第25話 2つの約束

 2つの約束


「散らかっているけど、お茶でも飲んでいかない」

 菫が恥ずかしそうに言った

「ごめん明日バイトなんだ、試験の時だいぶバイト先に気を使って休みを融通してもらったから、明日は無理しなくてはいけない」

「望に家相を見てもらおうと思ったのに」

「大丈夫さっき渡した形代が菫さんを護ってくれるって、その代わりバイト代で江ノ島のタコせんべいを奢るから好きなだけ食べていいぞ」

 菫は小夜の顔をみている。10秒程の沈黙のあと

「小夜ちゃん、今日はありがとう」

 と告げたあと、表情を緩めて望を見た

「望、ありがとう、嬉しかった」

 望は少しだけ微笑んで

「この位のことしかできなくてごめん、明日、神主に電話してみるよ」

 菫は無言で首を振った

 菫は望の顔を見つめると一言告げた

「まだ、話し足りないよ」

 

 会話もなく黙々と歩いているとき望は瞑想の中にあった。歩きながらの瞑想を一種の坐禅と恩師は言った。

 混沌とした脳裏の彼方、目には見えない空間に無数の矢が放たれ映像化する。

 隠れて1人で見る雑誌に写る女性の映像/写真の勉強と称して集めた写真集の映像/仕組まれたテレビのお色気映像/舌足らずの運動神経がいい人、僕に話す日焼けしたそばかす顔の笑った映像/やけに大人びて頭脳明晰、手を握って助けてくれた人、制服ブラウスのボタンの間から下着が見えた映像/おとなしくてずっと心を開かなかった人、抱き合い唇を重ねた映像、女性特有の感触/容姿ほど成績が良くなかった人、眼鏡を取った顔の映像、艶めかし吐息/話していて好きになった彼氏のいる人、いつも孤独にしている頭脳明晰な年上の人、いつも満たされない顔の映像、ショートカットの髪の香り/不思議な振る舞いの人、怯えるようなまなざし、自分から見せた白い映像、不安・依存・なげやり

 ・・・菫の美しい黒髪を両手でかき乱す映像

 日蓮聖人が仰る、”天魔め無間に落ちよ”

 ボーア博士が仰る、”神様がどうなさるかを決める手段を人が注文をつけるのはおかしいでしょう”

 恩師が仰った坐禅の話を思い出した

 雨夜の寺で師が問うた

「”この頃”は何をしているか」

 弟子は答えた

「”この頃”は、(私は)ひたすらに坐禅をしているだけです」

 師は問う

「坐禅をしてお前は、どうするつもりだ」

 弟子は答えた

「坐禅をして、いずれ仏になろうとしています」

 師は中座し、レンガの破片を持ち出し磨き始めた。弟子は問う

「師はなにをなさるのですか」

「レンガを磨くのだ」

「レンガを磨いてどうするつもりなのでしょうか」

「磨いて鏡にしようとするつもりだ」

 弟子は訝しく思い師に尋ねた

「レンガを磨いて、どうして鏡になることがありましょうか」

 師は答えた

「坐禅をしたからといって、どうして人が仏になるだろうか」

 望は混沌の空間から抜け出した。気付くとここは菫の家の前らしい。

 望が恩師から坐禅の話を最初に聞いたのは、五月雨を桐生川に集める頃だった。そのときは気に留めなかったが、大学の合格を報告に伺った際、お祝いの言葉と一緒に再度この話をされ補足説明を頂いた。

「この弟子は師の下で10年従い、師から坐禅を行ずることを教わった。そして毎日坐禅を欠かさなかった。そしてここに登場する鏡とは仏を指す。

 ここまで言ったら1年間努力して結果を得た君なら理解できるよね」

 望は恩師の手を取って何度も何度もお礼を告げた、望の目には涙が溢れていた。自分は1年遠回りしたけれども、数え切れない程の大切なものをこの期間に得る事ができた

「僕の答えです。坐禅とは、考えないことを考えることです。坐禅に魔法のような神秘的な直接的な効力はありません」

「よろしい、免許皆伝だ。

 富樫君、化学という学問は巨視的な世界を人間が合理的に解釈しただけだ。私の教えたことがきっと役に立つこともあるだろう、ただ、それも疑ってもらわないと君の進歩はそこで終わりだ。

 この世で上手くやっていくには聖地も魔法も求めないことだ。そして神仏に救いを求めることを考えたらそれは君の弱さの化身だ。悩んでいるときこそ考えないことを考えるのだ」

 望は1つの結論を出した。神様はサイコロを振って未来を決めているが、その大事なサイコロを自分に渡したのが神様の結論だということ。自分は神様から委託業務を受けたのだ。

 重要なことを思い出した。小夜の気を引くために自ら学んで得たこと。

 隠れた変数も神様も存在しない、悪魔の証明だって?ならこう言ってやるさ、

「フォン・ノイマンが示したように・・・」

 いや、グレーテ・ヘルマンはもっと上手いこといっている

「定義の段階で排除されている・・・」

 世間の多くの人はアインシュタインを神様だと誤解している。それでいいのだ、だから数多の人の中から妥当な観点を見いだせる人を選ぶ手段になるのだ。

 日蓮聖人が仰る天魔は人々がそう信じるような悪魔の振る舞いをするのさ、僕は今まで神や悪魔の実体を見たことはないし、存在を証明する理論を構築するのは面倒だ。

 パウリの言葉を借りるなら

「神様はいない、預言者のみ存在する」

 望は神様から預かったサイコロを半丁賭博に使う覚悟に到達した。この難解な矛盾存在しないはずの神様からもらった存在しないはずのサイコロ、これを真顔で論じて学んでいる。これは高校までの化学と同じ匂いがする。愛美さん。僕の言いたいことが分かるかい?


「菫さんに明日は必ず来るからだいじょうぶ」

 後悔が顔に残らないよう望は精一杯演技した

「望はさっき・・・」

 菫は言いかけて止めた

 望は菫に瞳で語りかけていたがそれが届いたのだと思った。巴の話が真実ならば自分は未来の菫を、菫は未来の望を結婚の相手に選んでいるのだ。きっとその時までに今は足らないものを埋め合わせているのだろう。

「今日の最後に面白い話をしよう。それで許して」

 昔、ある武将が戦に赴く、川を挟んだ戦場が予想されるが、既に敵軍に橋は落とされ、川を越えて敵地に臨まなければならない。その川は激流で有名な川だ。

 しかし武将の馬ではその激流を渡れない。武将は一考を案じた。殿様の飼っている馬は名馬で知られ、その馬ならば激流を越えられるかもしれない

 そこで武将は殿様の名馬を盗んで出陣し、その馬に乗って激流を渡り手柄を立てた

「というお話」

「何、その話」

 ずっと黙っていた小夜が、訝しげに口を開いた

「小夜さんが日本語を忘れてしまったみたいだから、とびきりの面白い話をすれば思い出すかな~って思って」

「Das ist Müll.」

「ドイツ語かよ」

「くだらないってよ」

 菫が笑いながら訳してくれた

「ドイツ語じゃ返事できないじゃないか

”いとをかし”でどうだ」

「おっ、偏差値23が古典できたぞ」

 菫がからかう

「フフフ1年半前の僕とは違うのさ」

「面白い、とくと見せてもらおうじゃないか」

 菫が握りこぶしを両脇につけて胸を張る。望がベルトに手を掛けると

「あなた達、すっかり恋人同士みたいね」

 小夜が呆れ顔で呟いた。望はなにか懐かしい気持ちに浸った。すかさず菫が

「小夜ちゃんと奈緒ちゃんの会話もこんな感じ」

 望は重い空気が漂う小夜と菫の間に入って”燕返し”の立ち回りをした

「師匠、拙者の剣はいかがでしょう?」

 菫は望の頭を叩いて

「うむ、まだまだだな」

「師匠ぉ〜

・・・ここで騒ぐと苦情がでるね、楽しみは江ノ島に取っておこう」

 菫は入りたての小学生のように大きく頷くと

「タコせんべい倒れるまで食ってやる」

 望は時代劇の悪代官のような顔をして

「動けなくなったら存分に楽しませてもらうぜ。フフフ・・・」

 菫は望の頭を叩くと手を離さず頭につけたまま静止させた

「ありがとう望、今日はゆっくり眠れそう」

 望は疲れ切った身体に残った力を振り絞って笑顔を作った

「うん、おやすみ」

 菫は一度も振り返ることなく、学生マンションに消えていった

 望はその場所でしばらく建物を見上げていた

「どの部屋だか、確かめているでしょ」

 小夜が言った

「正解、本当に菫が存在しているか信じられなくてね」

 建物の3階の窓に明かりが灯った。望の顔に安堵の笑顔が沸いてきた、実験レポートを書き終えた時のような笑顔。3階の窓が開いた。菫の驚いた顔が望の瞳の中に映った。望は大げさに手を振って、小夜にだけ聞こえる位の音量で”好きだ~”と言った。菫も控えめに手を振った。望は手が疲れると深々とお辞儀をして踵を返し駅に向かって歩き出した。

 望が曲がり角で振り返ると、菫はまだこちらを見ていた。望は右手で大きく手を振って、先程と同じ音量で”好きだ~”と言った。菫の口が動いていたが、声は望の耳に届かなかった。

 望と小夜は駅に向かって歩き出した

「良かったの?このまま帰って」

 小夜が冷静な口調で言った

「巴の最初の約束、”菫の部屋に入らないで”だったんだ」

「そっか」

 2人に沈黙が訪れた。しばしの沈黙の後、小夜が口を開いた

「ねえ、巴って紫さんの生き霊じゃないの」

 望は吐息を漏らして

「さっき、小夜さんは自分の生き霊って仰っていませんでした?」

「誤魔化さないで、気付いていたんでしょう」

 望は小夜の言うとおり多少は紫のことを疑っていた。でも予備校で模試の後に言われたように紫は紫の能力に見合った人達に囲まれている筈で、何かの本で女性の傾向として過去の人を永く思い続けることはしないと書かれていたような記憶がある

「いまだに僕のことが好きで、他の女に近づけないよう呪いをかけている?

 そんなことあり得ないよ、聞きづらい質問だけど、小夜さん、僕ってそんな魅力のある男に見える?」

 小夜は口を噤(つぐ)んでしまった。”嘘だろう、なんで僕が”望は全く信じられなかった

「奈緒に言われたんだ、望に気が無いならはっきり望に伝えて欲しいって」

 望は胡蝶の夢の胡蝶になって漂っているのかと思った。自分に配られた手札には”容姿”も”頭脳”もなかった。だから紫と友達を越えた関係になれなかったし、碧も他の男の元へ去って行った。少なくとも望はそう考えて疑っていなかった。望にはこの時点で小夜の気持ちを確かめることは出来なかった。巴との約束がある。

「あのさ、小夜さん。もし僕が小夜さんか菫さんと恋愛関係になったら、奈緒さんは自ら悲しい決断をするのかな」

 望は答えを期待しない質問をした。期待通り答えはなかった

「巴が話した言葉の中に紫さんでないことを示す言葉があった」

 2人は駅に着いて切符を買って改札を通った。来たときは感じなかったが、赤羽は大きな駅だと思った。

「ねえ、望は巴の正体なんだと思っているの?」

 小夜の言葉が辿々しい

「僕は、未来の菫さんだと思っている。巴さんの話でこの状態を説明できるのは勧修寺有美さんだけって言ってたから、僕の高校以前の知り合いと、愛美さんは無いと思う。ただ、霊体がさっき小夜さんが言っていたような”しのぶ摺”みたいな巨視的に見る能力を持っていて、有美さんのことを調べていたかもしれない。まあ、可能性は否定できない程度の確率でしかないですけれど」

「それで、有美さんのこと聞いたんだ。ところで菫さんにやった除霊もインチキ?」

「あれは誠心誠意込めてやっている。まあ修行したことないから真似事だけどね」

「菫さんには優しいのね」

「小夜さんがお望みならば、同じ事するよ。当然誠心誠意込めてね

 それに、碧の生き霊に憑かれているのは僕自身かもしれないしね」

 2人は南に向かう青い電車に乗った。席が空いていたので並んで座った

「居酒屋で並んで座ったね、菫さんからかうために。なんかずいぶん昔の出来事のようだ」

「ねえ、奈緒さんにも除霊するの?」

 会話が噛み合っていないようだ

「小夜さんが望めばするけど、除霊は意味ないと思う」

「どうして?」

「質問に質問で返して申し訳ないけど、奈緒さんが死ぬのがなんで霊現象だと思うの?」

「霊現象なんて」

「某有名物理学者が光子のことを”幽霊波”と称して音を上げた事例もありますし」

「分からないものは科学者でも誤魔化すのね」

「科学者は回答することを求められるからね

 さっき菫さんに除霊を行ったのは、漠然とした不安に方向性を示して安心させるためだよ、さっきの某有名物理学者の”幽霊波”と同じだ。あのとき菫さんに必要で僕が出来ることは除霊しか思いつかなかった。でも間違いなかったと確信している。でも奈緒さんに危害が起こる要因が全く推定できない」

 望は小夜はなにか切り口を開いてくれると願っていた。巴の話を信じるならば2つめの約束しか要因に繫がる道はない

「多分、私も、私は現実から逃げたいんだと思う」

 小夜は答えとならない答えを呟いた。望は、どうしていいか分からなくなった。巴の言うこと全て信じるならば、多分小夜が抱えている”現実”こそがこの問題の核心だと思った。でも小夜に直接聞いても答えてくれない。話を変えて引き出すしかない

「正直、火曜日奈緒さんと話すのが憂鬱」

「髪の毛の匂い?私はずっと紫さんの怨念だと思っていた。だって碧さんと付き合ったときから化学薬品過敏症が発症したんでしょう」

「紫さんに帰ったら電話してみようかな。あいつ専用回線をもっていたから夜かけて2~3分文句を聞いたら話を聞いてくれるだろうから」

 望は小夜の手が拳を握るのをみた。望は菫に電話するのを止めることにした。この結末は参加者の誰もが望んでいない。望の考察を小夜に伝えることにした

「未来から来た巴と仮定すると・・・、不確定性原理の前のハイゼンベルクがアインシュタインと会ったときの話は知っている?」

「知らない、歴史家崩れの化学屋は科学者の歴史に詳しいね」

「まあ、性分かな」

「そのときハイゼンベルクは映像がコマのように繋がっているって言ったそして

さっき小夜さんは4次元に時間軸を持ってくるのはおかしいといった

 そのコマが僕や小夜さんという量子単位の目線から見て連続的につながっていると錯覚しているだけなら、巴という異常なコマが繫がってもあり得る話だ。まあコマは別空間に無限にあるのだから。小夜博士、朧気なる瞳の解釈はこんな感じですが如何でしょうか?」

「う〜ん、やはり扉を開ける前のシュレーディンガーの猫か。でも、巴と話したあなたはその部屋に同席していたのよね」

「ははは、ガイガーカウンターの電源を抜いておいた」

「それ、傑作」

「喜んで頂いて光栄です」

 電車はもうすぐ日暮里、望が京成で帰るなら乗り換えだ

「ねえ望・・・」

 三秒程沈黙したあと望が忖度した

「蒲田で少しだけ飲まないか?」

 望は”少し”という言葉を意識して会話に使わなかった自然と出てしまった、疲れているようだ

「プレイボーイね」

 小夜の笑い顔を久しぶりに見た。望は居酒屋で小夜と奈緒にプレーボーイのウサギの話をしたのを思い出した

「知っている?ラザフォードは科学はバニーガールに説明できるようでなければならないって言ったらしい」

「絶対言っていないでしょう、ボーアの師匠に心から謝罪しろ! あれ、この話居酒屋でしなかったっけ」

「ああ奈緒さんとした。ラザフォードの言葉はバニーガールじゃなくて女性バーテンダー、社会人になったら先輩にそういう店に連れて行って欲しいな」

 小夜が頭を小突いた

「今、望の頭の中で私がバニーガールの格好していない」

「ごちそうさまです」

 小夜は望の耳を引っ張った

「私を見んな!」

「アインシュタインがラザフォードの言葉盗んでバーテンダーを6歳の子供に置き換えたな、あいつ、ひでぇなバカは科学なんてわかんないだろって意味だろう」

「アインシュタインにも心から謝罪しろ。

 極東の三流学生分際で大物理学者を”あいつ”呼ばわりして失礼だぞ」

「僕は理論にはひれ伏すが、肩書きにはひれ伏さない。僕の10代は工作員との戦いだった。小夜さんもコペンハーゲン解釈の信者だと思っていたが違うの?」

 小夜は笑いながら

「フフフ、私の名前はニュートリノ質量は0、電荷も0」

 望は枕詞のように返事を知っていた

「ああ困った、私の苦心して見つけたエネルギーの式E=mc^2が使えないではないか」

 小夜は両手を広げた仕草をした

「もう、分かったわ、お酒、付き合うわ。ちょっとだけよ」

「あなたも好きね」

「次の駅で降りろ!」

「ドリフとか見ていたんだ」

「そんなに真面目に見える」

「バレリーナ、股に首のあるやつの格好に見える」

「車掌さんを呼ぶわよ」

 2人で笑った。少し間を置いて望は真面目な声で言った

「小夜さん、今日以外で笑った顔を見たことがない」

「どうしてそんな人に声を掛けるの」

「小夜さんは僕以外に笑わなそうだから」

「笑うんじゃなかった」

「ひでぇ~」

「何で望はこんなときでも笑顔なのね」

「相手が油断するからかな」

「ここは答えるところじゃない」

 電車特有の走る音が2人の間に流れた。ずっと流れていたが気にしていなかったという方が正しい。望は呼吸を整えて

「僕はね人より優れているものを持っていないから、ときどき悪知恵を使っているだけ」

「望は、望はすごいよ、奈緒も菫も惚れさせているんだから」

「人を騙す人生なんてつまらないよ」

「そういうところ、何言われても平然と構えていられる大物感・・・それが何で私なの?」

「小夜さんは僕以外に笑わないから・・・居酒屋で聞いて欲しい話があるっていったよね」

「覚えていたんだ、望ってさ、約束はちゃんと守る人だよね」

「まあ、相手によってだけどね」

「さっき自分に正直に生きるきっかけの起点が違ったよね」

「天魔は契約を守るしきたりで・・・」

「まだキツネうどんを奢っていないわよ」

「頭のいい人には言葉も油断できないな、僕は「ごめん」と誰にでもいえるツラの皮が厚い人間だから、間違えたらすぐ謝れるので気が楽だよ、まあ日本文化の人にしか使わないけどね」

「日本文化の人限定?」

「他文化の入っている人は異次元、ユニタリ空間の存在だからね。僕の今の数学の知識じゃ無理だ。神様と法律で神様を優先するような方と会話はキツいからね」

「国語の偏差値23の言葉は重いな」

「小夜さんや菫さんに愛想を尽かされたら、有美さんの友達で自分が清少納言だと言っている規格外の人が居るみたいだから、その人紹介してもらおうかな、女が絡むと真剣に勉強するから。もっとも有美さんの友達なら国語の偏差値でも65以下ということは無いだろうから、量子論のときの予習より大変だろうが、彼女がしたい話の相手ができるように準備するくらいしか他の男より有利になる要素がないからね。パウリの排他原理じゃないけど、僕の人生を安定させるにはそういう人と付き合った方が良いかもしれない」

「そうね、私達にこれ以上係わらない方がいいかもね」

 小夜は少し乱暴な口調で答えた

「そこは否定してほしかったな~朧げなる瞳の持ち主よ」

 小夜はため息をついて

「しょうがない。行きつけのお店があるので少しだけ飲もうか」

 望は笑顔で「ありがとう」と答えた


 小夜の行きつけ店は小ぢんまりとした店だった。店の名は”天河”、望は小夜の年齢で最初にこの店に一人で入ることはないなと思った。

 50歳くらいだろうか、小太りの大将が下町風の口調で声をかける

「いらっしゃい、あれ小夜ちゃん、珍しいね、今日は彼氏と」

 望はすかさず回答する

「こんばんは、彼氏の望です、お邪魔します」

 小夜は望の頭を叩き動揺した声で

「ち、ちがいますよ」

「小夜がいつもお世話になっております」

 こんどは肩を叩いた

「つきまとわれているだけなんです」

 望は小夜でも動揺することがあるのだなと、ほくそ笑んだ

「大将、初対面でこんなこと聞いて申し訳ないのですが、小夜は他の男と来るのですか」

 大将は両手で口を押さえて戯けた。

 望は主人が話しやすい人だと思った。2人の会話はすでに他の客の注目を受けている

「小夜さん、僕だけだと言ってくれたのにウソだったんですね・・・なんてね、小夜さんと同じ学校行っている富樫です、まだ友達ですけど、いつか落とします」

 望は親指を立てた

「小夜ちゃんの彼氏は面白い人だね、今席をかたづけるからとりあえずカウンターに座ってて」

「だからぁ、違うって」

 望は小夜の声が活き活きしていて嬉しかった。小夜にトイレの場所を聞いて、用を足しに行った。

 パンツのケンケンが笑っている。波乱の1日もあと1時間少々で終わる。これで巴の2つの約束が果たせそうだ。疲れていて今日はもう頭を使いたくない。明日はバイトが待っている。小夜の話を笑顔で聞いて明日考えよう。トイレを出ると大将と小夜が話している声に気付き足を止めた

「小夜ちゃん、逃がしちゃだめだ、俺はいろんな人を見てきたが、望君は小夜ちゃんを仕合わせにしてくれる人だ。あの男を逃したら次はないぞ」

「彼、奈緒が好きな人なんだ。私より奈緒の方が似合っていると思う」

「奈緒ちゃんは人を見る目が確かだな。はっきり言えば小夜ちゃんは愛想が良いといえないし、大学は難しい学校なんだろう、声掛けてくる男なんて宗教の勧誘ぐらいだ。望君は俺の勘だと苦労を知っている男だ。学校で一緒ならば変な勧誘目的ではないことは分かっているだろう。自分の仕合わせを優先しないとダメだよ」

「奈緒を悲しませることはできない」

 望はもう一度トイレに戻って手だけ洗って小夜と大将のところに戻って来た

「ごめんね、お持たせ。緊張の連続で大分溜まっていたよ」

「望君は小夜ちゃんのどこが好き?」

 大将が聞いてきた

「頭良いところかな、それと小夜さんには内緒なんですが女性はショートカットか、お尻の大きい娘にしかときめかないんですよ」

「聞こえているわよ!」

「そっかい、これ小夜ちゃんが彼氏連れてきたお祝い、時間が遅いんであんまり残っていないが、いいところが残っていたから、良かったら食べて」

 大将は刺身を用意してくれた、

「ありがとうございます。遠慮無く頂きます。大将もこう仰っているし、今晩は小夜さん家に泊めてもらっちゃおうかな」

「死ね!」

 望は財津一郎さんの真似をして

「厳しい~ぃ」

 大将は笑って

「ゆっくりしていてくんな、小夜ちゃんのお父さんが贈ってくれたお酒があるんだが、望君は日本酒はイケるかい」

「小夜さんのお父さんが贈ってくれたお酒なら慶んで頂きます。いつか酌み交わすこともあるかもしれませんから」

「ちょっと待ってな」

 小夜が呆れ顔で

「もう、調子がいいんだから」

「大将は親類さん?」

「ええ、遠い親戚みたい、詳しくは分からないんだけど。東京に出てきたとき凄く世話になったんだ」

「そっか、感じのいい人だね」

「けっこう、気難しい人だけど、望とは相性が良いみたいね」

「本当は、小夜さんと相性が良いことを望んでますけど」

 ここでお酒が届いた。望は礼を言った。

「遅い時間に押しかけて申し訳ありません。気を遣ってもらってありがとうございます

 次はゆっくり伺いますので、今夜は無礼を勘弁して下さい」

「こっちも、客商売なんだから気にすんなよ、次は望君の苦労話、聞かせてくれよ」

 大将は笑顔で厨房に戻っていった

「乾杯しますか」

 小夜は呆れ顔でコップを上げた。グラスを重ねると望は日本酒を口にした辛口の酒だった。

「約束果たせて良かった。僕の話ばっかりで申し訳なかった。話聞かないで終わったら小夜さんの印象最悪だった」

 小夜は、前の学校のことを話し始めた。小夜はかつて望が志した環境化学を専攻していた。小夜は望の恩師が予想した悲劇を経験してしまったようだ。小夜が一番辛かったのは科学の力で環境改善をする意志を持っていたが、周りの人間がそれを望まず、国や企業がその被害の補償し続ける体制を望んでいるようだったという。

 2年で学校に行くのを止めて、受験勉強と学資金のバイトを並行して翌年前の学校の退学と望と同じ大学に合格した。合格後も年齢差で消極的になりクラスにもなじめない感じだったという。

 望はその辺までは記憶にあったが、日本酒の回りが早くその先の記憶が途絶えた。

 <つづく>

 

 次回の副題は「ゆき先輩」です

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