第18話 胡蝶の夢~未来から来た紫

胡蝶の夢~未来から来た紫


 胡蝶の夢

 道教の学者荘周は胡蝶になった夢を見た

 とても気持ちが良い

 自分が人であることを忘れていた

 よくよく考えてみれば自分が人であることは明確だ

 だが分からない

 自分の夢が胡蝶なのか

 胡蝶の夢が自分なのか

 胡蝶と自分には分ける基準があるはずだ

 これが形ある”物”の理である


 小夜は難しい顔をしていた

「望・・・」

 望は小夜が何か重要なことを僕に話して解放したいのではないかと思っ。

「僕の話なんてつまらないでしょう」

 小夜に会話を促すつもりだったが、言葉の選択を誤ったようだ。

「それで、紫さんとの話は夢だったの」

 望は小夜がどういう答えを求めているか分からなかった

「えーと、小夜さんは考察を含んだ僕の見解をご所望ですか」

 望は小夜が、朧なる瞳をしていると思った。小夜の閉ざされた心の扉は鍵が掛かったままだ

「ごめん、実際のところ」

「翌日、紫さんと変わり者のデブが付き合っている噂で学校が盛り上がっていたな」

「夢じゃなかったんだ」

「あの夜はしっかり余韻に浸らせてもらったよ」

「その情報は報告しなくてよろしい」

 今日も小夜の手を握ったし、女子大生の生下着も拝見できたので強烈な嵐と衝動(Sturm und Drang)に襲われると心の中で呟いた

「ごめんね、菫さんみたいな対応できなくって」

 望はどうして心の中が読めたのだろうと訝しんだ。今度は声を絞って

「菫さんのこと悪くいうな」

 直ぐに”のぞみ~”と菫の声が聞こえた。

「空耳だと信じたい」

 二人で笑うと”さよぉ~”という声も届いた。既に小夜も呼び捨てだ。 

「で、変わり者のデブと天魔紫の恋の行方は」

 望は小声で菫の喋り方を真似した

「小夜ちゃん酷いよ~、もう薄紫さんのところに行くよぉ~」

  ”真似すんなぁ~”と菫の声が聞こえた。

「あいつ、耳がいいな」

「折角だから聞かせてよ」

「江ノ島行ったとき話すよ」

「菫さんや奈緒さんには紫さんの話をして欲しくないな」

 望は耳を疑った。男女というのは不思議な法則で引き合っている。観察する前の原子核と電子のように、

「その約束、学食のきつねうどんで買収・締結されます」

「カツカレーも付けてあげる」

 小夜の言葉が柔らかい、望の追憶に重なる

「お気持ちだけ頂戴致します。小夜さんは僕をデブに戻したいのですか」

「太っていた頃は・・・紫さんとの素敵な思い出なんでしょう」

 望は少し間を置いて

「戻りたくない、あの頃には」

「ねえ、続きを話してよ」

 望は些か躊躇してから、鎌を掛けてみた

「まあ、小夜さんは好きな人がいるみたいだから話してもいいか」


 ******

 紫は体は中学生だが中身は大人だった。

共同作業を通して僕はいつも感じていた。

 きっと彼女は21世紀から来た人だと思った。実際僕は、紫にも敬意を込めて何度か直接聞いた。もう3度目の電話の頃には紫との会話にもぎこちなさがなくなってきた

「紫さんはノストラダムスの自筆による神秘の書が誤解されたことを証明できる?」

 とからかったら、意味深長な返答をした

「2000年に隕石が太平洋に墜ちて結構大きい津波が来たけどね」

 共同作業以外にもこんな会話も登場するようになっていた。

 手を繋いだあの日以来、紫と僕は学校で会話はしていない。二人の会話は約束の時間を決めた電話だった。電話では、結構長い時間に及んで綿密にシミュレーションした。

 達成すべき目標は、

”授業での歴史解釈が過ちだと認めさせること”

そして、先生のからの謝罪は一切求めない。

 僕たちの考え方が似ていたのか、紫の考え方に感染して洗脳されたのかは分からないが、全く異存はなかった。

 謝罪を求めると言うことは相手が自分より格上と認めるようなもので、全く建設的でない。紫は”汚れた金を身につける”という表現をしていた。要するに謝罪とは賠償と相補的に存在するという。難しい話だったが、”小学校のときに愛美がやっていた手口か?”と聞いたら、”ミクロとマクロで扱いが違うけれどね”といった。僕には意味が全く分からなかった。

 次に先生達がどういう決着を目論むか考えた。恐らくもみ消すだろうという意見で一致した。仮に取り上げたとしても

”先生にも落ち度はあったかも知れないが、君にも直すべきところがある”

 といった結果に持ち込むだろうというのが紫の見解だった。僕は口にはしなかったが、この”先生”が教師でなくて医者だったらどうだろうと考えた。”先生”って簡単に使う言葉だが、全ての人がこの言葉を同じ解釈できていない特徴的な言葉だと思った。

 暑い夏、言語道断の意味を住職から聞いた幼い記憶が蘇った。言語道断は道元禅師の言葉である。世間では“もってのほか”といった意味に用いられるが、道元禅師の意図としては、深慮なる仏教は言葉などの容易なもので伝えられると誤解したら、仏教の道は途絶えてしまう。お釈迦様の弟子摩訶迦葉様から脈々と引き継いだ曹洞宗の理念でもある。

 教育委員会への報告は”生徒への感情的な対応が目に余り、不快を感じて修学に支障が生じている”ということで国語教師を名指しで指摘することにした。

 通告者は紫の母親で、最初は匿名で郵送する。

 投稿から1ヶ月たって何ら動きがなかったら実名で直接連絡する。

 問題の授業での僕と先生のやり取りの文字起こしは紫が担当し、コンピュータに入力しプリントアウトして直筆は避ける。両親が医者である紫の家にはコンピューターもプリンターもあった。

 僕の歴史的見解の妥当性は紫の母親がレポートを作成し、指摘してくれるということだった。

 あとでこのレポートのコピーを読んだが、理論根拠となる引用も複数にわたり信頼性の高い文献を引用している、今まで読んだ歴史本の中で最も優れたものだった。医者の書く文書は今まで出会った教師の文章を遥かに凌いでいた。

 僕はこの時点で十分無念を晴らせていた。少なくとも僕の歴史解釈は紫と紫の母という見識者に支持されているのだから。教育委員会に提出したものがどういう結果になろうと、もはやどうでも良かった。紫と二人で作ったものが形となったことこそが、最大の財産だった。

 紫の母親が匿名で教育委員会に投函してから4日後に学級長が僕の前に来て

「富樫君、ごめんなさい」

 と突然謝られた。紫との準備の中で想定していなかった出来事だった。

 紫の視線を浴びる中

「謝られることはしていないと思うけど」

 と素っ気なく答えると、学級長が泣きそうな顔をして逃げるように教室を立ち去った。その後学級長は1週間登校しなかった。

 学級長が学校に来なくなって2日目、担任に進路指導室に呼び出された、担任は音楽を担当する大学を出て3年目の女性教師で、クラスの担任を任されたのは今年が初めてだった。

 学級長に謝られた日に呼び出されたならば状況は変わっていただろうが、先生側は我々に十分な時間をくれた。事前に紫と十分な対策の準備をしていた上で呼び出しに対応できた。

 進路指導室は14歳の少年にとっては大きい威圧を感じる環境である。しかも、突然の指名呼び出しなので緊張する場面であるが、紫との事前打ち合わせはその不安を祓うのに十分だった。

 担任は緊張しているのかいきなり

「高橋さん(学級長)のことをどう思う」

 と聞いてきた

「きれいな人ですけど恋愛の対象にはならないと思います。もっとも学級長がこんなデブ相手にするとは思いませんが」

 と答えた。紫との打ち合わせで的外れなことを言って、先生を怒らせろという段取りだった。担任は僕の回答に戸惑ったように見えたが、続けて

「高橋さんが学校に来なくなったのはなぜだと思う」

 この先生にも台本があると思った

「体調が悪いのではないですか」

「どうして体調が悪いのかしら」

「学級長と友達でもないですし、学校外で会話したことがないから分かりません」

 担任が苛ついているが冷静を保とうとすることが14歳の僕にも分かった

「富樫君、高橋さんから何か言われた」

「休む前日に”富樫君、ごめんなさい”」って言われました

「高橋さんと何かあったの」

「そのときも、”謝られることはしていないと思うけど”、と言ったと思います」

 先生は溜め息をついて

「高橋さんとは、以前に何かあった?」

 僕は、試験の問題を知っていて、試験を受けるのはきっとこんな感じだと思った。

 紫と打ち合わせた通り、長い間をとって考えている振りをした

「そういえば学級長から、先生に謝れって言われました」

 担任はその先生が国語教師の川岸先生であるかと尋ねてきた。今度は即答した。

 学級長になんと答えたかと聞かれたので”君は僕が言っていることが間違っていると思いますか”と逆に質問したといった。

 僕は、堂々とした回答に困惑している担任の様子を読み取る余裕があった。紫の予想通り、担任は僕が密室に呼び出されて萎縮する効果を期待していると思った。僕の今までの言動を見れば、担任単独で今回の件を収束させる発言を誘導し引き出すのは簡単と考えるはず。紫の予想は的を射ていたようだ。事前に準備ができるとこんなに堂々とできるのかと、自分自身でも効果の大きさに驚かされていた。

 経験の浅い女性の先生で良かった。僕はそう思う。1年生の時、体育教官室に呼ばれたときには、暴力的な口調な上に、竹刀を持ち出して床を叩きながら説教された。先生なのか映画で見た反社組織の組員なのか分からない言動だった。サービス業を仕事にしている人がサービスを受ける側に行っている態度である。きっとこの先生にとって僕は、言うことを聞かない家畜と一緒なのだろう。こういう思想の方と係わらない人生を送りたいとしみじみ思った。

 紫はあの体育の先生は気が小さくて教養が浅いから他の先生に勝手に疎外感を抱いているのでしょうと冷静に分析した。”失った髪を未練がましく横から持ってきた髪で誤魔化す発想は私には分からないわ”僕はこのときほど紫の恐ろしさを感じたことはなかった。紫は僕が考えている以上に教師を憎んでいることが垣間見られた。

 担任はこのあと国語の授業で起きたことを聞いてきたので、ほぼ、紫が起こした文書の通り復唱した。担任もメモを見ながらの対応だったので、紫が起こした文書の信憑性の確認をしたのだと思う。

 続けて話題になった歴史見解について学術的根拠を具体的に示しながら担任に講義をした。担任は何度か僕の発言を中断させようとしたが、”最後まで話させて欲しい”と涙ながらに切望すると、担任は簡単に折れて最後まで聞いてくれた

「先生、僕の話は全否定されるほど誤っていたでしょうか」

 涙声で僕は先生に質問した。紫と打ち合わせた正念場だった

「私は間違っていないと思う」

 最も引き出したかった言葉を得た。この発言を後になって担任が誤魔化すのは非常に重い代償を背負わされるからだ。

 すかさず、

「川岸先生は僕の見解を”お前は見たのか”と一蹴したのです。僕は14歳の中学生です。見られる訳がないじゃないですか。

 僕は、悔しくて3日眠れませんでした。そのとき学級長に川岸先生に謝ることを勧められたのです」

 先生が絶句している間に

「でも、よかった僕の見解少なくとも先生は認めてくれた、これで僕は十分です」

 担任は起こっていることを処理しきれずにいるようだ。さらにたたみ掛けた

「音楽家が自信を持って完璧に演奏した曲を、独裁国家の国王に“つまらん”と揶揄されたような感じに似ていますかね」

 紫が言うには、音楽の先生をやるような方はもっと大きな夢があって、その目標に到達できず教師に甘んじるケースが多いし、自身ももっと世間に自分の能力が評価されても良いという潜在意識がある筈だから、この例えは有効だと言っていた。

 担任の動揺はぎこちなく資料を探す態度で僕にも分かった

「どうしてこのことを先生に相談してくれなかったの」

 担任は言葉を絞り出したが、既に担任は紫の手のひらの中だった。

「僕の悩みの根本は先生ですし、先生に相談するのは抵抗があります。小学生の時、4組の星愛美さんが先生を牛耳っていましたから、僕にとっては先生は暴力装置と余り変わらないのです」

「ちょっと、間違えた解釈していない?」

 ”星愛美”と”暴力装置”は先生を試すために用意していた言葉だった。そもそも紫と僕の意見が分かれたところだった。紫の見解では先生は都合悪くなると論点ずらしを始めるといっていた。僕は生徒の悩み事ならば真意を読み取ろうとするはずだと信じていた。

 僕はこの小さな矛盾の仕掛けで、担任の化けの皮が剥がれてきたと思った。また、自分が思慮の浅い人間だと痛感した。

 紫が愛美のことを”自分を小さく見せる”と評していたが、その根拠として会話に”ちょっと”や”少し”などの言葉を多用する人は可能性が高いと言っていた。これは自分が”ちっぽけな被害者”としたい潜在意識が働いているという。

「やはり、先生は否定されるのですね」

 僕はうつむいて言葉を発するのを止めた。担任は言い訳がましい弁解を重ねたが、うつむいて一切言葉を発しなかった。これも紫の指南でもあり、僕の落胆の表れでもあった。うつむく中で一つの結論に到った。”先生は神様ではないのだ”

 担任は紫の能力をかなり低く評価している。見立ての甘さがどんどん担任の状況を悪くしている。現状分析が甘い上に、変化に対応できていない。いや、これは担任の能力が低い訳でなく、紫という相手が悪いのだ。

「この話は別の機会にしましょう」

 担任も僕の説得を諦めて本来確認すべきことを優先するのだろう。

「別にいいです。僕は僕の歴史見解を先生のような見識者に認めて頂いたのでそれで十分です。謝罪や体制改善を行うと星さんと同じやり方になってしまいますから、僕の話は完結です」

「さっき、言った通り、星さんの話は別にしましょう」

「失った時間や気持ちは戻って来ませんので、もう星さんと係わるのは嫌です」

「どうして、同級生と仲良くできないの」

「話し合いで解決できるなんて、思い上がりではないですか?

 星さんはそういうことを言って小学校の先生の気持ちを支配したんですよ。

 先生はキリスト教徒とイスラーム教徒が話し合いで仲良くできると考えているのですか?」

「富樫君の考え方は飛躍しすぎている」

 尻尾が見えた。この担任は自分の範疇を超えて僕の悩みに向き合うことはしない。教師の持つ特殊特性を利用して僕を排除する。なにもかもが紫の予想通りだった。

「もう、星さんとは係わりたくない、小学生のような思いをまたするのはもう嫌だ」

 呟くように語ったが、強い訴えだった。

 担任は空虚な目で僕を見た。紫から”同情”と”妥協”をしてはいけないことを言われていたので、救いを求めるような目で担任を見つめた。不快な時間がただ流れた。

「私はそんなに頼りない」

「もう、星さんとは係わりたくない」

 僕は、紫と共同作業をする中で自分が信じられないほど成長したことに気付いた。

 結局担任が根負けする形になった。

「ところで、久保さんのことについて聞かせて」

 僕は、担任の日本語がおかしいような気がした。国語は苦手なので何がおかしいのか分からなかったが。先生達の間でも、教育委員会への通報は紫の親からだと予想していたのだろう。まあ、コンピューターから印字した文書で提出できるのは紫の家ぐらいであるので、特定するのは簡単だったかもしれない。

「久保さんは頭良くて無愛想だけど、僕があの一件で3日間悔しくて眠れなくて顔色が悪いことに気付いて優しい言葉を掛けてくれました」

 これは経験の浅い先生にとっては致命的な失敗だった。担任は僕と毎日会っているのに僕の体調の異変に気付けなかったのは職務怠慢と指摘されてもおかしくない。紫は担任より早く僕の体調の異変に気付いていたのだ

「ちょうど、学級長が川岸先生に謝れと言われたときに、久保さんが助けてくれて、僕の愚痴まで聞いてくれたんです。最後は崩れ落ちる僕の手をとって勇気づけてくれたのです」

 担任の顔が青ざめるのが分かった。本来担任がすべき生徒の心の保護を紫がしたのである。

「学級長の言葉は辛かったな、結局僕の体調よりも、川岸先生の機嫌を取ることを優先したのだから。所詮彼女にとって僕は害虫同然だったのかも知れない」

 担任から言葉がない、生徒の不調に気付けなかった自分を責めているようだった

「久保さんとはその後、何か話した?」

 この担任は自分のことを棚に上げて職務を全うする人ではなくて僕は安心した。国語教師や愛美ほどの残虐性や無慈悲を担任から感じることはなかった。

「久保さんみたいに、頭が良い人と何を話して良いか正直分かりません」

 嘘を言うと後々、面倒なのでこちらが論点ずらしの回答をした。混乱している担任には発言を噛み砕く余裕も無かったようだ

「確かにそうね、私もなに話していいか困るから」

 担任の顔に笑顔が戻った

「天女の羽衣を盗まない限り、僕とは話してくれないでしょう。

 でもいつか、久保さんみたいな人と対等に話せるようになりたいです」

 担任は精一杯の笑顔で

「ありがとう。教室で久保さんが待っていると思うので、ここに来るよう伝えて」

 僕の尋問は事前に設定した目標を達成できたと思った。

 教室に戻る廊下で教頭とすれ違った。室内電話で担任が呼んだのかもしれない。僕のような小者には経験の浅い先生で十分だが、紫には教頭クラスの御出馬が必要なのだろう。こういう差別を受けることは悪い気がしない。僕は1日でも早く”こんなところでサボっていないで”といった紫の居る場所に行きたいと思った。


 教室に戻ると紫が本を読んでいた。

「担任が進路指導室に来てってさ」

「そう、ありがとう」

 紫は読んでいた本を鞄に入れて、僕に構うことなく教室を出て行った。今日は部活をサボって帰ることにした。思った以上に精神的な疲労が大きい。

 教室に一人の少女が入って来た。愛美だ。そそくさと荷物をまとめて帰ろうとすると声を掛けてきた。無視して帰ろうとすると、愛美に怒鳴られた。

「なに、無視してんのよ」

「僕に話していたんですか?」

「あんたと私しかいないでしょう」

「さようなら」

「話があるの」

「僕みたいなデブ好みじゃないでしょう」

「だ、誰がアンタなんかに」

「じゃ、さようなら」

 愛美に腕を取られて引き留められた

「先生に何で呼ばれたの」

「高橋の事じゃねぇ」

「アンタが呼ばれたんだろう」

 僕は、はっきり言って愛美と会話するのも面倒だ。

「高橋の事だと思うけど、頭が悪いので先生の言っていることがよく分からなかった」

 愛美は言葉尻を取って人を貶める技術に長けていることを、僕は全身で承知していた。

「富樫は久保と付き合っているの」

 愛美は僕がボロを出さず、高い位置からの話の主導権が握れないので、直接聞いてきたようだ。愛美は紫が僕の手を握っている場面を目撃されていて、目も合わせている。

「久保さんがこんなバカでデブと付き合うわけないだろう」

「このまえ、仲良く手を繋いでいたでしょう。いやらしい」

「そうなんだ、久保さんと手を繋いでいたのか、その余韻で今晩ソロ活動でもしようかな」

「バカじゃないアンタ、なにとぼけているのよ」

「俺はあんな美人さんと手を繋いでいたんだ」

「久保さんのこと美人だと思っているんだ」

「そうだよ」

 愛美はこの回答が意外だったらしく、言葉を詰まらせた

「みんなに言いふらしてやろう」

「じゃあ、帰るから」

 僕は愛美がかまって欲しい哀れな中学生だと思った。愛美は相対性の理論に支配されている。アインシュタインの話ではない。愛美には確固たる基準がない。愛美の望む世界は漠然とした正義が世の中の頂点に君臨する独裁組織であろう。愛美の攻撃手段は人が持つ良心の呵責に取り憑いて汚染された箇所を培養して相手を貶める。

 僕は他人にどう見られるかばかり気にしていた。先ほど紫の手のひらで踊らされた先生、かつては神様と同等に崇めていた先生を見て、僕は相対性の世界には従わないという結論に到った。

「ちょっと待ってよ」

「まだ、何かあるのか?」

「富樫は久保のどこが好きなの」

「久保さんは美人だと言ったけど、好きとは申しておりませんが」

「同じ事じゃない」

「そっ」

 そう言うとそのまま帰宅した。愛美は何か言っていたが無視した。

 もし、愛美に裸で誘惑されても、きっと惑わされない自信があった。


 その晩の紫からの電話で、担任が紫の前で号泣した話を聞いた。

 *****


 ”のぞみぃ~助けてよぉ~”

 追憶は菫の声で途絶えた。

「ごめん、小夜さん、菫さんがお呼びだ」

 小夜は望のシャツを引っ張った。望は

「今日はモテモテの日だな

 菫さんはさっき友達になったばかりだから、行ってくるよ」

 立ち上がっても小夜はシャツを離そうとしない

「私も、ついていく」

 望は笑って

「ああ、一緒に迎えに行こう」

 菫と奈緒のいる席に望が行くと、菫がいきなり望の胸に飛び込んできた

「奈緒ちゃんが酷いんだよぉ~」

<つづく>

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