第22話 不器用な女
不器用な女
「ねえ、小夜さんは未来から人が来る仕組みってどう考える?」
望は今、小夜に声を掛けないといけないと思った
「望はどう考えているの?」
望は小夜自身の話をさせようとするが、話をしたがらないのか不思議だった。望も最初は単純に自分を警戒しているか、話すのが面倒だからかと思ったが、どうやら違う問題を抱えているのではないかと感じている。巴が言っていた、自ら命を絶つ原因もそこにあるかも知れない。
「僕は5次元の世界が多重世界(パラレルワールド)という考え方に疑問を持っていて、多重世界と交流するという発想がないんだ。だから全く分からん」
望はいつも心がけているように結論から述べた。菫を1人にするわけにいかないので次元の解説を入れた。
次元の解釈は所説ある、点が0次元、x方向に要素を追加すると線となり1次元になる。さらにy方向に要素を追加すると平面となり2次元になる。さらにz方向に要素を追加すると立体となり3次元となる。ここまではほぼ共通認識されている。
この後、何の要素を足していくかで次元が増えていくわけだが、時間の要素(t方向)を足して4次元とすることが多くの支持を受けている。つまり、立体の現在・過去・未来が生じることで4次元の世界とするということである。ならば現世界は4次元の世界といえる。ここで意見を述べたいところだが先に進めて、5次元はもう1つ軸を増やす、すなわち時間を持った立体が多数存在する状態すなわち多重世界(パラレルワールド)が5次元となる。
この出来事を無理矢理理解するとすれば、小夜、菫そして望のいるこの世界に類似した5次元の多重世界で時間が先に進んだ世界が存在して巴が来たという理屈である。
「私も4次元の追加軸を時間とすることに違和感がある」
小夜が望の補足が邪魔だとばかりに言葉を挟んだ。望は菫の発言する順番を小夜が遮って話した印象を受けた。
望は小夜と考え方は似ていると思った。時間が連続的であるとしたら起源からの時間の経過で同じ状態が存在するというのは幻想的だと思う、例えば別の世界でも自分の父親が自分の母親と結婚していることが必ず起きるだろうか?という疑問だ。
これは望のような凡庸な頭脳の人間が量子力学の世界に踏み込むと、量子飛躍の次につまずく時間の概念に対する疑問である。望はハイゼンベルクがそう考えた通りこの世界は写真のように細切れにできていて、映画の原理と同様に写真が連続的に流れて動いているように錯覚しているものだと考えていた。もちろんそれを他人に説明する根拠などはないので、人に話したことはない。でも、小夜が自分よりずっと先までの解釈ができていて、明確な解釈を持っている事を期待していたが、自分との差はそれほど大きく無いことに気付いた。やはり巴の言うとおり有美くらいの頭脳がないと答えは得られないのかもしれない
「時間は天体の動きから相対的に存在する経験的なものだもんね」
菫が言った。望は菫が愛美のように自分の成績から学校を選んだのでなく、しっかり志を持ってこの大学に来たことと、強い女性であることを望は確信した。巴が菫と夫婦になると言っていたが、自分がどういう時間を歩んだとしても、菫に惚れることは必然だったとさえ思った
「そう、あなたの嫌いなアインシュタインの一般相対性理論が計算の基準になっているから光速に基づいてセシウムが励起する波長から時間が逆算されているだけ」
小夜が菫の言葉にかぶせるように言い放った。”あなたの嫌いな”望は信じられない仮説が頭を過った。科学の話ではなく恋愛の話である
”小夜も菫も僕が2人を好きな気持ちと同じ位、僕が二人に好かれている”
量子力学で言えば量子飛躍くらい突飛な話であるが、そう仮定すると辻褄が合ってしまう。それならば小夜を殺すのは望という結論を導ける。
”菫を選んだ望に絶望して自ら命を絶った”
望は否定した、少年マンガの主人公でもあるまいし、自分が女性に好かれる要因などあるはずがない。自分は女性から”好きではないけれどしつこく言うから渋々付き合ってやった”くらいの恋愛しかできないものだと信じて疑っていなかった。
望にボーアの言葉が蘇った
『実在性について自分たちの先入観にこだわって
自然そのものの教えに謙虚に耳を傾けることを怠ってはいけない』
これは誰かから教わったものではない。望が量子力学を習得する上で得た言葉である。
「この話題は問題解決につながらないみたいだから、巴の正体を考察するのは後回しにしよう」
望は話を打ち切った
「巴の言うことを信じるならば、3つの約束を守れば、奈緒を助けるという目標を達成して取り憑いた菫さんから離れるだろう」
小夜と菫は一度お互いに目を合わせた後頷いた
「心配なのは、実は巴の目的が3人の内の誰かもしくは複数に恨みがあって復讐したいという意図があった場合だ」
望は菫の手が強く握ってくるのを感じた
「お2人に恨まれる筋合いをここで聞く気にはなれない。僕は知り合いの神社に相談して力尽くで追い出そうと思う。もしお2人に思い当たる節があったら家に帰ったら地元の方向に向かって手を合わせれば良いと思う。これでいいかな?
菫さんには神主と連絡が取れたら直ぐに伝えるよ」
菫は望の右肩に頭を預けて
「助けてくれてありがとう望、とても嬉しい」
菫は繋いでいない右手でミディアムの髪をかき上げた。薫るハットトリック、帽子を与えられる名誉、クリケットの言葉だ。望は賢い菫は自分が小夜に恋した理由も掴んでいると思った。巴の話を信じれば今夜望と菫は男女の関係になるのだ。
「まだ、解決していないよ」
複雑な顔をしている小夜に気を遣って望が言った。不器用な女は恋愛巧者のメフィストーフェレスの手玉に取られている。望と小夜の視線が重なる
「巴なのか?」
「巴なの?」
望と小夜の声が重なる。居酒屋で小夜と望が見た巴は望に馴れ馴れしかった。望は自分が吐いている嘘に自分が騙されるくらいの覚悟でインチキ除霊師を演じる。
「お前、碧だね。まだ俺に心残りがあるのか?菫さんや小夜さんをそして奈緒さんのように優秀な女性と話していることがそんなに悔しいのか?」
優しい口調で菫の顔に話しかける。望は繋いでいた菫の手を振りほどいて鞄の中を探った。
「君は言ったね。
人の持つ全ての持ち物は神様が与えるものだと。
容姿や性格や出会う人全てが。
菫さんに取り憑いているのならそれが違うってこと分かっただろう。
菫さんは今の菫さんを維持するために自分を甘やかしていたりしないはずだ。
男達に興味の目で見られて気分良かったかい?
自分の持っていないものに憧れて、神様を恨む人生は楽しかったかい?
社会を恨んで、他人を恨んで、僕を恨んで。
結局君は自分が恨めないんだ。だから僕のから離れて行った
男なんてアクセサリーの一種、自分が楽しむのでなくて、相手がどう見るのか楽しむもの、価値の分からない無知の人には値札を付ければ良い。
君が選んだあいつは僕より容姿端麗だ。
君にはあいつの方が目的に合っている。
君は知らないだろう、僕が仮面の下で泣いていることを、でも僕は君と考え方が違った。
僕の考え方は、人の持つ全ての持ち物は自分の因果でできている。
そして人は配られた手札で勝負するしかない。
僕は、中学まで太っていた身体を絞って君に声をかけた。
君の付けている”ちっぽけな王子”は君は僕の中で名女優だった。
君が付けていたのは”星の王子さま”だった。花壇に咲いた薔薇の花の一輪だった。
後で花壇を訪れても君の薔薇は探すことができない。
でもね、小夜さんの薔薇も菫さんの薔薇も迷うことなく探すことができるんだよ。
きついこというようだけど、あいつは君が身体を許した後も同じに接してくれたかい?
僕を恨んでも構わない。
でも、菫さん、小夜さんそして奈緒さんに危害を加えるのは許せない。
君の望み通り3人とは恋愛に発展させない。
ただ、二人に一方的に巻き込み迷惑を掛けた君だけは許せない
全力を掛けてきちんと祓わせてもらう!」
望は淡々とした語り口調で菫の顔に告げると、鞄から出した形代をかざした。
形代は望が東京に出てくるとき魔除けで神主から頂いたもので、形代とは人を模した紙である。雛人形や式神も形代の応用であると神主が望に教えてくれた。実は神社で生活したときに手の器用さを買われて作成したこともあり、望自身の作ることができた。
「菫さん、済まない、髪の毛に触れるよ」
こんなに女性の顔を凝視するのはずいぶん久しぶりだ。碧、あれから3年経過している。一心不乱に勉学に励んだ期間でもある。望は菫のあどけない顔に酔わされながら碧の追憶を辿っていた。もし、碧の霊ならば望の挑発に言葉を発しない訳がない。残念ながらそんな優秀な女性ではなかった。
望は菫に取り憑いているのは碧でないことは確信していた。かつての交際相手に幽霊役を演じてもらったというインチキ霊媒師のシナリオだ。言っていることに嘘はないが、2人の前で言うのは人としてどうかと望は思った。望の高校時代は裏切った碧のことを同級生には悪く言わなかった。本当は本人に言いたかった封印された言葉である。
これもかつて紫が教えてくれたことだ。謝られても意味が無い。望は自分が理不尽な仕打ちをした碧を客観的に同級生に非難してもらって、自分の正当性を誰かに慰めてもらうのは惨めだと思った。そう思うことだけが孤独な望を支えてくれた。
本音を言えば、付き合っている途中から望の中では碧は碧の知らない紫と戦っていた。別れた直後に怒りを抑えながら思い返した。望の抱き始めた碧に対する物足りなさを、碧自身が感じ取って去って行ったのではないかという結論が一番しっくりした。弱った碧に優しい言葉を掛けてくれる容姿端麗のあいつは牢獄に捕らえられた迷える少女を救いに来てくれた王子に見えたのだろう。望の心の奥底には僅かながらの安堵感や開放感も同居していた。
高校の望でも碧に対する申し訳なさを感じていた。だから同級生に的外れな中傷や失笑を受けても望は涼しい顔で聞き流すことができた。それこそが碧への償いだと思って一所懸命に耐えた。望の勝手な理屈だが、泣き言を言ったら全てが崩壊することは分かっていたので、それ以上のことは考えることを放棄した。
今だから、だから、今だから閉ざした気持ちの一部を開放することを許して欲しい、いや、許さないで軽蔑してもらった方が気が楽だ、むしろ、碧の記憶から望自身を抹消してもらった方が楽な筈だ。
”すまない、碧さん”
望は巴に誑(たぶら)かされて菫や小夜の心を壊し始めていることに気付いている。この2人と恋愛に発展してはいけない。それしか、この物語の仕合わせな結末はないのだ。2人には碧の話をする自分を軽蔑して欲しいと思った。もう、恋愛という重荷に肩肘はることはない。
望は神妙な顔つきで徐(おもむろ)に音を発する
祖たる北斗七星の化身よ、血を継ぐ我にご助力の程、
高天原に神留り座す・・・」
菫の目が点になっている。望は小学生の時に覚えた”中臣祓い”を低く小さい声で唱えながら、形代を菫の頭に時計回りに巡航した。インチキ霊媒師は見よう見まねでお祓いの儀式を模した。
菫は瞳を閉じて手を合わせている。瞳を閉じた菫の顔も可憐だ、高嶺の花は高嶺の花のままでいい。それでいいのだ。望の唱える声が上擦る。それでいいのだ、望は自分にいい聞かせた。
授業で使用しているルーズリーフから紙を2枚引き抜き、形代を光に当たらないよう丁寧に包み込む
「竈の神様のお力を借りて祓います。これで僕のお祓いは終わりです、この後、御守りを・・・」
「菫さん、ごめん、きっと生き霊は私だ」
小夜が突然泣きながら語った。
「菫さんが怨めしい。私は菫さんにはなれない」
突然の発言にも望は動じなかった。望は優しい声で小夜に告げた
「話した感じ、巴は小夜さんじゃなかったよ。小夜さんの気持ちがこの件に係わっていると思えないよ」
望は自分のやっているインチキ除霊に小夜程の頭脳明晰な女性が騙されるのが不思議だった。そして自分の話を自らし始めたことに驚いた。優しい口調で望は続ける
「僕だって、奈緒さんが怨めしい。僕はあんな風に誰とも隔たり無く話せる人は凄いと思う。でも尊敬するけど自分がそういう風にしたいと思わない」
「奈緒・・・」
小夜はそう呟くと伏せて泣き始めた。
望は巴の言葉を思い出していた。小夜が困った時に最初に出てくる人物は奈緒なのだ。「そんなことないよ、奈緒ちゃんは望の前だからそうしているだけ」
菫の言葉に、望は小夜がインチキ除霊師に惑わされたように、自分もあの美女に騙されていたのだろうかと疑念を抱いた
「そっか、奈緒さんにからかわれていたのか」
菫は静かに語り始める
「違うよ、望は碧さんとの出来事を引きずっているんでしょ、だから奈緒さんの気持ちに応えられないんでしょう」
菫の言葉はクレシェンド、終わりに近づくにつれ強くなった。
「奈緒さんが、僕のこと好きなわけなんかないじゃないか、僕に奈緒を引きつける何があるというの?」
望は菫が居酒屋のあの短い会話の中で、自分の心情は既に見通されていることは予想できた。でも、自分が奈緒に好かれる要素が存在する訳がないというのは紛れもない本心である。
「じゃあ望、私が・・・」
慌てて望は菫の言葉を遮った
「止めよう、まだお祓いの最中だ、折角の結界が破れてしまう」
嘘をつくのは辛い、巴は小夜と奈緒を人質に取っているのだ。望は菫に言わせてはいけない言葉、自分が菫にこのとき言うことが必然な言葉が発せられない。
高嶺の花は高嶺の花のままでいい。それでいいのだ。碧に裏切られて以来、ずっと自分の気持ちに正直に生きようと誓ったのに、どうしてもその言葉が出ない。
望は頬に熱いものを感じた。
”僕は泣いているのか”
望の中では”愛”は侵略や支配を伴う言葉として定義している。碧は”愛”という言葉を簡単に使ったが、紫は自分と同じ考え方で”愛”に呪いが宿っていることを中学生の時点で知っていた。望は今菫に愛を語るべきだと思った。小夜や奈緒の未来などどうなっても構わない。しかし望にはそれができない。ナチスに核兵器を渡すことを恐れたハイゼンベルクの苦悩を知っていたから。望は自分の言い訳が可笑しくなった。
「いとをかし、碧さんに愛想尽かされて当然だな」
望は小声で呟いた。菫は望を見ている、碧が決して望に見せたことのない母親が自分の子供を見るような優しい瞳。”ごめん菫”望は発声するのを一所懸命我慢した。伏せている小夜にはそのままにして望は菫に語りかける。
「これ、形代っていうんだけど、菫さんを護ってくれると思う」
望は先ほど碧を封印した形代とは別の形代を出した。神主から10枚ほど形代を頂いている。望が東京に来て使用したのは今回が初めてである。
「原理は雛人形と同じ、菫さんに起こる不幸を替わりに引き受けてくれる。多分さっきので祓えているから心配ないと思うけど、一応用心のために渡しておくね」
「ありがとう。望」
望は気味悪がるかと思ったが、菫は合掌したあと、まるで芸術品に触れる機会に恵まれたように手の上に形代を置き、大事そうに両手で包み込んだ。
「色が変わるとか、形代に変化が起きたら教えて、そのときは神社に相談するから」
「こんな大事なもの、私のために使っちゃっていいの?」
「菫さんは大切な友達だから、お安いご用だよ、それに作り方を知っているので自分で作れるし」
「望・・・」
望はまた、遮って言いたい言葉を我慢した
「ごめんな、僕のせいで怖い思いさせちゃって」
望は小夜の方を見た。小夜はまだ伏せっている。菫も小夜を見た。菫は形代をまるで我が子を抱くように両手包み込み自分の胸に当てた。望は菫の顔が少しだけ微笑んでいるようにもみえる。この可憐な笑顔の中に大抵の男がこの女性を取り扱えない恐怖を直感した。メフィストーフェレスは冗談ではないかもしれない。
「そうだ、守護札も作ろうか?」
望は形代を我が子のように扱う菫に危険を感じた。形代自体に菫の生き霊が宿ってしまうことを恐れたからだ。呪いの人形はこの類いの現象であり、呪物に発展しかねない恐怖があった。
「そんな、悪いよ」
これは礼儀として断ったことが、望にも分かった。また嘶きが聞こえたような気がした。望は自分が励起(れいき)状態であることを自覚していた。馬にまつわる記憶の片隅に引っかかる点があった。
「菫さんの家の家紋って分かる?」
突然の質問に少し驚いたようだが、菫は質問に対して真摯に記憶を辿っているように望には見えた
「よく分からないんだけど、四角が4つの家紋だったような」
望は形代をもう1枚出して胸のところに4つの4角を書き足した。
「こんな家紋じゃない?」
「そうそう、これ、すごいよく分かったね」
これは、インチキ霊媒師ではなくて、望の明確な歴史の知識である。平治の乱の後、源頼朝にずっと忠誠を誓ったのは三浦家と佐々木家だけだった。三浦家は頼朝の兄義平の母の家の所以(ゆえん)もあるが、佐々木家は所領を没収されたあとも頼朝に従い挙兵の時までその忠義を尽くし、挙兵の折も、雨でぬかる悪路に馬を捨て昼過ぎに頼朝に参じた。
平家物語にある”いけずきの沙汰”は佐々木高綱の話である。梶原景季が所望する名馬”いけずき”を頼朝は高綱に与える。頼朝は挙兵の折、馬を捨てて泥だらけになって参じてくれた佐々木一族の忠義を忘れていなかった。名馬を賜った高綱は宇治川で先陣を勤めなければ自害すると決意し、見事名馬いけづきとともに先陣を果たすのである。
800年も昔の話であるが、そのいけずきが書かれた絵を見たことがあり、そこには”四つ目結”という佐々木家の家紋が書かれていた。望にとってはヘルメットの模様を見ればF1パイロットが誰かと分かるのと同じ理屈だ。望は菫に佐々木高綱の片鱗を見た気がした。余談を言えば、望の祖父が戦争末期に中島飛行機のあった小泉から設計部門だけ疎開したその先がいけずきと摺墨の故郷でもあった。小夜も含めて源平の頃に所縁がある3人の不思議な因果を望は感じていた。
「安心した、菫さんには強い守護者がついている。菫さんの先祖も日本3大呪いに係わりながら子孫を残した強い家系だ。たいした霊でなければご先祖様が撃退してくれるよ」
菫は望の話を疑うことなく嬉しそうに聞いているように見えた。ただしこれはインチキでなく子孫が繁栄していることが根拠とできる歴史的な事実だ、佐々木家も保元の乱の折には崇徳上皇に弓を引いている。
「となると、未来人ね、巴は」
望は菫のはっきりとした声に霊に対する恐怖は和らげられたと確信した。
望は家紋の話で思い出した、小夜の家の家紋は秀郷の血統ならば2つ巴紋の筈だ。居酒屋の小夜から菫への質問で、自分が選ぶ女性が”ともこ””ともみ”そして”ともえ”のどれを選ぶかという件、実際小夜は何の答えを期待していたのだろう。
子供のような菫、美しい奈緒、そして小夜の家の家紋である巴、そんな意図でなかったかとも考えた。いや考えすぎだろう。小夜はまだ伏せっている。
望が一段落して、冷静になると、この席が他の客から注目されていることに気付いた。他の客には新しい彼女と付き合うことになった自分と泣き伏せる捨てられた元の彼女という物語ができているのかも知れない。
「小夜さん、菫さんにした程のことはできないかも知れないけど、奈緒さんのこともできる限りなんとかするよ、火曜日(月曜日は体育の日で祭日)に奈緒さんに話してみるよ」
「小夜ちゃん、奈緒ちゃんのことは私も協力して助けるから安心して」
菫はすっかり自分のすべきことを弁えている。金属製の草鞋をすり減らして探しても見つけることが難しい女性なのかもしれないと望は思った。そして、菫が小夜と奈緒の関係を既に知っているのではないかと思った。
ともあれ、喫茶店の客の見世物になるのはごめんなので、望は喫茶店を出ることを2人に提案した。時計を見るとあと10分ほどで21時になるところだった。
菫が小夜を介抱しながら席を立つと女性の声に引き留められた。
「あのう、すいません」
<つづく>
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