第20話 美女Pandoraの封印
美女Pandoraの封印
望は朧気なる瞳で小刻みに揺れる菫の肩を見守りながら、まずは自分の心を落ち着かせることに尽力した。恩師の言葉が蘇る。
主神ジュピターは
人間が天界の火を勝手に持ち出し
弄(もてあそ)んでいることに激怒した
人々に制裁しないと行けないと思った
ジュピターはバルカンに美女を作らせ
神々に彩飾を施した箱を作らせた
箱の中には不幸の素を詰め込んだ
美女の名をパンドラという
人がパンドラの持っている箱を開けると
病気や災害などの素がまき散らかされた
パンドラは慌ててフタを閉めると
最後の不幸の素は放出せずに済んだ
最後の不幸の素は
「未来を知る能力」だった
このお陰で
人間は明日にも息絶えるかも知れないが
希望をもって生活ができる
これがパンドラの封印
予備校の古典講師が教えてくれた
”恩師よ、僕はあなたの人柄に出会えたお陰で
全ての国語教師を侮辱することはなくなりました”
ハイゼンベルクはドイツで核兵器開発の中心人物だった
彼は祖国ドイツを好いていたが
ナチスに核兵器を渡すことは避けたいと考え
科学者の名声を捨てて開発を遅らせる謀略を施す
オッペンハイマーは核兵器の完成に近づき
人類の未来を案じた
アメリカだけに核兵器を持たせると
世界の秩序が崩壊すると
彼は共産主義国家に核兵器の情報を渡してしまう
ハイゼンベルクやオッペンハイマーを説明できる人に会えるのは希だ
でも大学に行けば彼らの話を遠慮無く話せる人に逢える筈だ
予備校の理科講師が教えてくれた。
”恩師よ、予言の通り僕は最高の女性達に出会いました。
でも彼女は、禁断の世界を呼び込んでしまったようです
科学者達の心を救ったゲーテの詩を
もう一度僕に聞かせて下さい
【西東詩集】
北も西も南も裂ける
王座は砕け 国々は震える
逃れよ 清らかなる東方へ
・・・私は意気揚々と詩を書く
誰も私の詩を責めてはならない”
望は現役時代1校だけ合格していたが、母の知り合いの神主に助言に強い影響を受けて浪人を選んだ。神主は”予備校で重要な人物と出会うから”と予言をしていた。
”神主よ、僕の人生には運命という脚本があるのでしょうか?
その脚本を変える者が現れたらどう振る舞うべきなのでしょうか?”
小夜の気を引くために学んだ量子力学、その過程で識り得たボーアの言葉
『実在性について自分たちの先入観にこだわって
自然そのものの教えに謙虚に耳を傾けることを怠ってはいけない』
『言い訳と後悔は相補の関係にあること』
これは、直接ではないが紫から望に教えてもらったことだ。
紫と交流が途絶えた後、体重に目標値を決めて達成できたら
”自分の気持ちに正直に応えられる人になること”
を自分に課した。目標値に近づくと戸惑いが起きた
”このままの方が自分にとって仕合わせなのではないか”
自分はここで成長できたと理解している。紫の呪縛から逃れるためにも必要な企みだった。
体重の目標を達成した望は碧に声を掛けた。そして碧が紫に遠く及ばない女性であることが分かった。全ての人間は平等に能力を持っていないことを知った
大学の1単位取得に必要な学習時間は年間で45時間ある、実は大学の授業はその半分程度である。それ以外は学校外で行う予習と復習が充てられるのが本来の姿である。他の学校が学校外の学習を強いているかどうかは分からないが、望達の学校では忠実に学校外の学習を求められその結果を試験に求められる。恩師が予備校で教えてくれた。
つまり教授が教えてくれることを完璧に理解しても試験では100点満点中50点しか取れない理屈である。合格点が60点だった場合、教授から理解できなかった分を補充した上で学校外で学習した分を足さないと合格できない。
それは学習時間の他にバイトをして部活動して交際するというのは簡単な話ではないことを物語っている。しかし数学は応用すれば色々なことを教えてくれる。多くの数学者達が残してくれたものは真実に近いところまで運んでくれる素晴らしい乗り物だ。
東京から宇都宮に
歩いて行くか
自転車で行くか
電車で行けるか
車で行けるか
という話と似ていると望は考える。
分布と確率から考えると既に紫と出会っている自分に、小夜や菫に相当する女性にこの後の人生で出会うことはほぼあり得ない。いろいろなものを犠牲にしてもこの機会を手放すことをしてはいけないと、望は暗闇を手探りで進むような錯綜する情報の中で結論づけた。
大学で学んでいる実験の準備は早速役に立った。望は実験を進める段取りでこの問題に取り組むことにした。
まず目的
護るべきは19歳の菫と小夜、護れないものは未練無く切り捨てて諦める。
諦めるものには望自身も含まれている。
望は自分の力で護れること、できることには限界があることを知っていた。
次に原理
想定できる状況を整理してみた。
1.未来の菫の話は本当である
2.現在の菫の作り話である
3.多重人格症や霊障あるいは菫でない未来人が菫に取り憑いている
これに基づいて調査を行う
次に自分の方針を設定するが、これは迷いがなかった。
”未来の菫の話を信じる”
”3つの約束は達成する”
望は、この世の時間を管理する番人に大罪の制裁を自分が受けるとしても菫と小夜だけは明日を与えて欲しいと思った。たとえ菫や小夜の明日に自分の記憶が全く残らないとしてもそれでいい。今日2人と話したことは大切な想い出として一生の記憶に残したい。
望は自分の気持ちの60%は”試験や報告書から解放される”という安堵感があることを認識している。これは忌まわしい工作員の少女と同じ名前の愛美を叱りつけた感情、恐らく愛美に学校から逃げたい自分が鏡のように映っていたから感情的になってしまったのだ。今更詫びたところでどうなるわけでもない。
ハイゼンベルクやオッペンハイマーの意図を恩師は自分に伝えてくれた。恩師の意図するとおり、万人が知り得なくても自分が理解できることを信じて語ってくれた話だ。迷ったらダメだ。僕を頼った”未来の菫”に応えよう。
”未来の菫を信じる”にしても先ほどの出来事をそのまま菫や小夜に伝えるのは止めた方がいいと思った。
望は喫茶店の周りの客が盗み見している事に気付いた。自分と菫がしたことを考えれば当然だ。厚顔無恥の自分はいいが、19歳の菫には荷が重いかもしれない。小夜が戻ってきたら場所を変えることを提案しよう。時計に目を落とすと小夜が戻るのが遅い気がする。
<つづく>
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