第32話 一般的信仰告白~シュレーディンガーの猫
一般的信仰告白~シュレーディンガーの猫
少年は顔立ちがあまり良いとは言えなかった。むしろ奈緒と話している少年の方が器量好しである。望は話しかけてきた少年が自分が不釣り合いの女性と仲良くしているのでどうしても聞きたいのだと思った。望は自分の気持ちに正直な人が好きであり、客観的な容姿の偏差値が自分に近いこの少年の行為に対しても好意を持った。
望は、奈緒のように相手の目線の高さに合わせて話すことができないので、自分の言葉で答えた
「そうだな、僕は高校生の時、女の子に振られてその反省で、好きになった人には正直でいようと思ったんだよ」
少年は頷きながら続きが聞きたい顔をした。望は碧を奪われて自分に課した課題を告げた
「具体的には
”ありがとう”と”ごめんなさい”を素直に言えること
嘘を吐かないこと
約束は守ること
話は最後まで聞いてあげること
女の子の責任にしないこと
言い訳をしないこと
自分の意見は頼まれたときしかしないこと
助けて欲しいときに気付いてあげられて、手を貸してあげること
できないことはできないと言って、できることだけ全力で助けること
格好付けないこと
いつでも不機嫌な顔をしないこと
そんな感じかな。
いっぱいあるね。
でも大事なのは、ありがとうとごめんなさいと不機嫌な顔をしないことかな
機嫌悪いお兄ちゃんじゃ、君だって話しかけないだろう」
少年は悩んでいるようだった
「ほら、不機嫌な顔になっているぞ、女の子といるときはなるべく笑っていよう」
少年は引きつった顔で笑った。望は小さい方の少年と話している奈緒の肩を叩いて
「この少年が、奈緒さんのこときれいだって」
「あら、ありがとう」
少年は顔を真っ赤にして俯いた
「ほら、先生が教えたこと忘れているぞ」
「・・・あ、ありがとう」
少年がぎこちない笑顔を作った。奈緒は微笑んで少年の頭を撫でた。小さい方の少年はすかさず
「お兄ちゃん、ずるい」
と、少年を叩いた。奈緒は微笑んで小さい方の少年の頭を撫でた。2人の母親が迎えに来てお邪魔して申し訳なかったと言った。奈緒は、子供大好きですから大歓迎ですよと笑顔で応えた。母親はお辞儀をして子供を連れて戻っていった。小さい方の少年は手を振っていたが、大きい方の少年は見るからに緊張しているように望は見えた
「奈緒さんは凄いな、あんな子供にまで惚れられるなんて」
望のからかいに奈緒は真顔になって
「男なんて大嫌い。あんなガキでさえ私の胸を見ているし」
「そっか」
そっけなく望は答えた
「面白い、驚かないんだ・・・」
「奈緒さんは、僕が驚かないこと知っていて話したんでしょう」
ウエイトレスが席が用意できたと告げた。奈緒はさっきの家族に席を譲りたいことをウエイトレスに告げた。家族の母親が遠慮したが、奈緒がさっきの少年に”お腹空いちゃったよね”というと小さい方の少年が満身の笑顔で”ありがとう、お姉ちゃん”と告げた。
家族は恐縮しながらも奈緒の厚意を受けた。残念ながら望の生徒は”ありがとう”が言えなかった。結局望はこの世界で何も残せないのかと切なくなった。
望の表情を読んだ奈緒は
「ごめんね望、勝手なことしちゃって」
望は微笑んで親指を立てた(Good Job)。弟の方に
「ごめんな、ボクの大好きなお姉ちゃん取っちゃって」
「ち、違うよ」
少年はそう言うと恥ずかしそうに母親のお腹に顔を埋めた。すかさず奈緒が望の頭を叩いた
「大きくなったら、お姉ちゃんを助けに来てね」
少年はこっちを見て力強く頷いた
「まっててね!」
待合室で待っている人も含めて一同でクスクスと笑った。少年だけがきょとんとしていた。両親はこちらに軽くお辞儀をしてウエイトレスに導かれていった。
「奈緒さんは尊敬するところが多いな。僕にできないことを涼しい顔で熟(こな)すな。
それと、襲撃される前に”燕返し”の腕を上げておかないとな」
「燕返し?」
望は失言を後悔した。”燕返し”は佐々木小次郎の剣術だ。相手は”二刀流”の宮本武蔵。昨日佐々木菫は、奈緒と小夜が同性愛者であることに気付いて、小夜に奈緒が二刀流の使い手かを確認しようとした。菫の言う”二刀流”は同性愛者の奈緒が両性愛(バイセクシャル)思考なのかということだ。
これはあくまで巴が言った菫と将来夫婦になることを前提とした望の仮定だが、菫は小夜が同性愛者でも両性愛者でないことは気付いていて、自分が小夜に振られることを見込んで、その後自分と付き合いたいと考えたのではないか、そこで障害になる奈緒を排除したかった。そして、今日の奈緒の行動を見れば菫の見立ては的確だったようだ。
望は”なんで自分なんかを選ぶんだ?”という疑問が拭えなかった
「僕にはあんな子供に目線を合わせて話すことはできない」
的外れな返答に、奈緒が怒っていることは容易に分かった。
「話を逸らさないで!」
望は奈緒ほどの女性が失言を見逃してくれるとは思っていなかった。望は真剣な顔をしてこう告げた
「”佐々木”菫さんのことだね、その話題もしないとね。でも、この事件は小夜さんの命が掛かっているんだ。感情的になる前に小夜さんの話をさせてほしい」
「分かった、約束よ」
望は浮気を咎められた彼氏になったかと思ったが口にしなかった。本題に入ろうとしたが奈緒が意外な話題を上げた
「望は、神社に住み込んでいたんだって?」
「小夜さんは、何でも話すんだね」
望は、奈緒が妙に馴れ馴れしいのと言葉遣いがいつもと違うのは、小夜の自分に対する分析結果が奈緒に伝わっているのだと気付いた。菫の話をするのが憂鬱になった
「愚問ね」
望は面倒になると思って、ここで小夜の話を避けた
「質問の答えは、”そうです”小学生の夏休み、10日くらいかな。母親が僕が取り憑かれたと思い込んだから」
「宗教のこと詳しいの?」
「宗教のことは東京に出てくる前に調べている、同世代と比較したらかなり詳しい方だと思うよ」
「よく、勧誘されるのよね」
「それは、美人の奈緒さんと話ししたいだけでしょう。そもそも勧誘するという発想が僕には理解できない。僕に言わせれば、大学の関係者がある日僕のところに訪れて、”ウチの大学に入って下さい”と言っているのと同じに思うからね」
「望は神様はいると思う?」
「いらっしゃるんじゃないか?人の幸不幸に係わっていないと思うけど」
「祟りとかあると思う?」
「それは聞いた、霊現象の1000件に3件ぐらいは本当らしいって、神主が言ってた」
「そうなんだ」
「興味無いから、検証もしていないただの受け売り、奈緒さんクラスの人に聞かれれば答えるけど、詳しく聞かれると困る」
「奈緒さんクラスってなによ!」
「定義は・・・言い返されても腹立たない人かな」
「言い返しても腹立たないんだ」
「奈緒さんならね」
「なんで?」
「最初、奈緒さんに声掛けられたとき、こんな美しい人が僕に声掛けるなんて不思議だったけど、宗教の勧誘じゃなかったからかな」
「望ってさ、そういう答え用意しているの?」
「多分、何も考えず思ったことを答えているだけだと思うけど」
「はあ、調子狂うわね」
望は空気を変えようと思った
「勧誘に来る人は組織でも下っ端だね、ファーストフードのアルバイト学生位の位置づけじゃないのかな。原文を読んでも理解できなくて人を介して分かったつもりになっちゃう人。
でも美人さんが勧誘に来たら騙されたフリしちゃおうかなって思う」
「なるほどね、そういう目で私を見ていたんだ」
「安心して、腰回りはきちんといやらしい目でチェックしているから」
奈緒は結構強めに望の頭を叩いた
「スケベ」
「奈緒さんも苦労しているんだね。胸を見ない男だと思ったらケツ好きの変態だったってオチ。同情するよ」
「自分で言うな!
でも望がさっきのガキにした話、少しだけ感心した」
「お褒めに与り恐悦至極です。腰回りの話、しなけりゃ良かった。
少年に言った通り、フラれて悟ったよ。僕は容姿じゃ勝負できないからね。自分にできることをやろうと思っただけ」
「容姿ねぇ、これはどうしようもないでしょう」
「碧さんにフラれた後、何かしていないと気が滅入るので、仏教の勉強をした」
「お坊さんが聞いたら、そんな不純な動機を怒るわね」
「ははは、そうかもね」
そう言った望の考えは正反対だった。幸せになりたいから、今の境遇を改善したいから仏教を学ぶことこそ不純に思えた。アルバイトの拡張員が勧誘する仏教こそ仏教への侮辱だと解釈している。そんなことは奈緒に言っても意味がないし、議論する気もない。ただ、意図していなかったが仏教の唯識論は量子論と極めて相性がいいことは大学で量子力学を学んで分かった。学んだことがどんな形で役に立つかはその時になってみないと分からないことは多い
「僕の容姿が人より劣っているのは前世の罪。
例えば、前世で容姿端麗で人をバカにしていたから今世で不細工になった
そんな因果と仏教は考えるみたい。ほとんど根拠のない哲学だけど。
でも、容姿端麗の渉師匠の苦労話を聞いたら自分に容姿端麗の手札が配られなかったことを悔やむ事がバカらしくなった。いや、碧さんに振られた後にそう気付いて、渉師匠に会って確信した方が正しいかな」
望は奈緒が穏やかな表情をしているように見えた
「碧さんって望が付き合っていた人?」
「そう、二枚目の世間知らずにさらわれた」
「碧さんのこと憎い?」
「それは小夜さんに聞かなかったの」
「小夜と私は視点が違う。私は私を捨てた男を憎んでいる。望が同じか知りたいだけ」
「奈緒さん程の美人なら面倒な男には苦労したでしょうね。
質問の答えは、現役のセンター試験の日までは碧さんも相手の男も恨んでいましたよ」
奈緒は別れた男の愚痴を始めた。レストランの待合所でする話ではないなと、ほかの客の視線を感じながら望は思った。それでも望は奈緒を労う言葉を交えながら相槌を打った。
望は奈緒の横顔と愚痴を聞きながら、あの日、隣に座っていたすんすんの愚痴の追憶と重なった。奈緒と付き合っていた人は、すんすんの彼氏より下衆だと容易に分かった。望は、奈緒と別れた男が奈緒という人間を大きくしたのだと理解した。奈緒もすんすんも広い意味での男である望に対して我慢している自分をもっと理解して欲しいのだと思ったのだろう。それは望がどんな言葉を用いてもあがなえない感謝の気持ち。彼氏が言わない限り埋まらない恋人同士の隙間。少なくともすんすんは全部分かっていて標的艦に砲弾を打ち続けるように言葉を発した。望にできたのはどんな砲撃を受けても不機嫌な顔をしないだけだった。標的艦はもう軍役を終えていてこんなことでしか役に立てないのだ。
”もっと私を汚い言葉で罵ってよ”今度はももちんの言葉が蘇った。望はももちんに教えてあげたかった、こんな美人でも男に弄ばれて悔しがっているのだと。
違和感を抱く。すんすんと奈緒は何かが違うと望は思った。すんすんは好きになったが、奈緒は長い時間”好き”を維持できないと思った。一通り別れた彼の話したら奈緒は突然意外な言葉を口にした
「小夜とは終わりにしようと思う」
望はすんすんと奈緒の違いがはっきり分かった
「これで、小夜さんが僕を拒む理由の1つがなくなった」
望は奈緒の目を見ていた。奈緒の目は据わっていた。奈緒は望の眼鏡を乱暴に奪い取ってやや強い口調でいった
「嘘つき!」
望はこの言動にも気に留める気もしなかった。以前奈緒が、”私より小夜の方が美しいと思っている?”と言ったことを思い出していた。奈緒は奪った眼鏡を自分の胸に引っ掛けた。望の視界にはボケた世界、美しい奈緒の顔も朧気に見える
「僕の眼鏡、随分羨ましいところにいるな。眼鏡になりたいな」
「取れば」
少しふて腐れた口調で奈緒が言った
「お二人でお待ちの・・・と、富樫様。席がご用意できました」
ウエイトレスも緊張気味だ
「行こうか」
望は何もなかったように奈緒に告げた。席を立つと奈緒から望の手を握った。
「望の眼鏡、似合っていない。今度眼鏡を替えるとき私が選んであげる」
望が小夜を誘った手口を奈緒が使った。偶然か小夜から聞いたのかは分からない
「奈緒さんが選んでくれたら、きっと女の子にモテモテだね。でもその時・・・」
「その時?」
「男の子にまでモテちゃったら、どう断ろうか?」
「ケツの小さい奴は嫌いだって言ったら」
ウェイトレスが吹きだした。
「面白かったですか?」
望がからかうと、ウェイトレスは笑って
「お似合いですね、羨ましいです」
「どうしたら、眼鏡を返してもらえると思います?」
ウェイトレスは口に手を当てて笑うと、事務的な口調で
「席はこちらです。お決まりになりましたら・・・」
「は~い」
望はだらしない声で答えた。
席に腰掛けて2人でメニューを見た。望は奈緒に好きなもの頼んでよと言った。望はメニューで迷うことはしない。食べ物を選ぶことに余り興味がないからだ。望がこの世界に残された時間は僅かであっても、今日食べる物には執着がない。奈緒が慶んでくれればそれでいい。
前橋の夜、楽しそうにメニューを選ぶすんすんを望は思い出した。すんすんが迷っていたので、第2候補を僕が頼むといったが、さらに迷いだした。迷っているすんすんに付き合うのは心地よかったが、軽く助言した
「美味しかったら、また来ればいいじゃん」
すんすんは寂しい顔をした
「望、美味しい店探してくれてありがとうね。今日は最高の食事をしたい」
望は微笑んだ、すんすんとこの瞬間一緒にいることがこれほど嬉しく感じることが不思議だった。1時間前紫の心を踏みにじった自分に後悔の念を洗い流してくれるようだ。
2人には2人の明日がない、2人はそう決めたのだ。碧のことを責める口実はここで完全消滅した。望がしていることはKが碧にしたことと何ら変わらないのだ。
奈緒は料理の感想を言いながら楽しそうに今日の夕食を選んでいる。
「望は何にする?」
「何でも良いな、3頁目の4つ目のやつにするかな、見ていないけど」
「ははは、面白い、えーと3頁・・・」
「冗談だから、探さないの!」
「あっ、これ美味しそう、私これにしよう。望凄い、超能力者?」
「超能力?あんなのはほとんどの場合、仕込み」
「昨日、美人のお姉さんを超能力で騙したそうじゃない」
「留年したら、学校辞めてインチキ占い師でもやろうかな?あんなきれいな人が簡単に僕の口車に乗っちゃうんだからね。そんなことよりそれでいいかな、店員さんを呼ぶよ」
案内をしてくれたウエイトレスが注文を取りに来た
「お決まりですか?」
「彼女と別れて君に」
「えっ」
奈緒は眼鏡を望に投げつけた
「コイツの食べ物に毒を盛って下さい」
ウエイトレスは一瞬困った顔をしたが、奈緒と望が笑顔だったので苦笑した。望は頭を下げて
「からかって、ごめんなさい。お陰で眼鏡を返してもらったよ」
ウエイトレスは注文を受けると、小走りに厨房に逃げていった
「奈緒さんと、一緒にいるだけで男の格が上がるな。こんな美人が連れている男だからすげ~男だと誤解されているんだろう」
「さっさと眼鏡つけろ、好色男!」
「折角美人さんと対面で食事するのによく見えないんじゃ、あんまりだよなぁ」
「しょっちゅう有美さんと学食で食事しているじゃん」
「人妻はダメだよ」
「すんすんに手を出したくせに」
「すんすんのお尻は犯罪行為を誘導するお尻だから」
「お巡りさんこっちで~す」
望は眼鏡をかけ直すと本題を切り出した
「奈緒さんは自分が原因で小夜さんが自殺したらどのくらい落ち込む?」
奈緒は真剣な眼差しで見返した
「そういう話なのね。菫に幽霊が取り憑いた話は小夜から聞いた」
「ああ、菫さんに取り憑いた奴の言い分を要約すると、小夜さんが自殺するらしい
祭日明け火曜日に奈緒さんに事情を説明するつもりだったけど、小夜さんが先走って奈緒さんに連絡したからややこしくなった」
「小夜に気を遣って私ってことにしたのね」
「申し訳ない、いらない恐怖を与えてしまって、でも僕が小夜さんでも小夜さんと同じ事をしたと思う」
「気にしないで私でもそうしたと思うから」
「小夜さんからどう聞いているの?」
「望から話して、望の方が正確だと思うから」
望は再度奈緒に詫びを入れたあと菫に起こっている状況を説明した。その未知の存在“巴”と自分が会話をしたこと、そして巴の話では小夜の死の予言と、3つの依頼を受けたことを奈緒に話した
奈緒は、菫や小夜のように3つの依頼内容を聞いたが、望は菫や小夜にそうしたように巴に口止めされていると言って嘘をついた
「それじゃ小夜には言えないね」
奈緒の言葉に望はもう一度小夜の替わりにしたことを詫びた。奈緒は安堵の顔をして頷いた
「僕たち3人は巴の依頼に応じようって話になったんだ」
「小夜と菫は、私のために協力していると思っているんだ」
「2人で話したかったのは恋の告白じゃなくて小夜さんのこと、最近小夜さん何か思い詰めていることはない?」
「悩んでいるといえば、望のことじゃない?」
「そうだね、同感だ。僕のせいで小夜さんは生命の危機にさらされていることは疑う余地もない」
間が良いのか、悪いのか、ちょうど食事が運ばれてきた。さっきの女性でなく、40代くらいのウエイトレスだった。
「食べようか」
奈緒は笑顔で
「いただきます」
2人とも食事中は重い話は避けて、たわいのない大学の話題をした。主食を終えてパフェが運ばれると奈緒が自然な感じで聞いた
「いつから私と小夜の関係に気付いた?」
「昨日の飲み会で、直接聞いたと思うけど、小夜さんが奈緒さんに遠慮していることで何となく思った」
実際は巴に言われたからだ。ただ、菫が2人の関係に気付いたことは驚いた
「それで、私達のこと軽蔑した?」
「僕の尻好きの性癖とたいして変わらないと思った。
僕は人間嫌い、特に女性の嫌いだから男前の小夜に惹かれたんだろう」
「女嫌い?望が」
「躰だけは興味ありますよ、でも人として興味のある方はほとんどいない」
「小夜は人として興味があるってこと」
「奈緒さんも人として尊敬しています。奈緒さんの誰にでも分け隔てなく話せる振る舞いは絶対僕にはできないから」
「私の場合はね・・・」
言葉を詰まらせた奈緒に望は
「・・・人を見下しているから。違う?」
「望は、人から見下されて平気なの?」
「僕はずっと孤独だったし、碧さんにフラれた時から自分の気持ちに正直に生きようと思ったから。自分が好きじゃ無い人は他人を好きにはなれないと信じている。だから自分さえ自分を支持できるなら他人からどう見られようと・・・気にならなくなった」
奈緒は苦笑した
「随分勝手な言い草ね」
「相対性理論は僕には無縁だ。僕を笑っている奴もまた、僕に笑われている、いや、存在自体が無意味と思っている。奈緒さんが思っているより僕は冷血で極端な合理主義者だと思うよ。多分僕は女性だけでなく人が嫌いなんだろう。でも奈緒さんも小夜さんも好きですよ」
「望の好きは軽いね」
「言葉に支配されないのが手前の流派ですから。
数学には真実があるが、理科では真実の近いところまでしかいけない。真実と同じだったらそれは偶然だ。恩師が教えてくれた。
恩師に補足するなら真実を観測して言葉にした時点であがなえないほどの誤差が生じている。これは言い換えれば現時点、すなわち富樫望20歳のシュレーディンガーの猫の解釈だ」
「ごめん、理解できない」
望はそれでいいと思った。そして自分達が抱えている問題について考察を述べた
「僕の察するところ、巴は小夜の死を回避するために未来から来たのだと思う」
「難しいけれど、そう考えるのが1番すんなり行くわね」
望はこの答えを聞いて優秀な奈緒に助けてもらいたいと考えた。そして、全てを話してしまおうかと思った。刹那すんすんの顔が過った。奈緒の瞳は淀んでいる
「なあ、奈緒さん。どうすれば小夜さんは自殺しないと思う?僕には自ら命を絶つ理由が分からないんだ」
奈緒は考え込んでしまった。
望は奈緒の答えを予想できた。もし小夜が奈緒との恋愛を苦にしているのならば奈緒が考え直せば回避できるかもしれない。でもそれは正解として不適切だと思う、もっと可能性の高いのは奈緒が自分のことが好きで、自分が小夜の事が好きという三角関係だ、天河で主人と小夜の話を聞いてしまったのでそういう事に間違いないはずだ。電話の話からすると昨日は自分(望)の体で人形遊びをしたのだろう、小夜は少女の頃に女である自分を捨てていたのだ。そして今ずっと止まっていた時計が新たな動力源を得て動き出したのかもしれない。
小夜は別れを切り出した奈緒への嫉妬ならばもっと話は単純だったろう。望は昨日の段階で小夜の複雑な感情に触れていた
「望は、小夜が望と付き合う気がなかったらどうするの?」
「菫に声を掛けようと思ったが、止めた」
「なんで」
奈緒の力強い声に、望は奈緒が菫に恐怖を抱いていることを感じた
「菫の演技って可能性も否定できないから、とにかくこの話が解決するまで恋愛感情は保留だ」
望は奈緒が安堵の顔をしているように見えた
「もし、小夜が望と付き合う気があるなら・・・応援する」
「・・・有美さんの友達で、自分が清少納言だと言っている頭のおかしい女性がいるので、小夜さんが振り向いてくれなかったら、その人を紹介してもらおうかと思っている。
・・・きっと美人の友達は美人だろうから」
「なんかずるいね、命を人質に恋愛するのって」
望は、ここががんばりどころと自身を鼓舞した。自分に漂っている菫の香りを奈緒に気付かせないために
「紫さん大学じゃ紫式部って呼ばれているらしいんだ、清少納言と付き合えば過去の重荷を整理できるかもしれないしね」
「望はそれでいいの?実験の授業で地震が起きたとき自分の身体を張って庇った菫よ」
これは消えていた菫の記憶だった。奈緒には残っていた。
「偶然、一緒にメスフラスコを洗っていただけ、奈緒さんが隣にいたら同じ事をしていたよ」
「どうかな、もし、私と菫がいたらどっちを助けた?」
望は奈緒への感情がすっかり冷めてしまった
「2人とも助けたさ、それにあの流し台は蛇口が2つだから、その設定はあり得ない」
望は面倒になったのでその話を逸らした
「僕はずっと国語の先生を恨んで生きてきたので、清少納言と付き合えば過去を清算してくれるかもしれないしね。高校のときの一緒に勉強していた文系の女の子がいて、合格したらデートする約束していたんだけど、合格出来なかったから。そのやり直しもあるし。
その子が教えてくれたんだけど、僕の好みの文豪は紫式部でも清少納言でもなく和泉式部だね。平安時代の女性を品定めしている昭和の男。日本に生まれて良かったと思うよ」
「文学のことは分からないわ。でももし、小夜から望と付き合う気があると言ったらどうする」
「その話はもう、小夜さんにしてある。優先順位の先頭は小夜さんだ」
今、小夜さんは鋼鉄でできた部屋の中で、放射能物質と、放射線測定器、放射線測定器の信号を受けて作動するハンマー、ハンマーの先には殺傷力のある毒ガスの入った容器があり、密封されている。放射線測定器が放射能物質の崩壊により発生した放射線の1つを放射線測定器が察知すればハンマーは作動して、小夜の命を奪うだろう。
部屋に閉じ込められたとき、小夜は1人だけだったが、突然僕が現れて放射線を放射線測定器が察知する前にハンマーの動力源である電源を抜いて、小夜の死を回避する。1時間後扉を開ける元気な小夜が出てくる。最初に入っていなかった僕は、扉を開けた後も存在しない。ただ生きている小夜が存在するだけだ。
レストランを出ると、奈緒は望に手を振って小夜の家に向かって歩き出した。望は1人で明日着ていく服と江ノ島で着る服を考えていた。
<つづく>
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