕け 国々は震える
逃れよ!
清らかなる東方へ
美しい女性よ、今日の予定を中止して僕とどこかへ出かけませんか?」
「ああ、美しいなんて・・・よく言われますのよぉ~
でも今日は、国語の偏差値23の人と約束しているのぉ~
ごめんなさい」
望は笑いながら
「偏差値23! 悪いことは言いません。そんな奴はあなたを不幸にするだけです。見た目で恐縮ですが、あなたは賢媛(けんえん)な顔つきをされているように見受けます。そんな者に係わってはいけません。今すぐ見切りを付けるべきです」
「ダメなんですぅ~。もう私のお腹の中にはその偏差値23の男との新しい命が・・・」
「ああ、こんな美しい女性が何と労(いたわ)しい・・・。ってこの茶番いつまで続けるの?」
「望は付き合いが良いな」
「菫さん、足が長いんですね。今日は一段ときれいです。特にデニムが最高です
でも、僕を無視して通り過ぎるのは酷いですよ」
菫は望のジャケットを直しながら
「ありがとう。そのいやらしい目でどこを見ているかが分からなければ素晴らしいのだけれど・・・望は前の人にすっかり飼い慣らされていて、おもしろくないなぁ。
でもその眼鏡、似合っている、大学の望とは別人みたい」
望は運転免許証取得のために作った縁なし眼鏡をしてきた。菫には好評なのかお世辞なのかは分からないが、菫に言われるのはこの上なく気分が良い
「ありがとう。容姿で褒められたことないから、どういう返答していいか分からないな。
そんなことより、どうなの体調の方は?」
「あっ。・・・望ごめん、会って直ぐで悪いんだけどトイレに行ってくる」
望は察した
「ああ、ここで待っているから行ってらっしゃい」
菫はごめんと言ってトイレに向かった。望は飼い慣らされているとすれば紫だと思った。
望は今起きている菫の事情も紫と親しくしている時に知り得た。望は付き合った女性の為なら1人でナプキンを買いに行けるし、買ってきたものが意図したものと違うとインネンを付けられても不機嫌な顔をせず、受け流すことができる自信がある。
紫とは当時身体の関係はなかったが、第三者が見れば望と紫は交際していると見えたようだ。現に中学時代を知る親友斎藤もそう断言していた。22歳の女性が14歳の男と付き合ったとしたなら女性の対応はこんなものだと20歳になった望は分かったような気がする。自分でも14歳の少女と親しくしたなら同じようにしたに違いない。
望は菫の姿を確認すると少し早足で菫のもとに向かった。菫は驚いたことが分かる声で
「どうしたの」
菫は不思議そうな顔をした
「さっきみたいに素通りされても、返すネタがないので、飼い主を見つけた猫のように迎えに来ました」
菫はただ笑っていた。望は、猫ではなく犬だろうなと思ったが、シュレーディンガー博士の選択に倣った。そして、わざと菫に嫌われるであろう発言をしようと思った
「お詣りが終わったら、がんばらなくてもいいよ」
菫は笑い顔を止めて
「どういう意味?」
「お詣りが終わったら、今日は、お姫様でいいってこと」
菫は何も言わなかった
「がんばらなくていいよ」
望は大宮までの切符を渡した
「今日は私の事なんだから、お金を払うよ。それと、困っちゃうから変な気を遣わないで
”飼い慣らされている”って気に障った?」
望は笑って
「菫さんに何言われても、大抵なことでは怒らないよ。それと、せめてこのくらいはカッコつけさせて」
菫に愛想をつかされてもなんら後悔することはなかった。ただ、菫には親切を素直に伝えただけで、望に駆け引きの意図はなかった。昨晩望は、巴と心中する決断と覚悟をした。一週間後には消滅する運命を受け入れることにしたのだ。決断のお陰で昨日はゆっくり眠ることができた。夢を見たようだが内容は覚えていない。
「望…」
菫は切符でなく手を握った
「これから神様の場所にお願いに伺うのだ、嬉しいけど、お詣りが終わるまでは慎んで。・・・行こうか」
「望…」
菫は望のジャケットをつまんで改札を抜けた
「高崎線の方が早いね。座れるかもしれない京浜東北線にする?」
「高崎線にする」
即答する菫を望は好きだと思った
「仲悪いんだろう前橋と高崎って」
「詳しいのね」
「福田さんと中曽根さん、先祖代々の因縁とか」
「まあ、年配の人はね・・・。
望はさあ、随分女性慣れしているけど誰に飼い慣らされたの?」
望はさっきの布石があり、菫が口にしない話題と思ったので不用意な言葉が漏れた
「ゆ…、菫さんのデニムかな」
名探偵ビオラこと菫が見逃すはずがない
「ゆ?ゆ・・・何だって」
望は無駄な抵抗をすることにした
「ゆ、ゆ、ゆき先輩、サイトウ詩集(斎藤/西東〈ゲーテの詩集〉)の果てにあるものか」
菫の顔が怖い。望は周囲に漂う思い空気を察した。隣のホームに上野行きの列車が到着した
”小夜さんとの契約だもんね”
望は菫がそう言ったように聞こえた。聞き返さなかった
「私ね、小中学の時は凄くモテたの」
望は重い空気を祓うように、菫の会話に合わせた
「菫さんはかわいいし、今でもモテるでしょう。僕なんかと一緒に歩く人じゃない」
菫は望の言葉に気を留めず、自分の話を続けた。
菫は異常な嫉妬心を持っていて、中学時代に付き合った人が他の女性と話していることが許せなかった。そして菫は、彼氏だけでなく、話した相手を執拗に責めたてた。そんな態度が続くと彼氏も去って行ったし、同級生からも避けられるようになって中学校では村八分だったという。中学三年生の頃には学校で同級生と会話をすることがなくなった。
菫の孤独を癒やすものは勉強と食べ物だけになっていた。成績は仲間はずれにした者達を見下すことができた。食べ物はすさんだ菫の心を癒やしてくれた。
高校は難関の女子校に合格した。高校1年の時、更衣室の鏡に映る自分を見て泣いたという。菫にとって過食は依存症になっていた。高校2年の夏の体重が一番重かったが、その時期を頂点に体重は増えなかったという。
望は女子校という周りに男のいない環境は、恋愛が押し売りのように訪れないのと、太った菫の体が防御壁になって中学時代に経験した菫の心の傷を癒やしていったのだろうと思った。一昨日の会話で菫が人嫌いと感じたことが的を射ていたように思えた。碧の話は菫の心の中に蠢いている何かが目を覚ましたのかもしれない。
「菫さんの美しさにはその憂いが含まれているんだ」
「偏差値23が言うわね」
望は笑った。菫の言葉には碧や桃香が使ったような言葉の感触を抱かれない。高校時代の苦悩が時折菫の言葉に顔を出す
「今でも好きな人が他の娘と話していると憎い?」
「どうかな?」
「今は好きな人がいないってことか」
「私も小夜みたいに同性愛に目覚めようかな」
「女子校だと、そういうこと頻繁にあるの」
菫は何も答えなかった。
ちょうど高崎行きの橙色の列車がホームに滑り込んだ。消滅を覚悟した望は大胆だった。菫の腰に手を触れて乗車を促した。さすがにその手を下にずらす覚悟はなかった。
つり革に手を預けながら菫は言った
「太っている頃、駅前で、男の人に声かけられたの」
望も菫と肩を並べて答えた
「まあ、菫さんは太っていても素材がいいから、声を掛けられるでしょう」
菫は冷ややかな顔で続けた
「この辺で美味しいピザの店を教えて下さい」
望は驚愕のあまり血が引いていくのがわかった。これは記憶になかったのではなくて、あのとき望が声を掛けた女子高生が菫であったことに気付いていなかったのである。ただし、望はここで言葉を挿むのを躊躇した。
菫に声を掛けた男は、地元の者でないので、ピザの店を教えて欲しいということだった。すでに他の人にも聞いたらしく、どの店がいいかとも聞いてきた。男には連れの女性がいた。女性は自分と同じ位の背丈だった。太っていなければ自分の方がかわいいと思った
”いいよそこまでしなくて”
女性は男に言った。理由は分からないが、その言葉に嫉妬した。
男にお勧めの店と、お勧めのメニューを伝えた。女性は笑顔で一緒にどうかと誘ってきた。男の顔を見ると男も笑っていた。この男は女性が相談なく勝手にすることを快く受け入れていることに不快をおぼえた。”どうしてこんなに仲がいいの”お誘いを断って去ろうとすると、2人は敬意のこもった過剰のお礼の言葉をくれた。まったく、社交辞令の感じはなかった。自分が惨めに思えて少し早足で2人のもとを離れた。男が言った
”あの女子高生の椅子になりたい”
最初は太っていることをバカにされたのかと思った。振り向くと2人は腕を組んでいた。教えたお店に向かって歩く後ろ姿が目映く見えた。良く見ると女性は体の均衡に合わない大きなお尻だった。この映像がずっと遠くの世界で起こっているように感じた。さっきまであんな近くにいたのに。立ちすくんだまま2人を見守った。2人がこちらに振り向くことはなかった。
・・・あの人がゆかりさん?」
望は2秒ほど回答に迷って
「紫さんのこと菫さんには話していなかったよね
・・・菫さんは信じられない程耳がいいんだね」
菫は頷いた
「そうか、じゃあ小夜さんとの話も断片的に聞こえていたんだ」
「断片的?随分的確ね。望は私の耳のこと前から知っていたの」
「ばかな、僕を超能力者かなにかと勘違いしていない?僕は写真をやっているから、人間の目が情報全てを分析できる訳じゃないことは写真に本格的に取り組んだ頃に気付いた、意識したものしか認識できないことは何となく分かっている。耳も同じでしょう。全て入って来たら脳が処理できない。だからいらないものを捨てるか無視している。それで断片的」
「期待外れ、全然驚かないんだ望は」
「僕に話したことを驚いている、共産主義の国に分かったら菫さん諜報員にされちゃうね」
「私を売る?」
「僕の人生は共産主義思想の連中との戦いの歴史だからね、菫さんを売るようなことがあったら我が人生の名折れだ。命に替えても菫さんは護る。たとえ菫さんとの関係がどういう形になっても」
「ねえ望、大宮で下りないで高崎まで行こうか」
「いいよ」
「高崎で両毛線に乗り換えて利根川を越えて前橋駅で下りるの。そして前橋中央駅まで歩いて・・・」
「ご両親に会いに行くのに、手ぶらじゃ行けないよ。前橋で手土産を買うのも取って付けたみたいだし、好敵手の高崎でお土産なんて買ったら心証が悪いから、大宮で下りてお土産買った方が良いかな」
「私はね、この人ならば私以外の人を見ない人だと紹介するの」
「この椅子は座り心地悪いぞ、それは買い被り過ぎだよ。まあ、菫さんが誤解しているうちに既成事実作っちゃえばこっちのものだけど」
望は何故これほど菫が自分のことを信頼しているのか理解できなかった
「5月の実験の授業、流し台で偶然隣り合わせたね、望は何て言ったか覚えている」
これは、望の脳裏に昨日蘇った記憶である
「”佐々木さんは料理上手の洗い方だね”って言ったかな。僕も独り暮らしを始めて分かったんだけど、洗い方を見て菫さんは料理をいつもしている人だと思った」
「その直後、地震が来て、直ぐに私を座らせて防壁板になってくれた」
「流し台とスクラム組むとは思わなかった」
「ずっと、お礼が言えなくてごめん。あのときはありがとう」
「写真をやっているから、状況で体が勝手に動いちゃうのだろうな、一種の趣味病だよ。菫さんでなくても女性だったら同じ事していたよ・・・多分」
「地震の後、混乱しちゃってオドオドしていたら、奈緒さんが来て”流し替わってくれる”と言われて、お礼も言えずに追い出されちゃった」
「奈緒さんに、菫さんといい感じになるところを邪魔されちまった形だな」
「声聞いて、前橋でピザの店を聞いたあの人じゃないかと思ったけど聞けなかった。あの頃にはもう、望と奈緒さんは仲よさそうに話していたし。私に嫉妬したのかな?でも私の方が奈緒よりずっと前に・・・」
望の脳裏に巴すなわち未来の菫の言葉が蘇った
”ごめんね奈緒、あなたが見つけた宝箱を私が奪ってしまって”
何かがおかしいと望は気付いた。最も単純な結論は、巴の時空は跨線橋での紫との口づけの記憶につながっていて、大学生の菫の時空は前橋のすんすんとのデートの記憶につながっている。これは一般の常識では解釈できない同じ時間に起きている、両立し得ない記憶である。まさにシュレーディンガーの1935年の論文「一般的信仰告白」のシュレーディンガーの猫状態である。量子力学を学んでいなければ気がおかしくなっていたところだ。考察の前に菫への返答だ
「僕って男として商品価値あるのかな?お詣りが終わったらその話もしなくちゃね」
菫は笑いながら
「あれ、私の実家に行くわけじゃなかったの?」
「そっちが良ければ、そうするよ」
「そんなに簡単に決めちゃっていいの?」
「それは僕のセリフだ。・・・でも」
「でも?」
「でもその前に、巴の話を片づけないとね」
「・・・ごめんね、望の気持ち試したりして」
望はこの時点で菫が抱えている問題の原因が分かった気がした。菫が耳が良すぎることが人嫌いを助長したのだと確信した。菫は人の裏の声を聞きすぎたのだろう。本音と建て前の声を聞き続ければ気も滅入ることは予想に容易い。自分のように世間の視線を無視して正直に生きることを選んだ人間が特別な人に見えたのかも知れない。
「かわいい女性に試されるのは大歓迎だ、幾らかでも僕が君の心の中に存在しているってことだろう。
僕も小学生の頃からずっと孤独だった。同級生に腕の良い工作員の少女がいたからね。小夜さんとの契約は先に小夜さんに破られたので破綻しているから話すね。
中学2年生のとき、久保紫さんに出会って、彼女に助けてもらった。仲良くはしていたけど、男女の関係はなかった。前橋で菫さんと出会った人は黒羽量子さん。紫さんの高校の友達、あの日、紫さんの前で口説いた」
「うそ、最初のデートであんな感じになれるもの?」
「僕は、最初のデートで彼女のご両親に会いに行くって言った男を知っているぜ」
菫は黙って俯いた。
話し込んでいるうちに、大宮は間近になっていた
「赤羽と大宮は近いね。菫さんは因幡の白ウサギの話はどの位知っている?」
「ウサギって私のこと?」
「ラザフォード博士が仰っていたよ。科学の完全な理論は白いレオタードのバニーガールが理解できるようでなければならない」
「私を見るな!」
菫は望の目を菫の手で隠した
「ごちそうさまです。鼻血でそう」
「ラザフォード博士は、絶対そんなこと言っていないだろう。いきなり何の話だよ」
「氷川神社にお祀りしている神様のお話。氷川神社は出雲大社系なんだ・・・大宮駅到着したね、下りよう」
2人は電車を降りると人の流れから離れて、人波が落ち着いてから改札に向かった
「望は年中スケベなこと考えているワケ?」
「それは君がかわい過ぎるから考えるんだ、つまり君のせい」
「くたばっちまえ」
「え~ここは”かわいい”ってのは罪よね~って言ってくれると思った」
「くたばれ!」
望も菫も笑顔だった
「氷川神社の神様、須佐之男命とその奥様稲田姫命そして、因幡の白ウサギでウサギを助けた大国主神。今、菫さんに2回殺されたようにも兄弟に2回殺されているんだよ?」
「詳しいね、そういえば望は神社に居候していたんだっけ」
「まあ、そうだけど、僕の家はお詣りできない神社があるので、神社に行く前は必ずどなたが祀られているか調べてからお詣りするんだ」
望はそのことについて、説明を求められれば回答するつもりだったが、菫は聞いて来なかった
「因幡の白ウサギって名前は聞いた事あるけど話は全然知らない」
「教師って特に文系教師は左傾の方が多いというのが僕の印象。だからそういう話はしたがらないだろうね。どっちかというと古事記は宗教に近いから、教師が宗教って判断すると法律を楯に教えたりしないだろう。彼らの指導者の目的に邪魔な存在だからね古事記は」
「勧修寺有美さんって大分右傾が強い人だと聞いたけど、私が会話に参加しても嫌われたりしないかな?」
望は菫が既に自分と交際している設定になっていることに気付いた。望は菫のこの返答に心が揺らいだ。それは昨日の決心のことだ。”生きて菫と一緒に笑っていたい”恐らく菫が質実剛健な望に好意を抱いているように、望もまた質実剛健な菫に恋をしている
「有美さんは菫さんと波長が合うと思うよ、あの赤縁の教育ママ眼鏡、男を近づけないための魔除けで付けているんだ、菫さんの喋り方と同じ目的」
「そんなつもりじゃないよぉ~」
望はこの場で菫を抱きしめて、明日が来ないことを願いたかった。巴が言うとおり自分が菫を結婚相手に選ぶ事に躊躇(ためら)う理由など見つけられなかった。望は、何も言えないまま氷川神社のある大宮駅東口階段を下りた。
「なあ、菫さん」
「なに?」
望は全てを菫に打ち明けたい衝動に駆られた。本来の時空に戻れば自分は消滅しないで済むし、菫と結婚できる未来も待っている。ただ、小夜の命は失われる。小夜・・・。望は混沌としている感情で頭がおかしくなりそうだ。
望は紫と交流がなくなって、どんな決断もずっと1人で決めてきた。その紫もこの時空には存在しない筈だ。お詣りが終わるまでもう一度整理して考え直してみよう。恐らくもう1人では対処できない。誰に打ち明けて助けてもらうべきなのだろう
「因幡の白ウサギの話。予備校の古典の先生が教えてくれたんだ。今日のために現代版に訳したので聞いてほしい」
東に住む者が船乗りに騙され身ぐるみ剥がされた。地元の有力者は財産を失った東に住む者を冷遇した。そもそも、東に住む者の失言で船乗りと仲違いしたのだ。
望は悲しんでいる東に住む者を憐れんで助けた。
地元の有力者は美人で資産家の娘の奈緒と付き合いたいと思っていた。立ち直った東に住む者は助けてもらった恩を忘れず、恩返しとして奈緒と望を交際させようとした。
東に住む者の工作もあって奈緒も望との交際を望んでいた。怒った地元の有力者は猪狩りと称して望を山に誘い、赤い巨石を落として望を亡き者にしようとした。望は間一髪で巨石を避けて命を繋いだ。
地元の有力者はさらに、大樹に楔(くさび)を抜くと挟まれる罠を仕掛けて望を亡き者にしようとした。望はこちらも間一髪で避けた。危険を感じた望は地元から逃げる決意をして地元を離れたが、地元の有力者はこれを察知して追跡してきた。
ここで望は菫と出会う。菫は望を逃げ道に導き、地元の有力者の追跡を逃れることができた。菫は望を自宅に連れて行き、素敵な人を見つけたと父親と合わせた。
父親は、望のことを好色な男と陰口をいい、毒蛇のいる部屋に宿泊させた。菫は望のことを憐れんで魔除けのスカーフと魔除けの呪文を教えて夜を迎えた。望は菫から教えてもらった通りに対応して事なきを得た。
翌晩は、父親はムカデと蜂のいる部屋に望を宿泊させた。菫は昨日と同様ムカデと蜂に対応する魔除けのスカーフと魔除けの呪文を教えてもらい、望は昨日と同様難を逃れた。
翌日父親は、鏑矢を草原に放ちそれを取るように望に指示した、望が草原に入ると父親は草原に火を放った。望が火災に気付く頃には火の回りが早く、出口を見つけられず、途方に暮れていると、北に住む者が居合わせて、地下に空洞があることを教えてくれる。北に住む者は東に住む者と交流があり、望が東に住む者への対応を通して篤実な性格を知っており、人望に惚れて損益を度外視して望を助けた。しかも北に住む者は羽の部分の焦げた鏑矢を見つけて望に渡してくれた。
菫は望が死んでしまったと嘆いて、せめて立派な葬式をしようと泣きながら準備していた。すると望は鏑矢を持って戻って来た。父親は望の能力の高さに驚いて家の客室に望を迎えた。
父親は菫に土ごと集めた椋の実を用意させて、選定を依頼した。望が父親の指示に従い選定を行っていると、父親は真面目に作業する望に安心してうたた寝を始めた。
望は眠った父親の長髪を柱に縛り、菫を背負い、太刀と弓と琴を奪って家の扉に大石を置いて家から逃げた。逃走の途中琴を大樹に引っかけてしまい、大音を発してしまった。
大音に父親は目を覚まし、2人を追おうとしたが、柱に結びつけられた長髪に手間取って追跡が遅れた。このため2人は逃げ遂せた。追跡した父は途中の峠で望に
”地元の有力者をその太刀と弓で坂の末に追いやり、または川の瀬に追いやり討て、討った後は我が娘菫を妻として、出雲国に宮殿を建てて国を治めよ、バカ娘婿よ”
「どう、現代風古事記訳、大国主神。ちなみに菫の父親が須佐之男命。氷川神社の主柱、
ウサギが東に住む者、”面舵いっぱい”は”卯の舵いっぱい”。子の方角すなわち北に向いたときに、卯は東の方角つまり右に舵を切ること。ちなみにネズミが子で北に住む者。どう神話からの現実性」
菫は笑って
「望は本当は歴史分野に進みたかったんだよね」
「進まなくて良かった、人間関係で精神に支障を来していたよ、あの教師のお陰で人生の進路を間違わなくて済んだと思う。僕はこれでも高校以来過去をやり直そうなんて思ったことがないんだ」
「ねえ、私にも紫さんの話して、望が好きになった女性の事、全部聞きたい」
「30秒間お尻を触らせてくれたら、包み隠さず話す」
「いいよ」
「いや、冗談だから、ここは、断れよ」
「望、私はあなたしか頼る人がいないの」
「この巴の話が片付いたら、もう一度頼んでみようかな」
望は紫のことを菫に話しながら大鳥居を潜った。
<つづく>
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