第13話 狐の吐いた嘘
狐の吐いた嘘
「アインシュタインはペテン師だと思う」
望の言葉に、小夜はただ、望の顔をのぞき込んでいる。もう30秒以上は経っている。どちらが口を開くか
「小夜ちゃんが危ないんだよ~解放してよぉ~」
遠くで菫が何かを訴えているようだった。小夜が話題を変えてきた
「どうすんの、菫さんにとって望はもう特別な人みたいよ、奈緒さんと菫さんの話に私を巻き込まないで欲しいな」
「そんなことはあり得ないでしょう」
平然と望は答えた
「驚いた。望は、奈緒さんとか菫さんを神様か何かと勘違いしていない?」
望は、小夜の言っていることが理解できなかった
「どういうこと?」
小夜はいつもの冷静な口調で
「パウリの言葉。
”車にひかれた人が言った。ここには車が許されていない、だから私はひかれることはおかしい”」
望は小夜の伝えたいことが大まかに分かった。
「EPR論文のパウリの反論だね。
”あってはならぬことは起こりえない”」
小夜は微笑んだ
「”朧気なる瞳”の持ち主は、そのことも知っているのね。でも女性のことは分かっていないみたいね。興味の無い男に話しかけたり、デートに誘ったりすることなんてあるかしら?」
「僕が人より秀でている要素なんてないのに、そんなことはあり得ないでしょう」
望は自分の言っている言葉がパウリの言葉に反している矛盾に気付きながらも、この言葉を発するのが精一杯だった。
望は小夜がしたり顔をしているように見えた
「私の推測だと、菫さんが望に気があるのは、奈緒さんが望に気があるから。女性は誰かが高評価したものに同調する傾向があるから、菫さんも例外ではないと思う。愛美さんの一件の後も、奈緒さんだけはいつもと変わらず望に話しかけていたよね」
望は返す言葉も無かった。小夜は畳み掛ける
「望は
菫さんの喋り方揶揄した?
言ってること何か否定した?
質問に対して適当に答えた?」
望は小夜に理路整然と意見をぶつけられるのがたまらなく快かった
「それは菫さんだけでなく、小夜さんにも奈緒さんにもします」
「愛美さんにするかしら?」
望は思慮深い小夜を惚れ直していた
「そんなことぐらいで・・・」
望は、小夜がいつになく真顔になったような気がした
「とにかく、私は関わりたくないの」
望は天井を見上げた、天井のボードに汚れた箇所があり、その箇所だけが気になった
「僕には恋愛は無理だな」
望は作り笑いした。女性の躰に強く引かれても、今の関係を維持する方が有意義であると考えて、その意見に自分の中で同意した、同意するしかなかった
「小夜さん、駆け落ちって興味あります?」
小夜は笑っていた。望はいつか誰かに言った恥ずかしい言葉を繰り返した。いや、夢の中の言葉かもしれない
「そういう所、菫さんの心、掴んでいるよね。
でも、奈緒さんでなく私を選んでくれて、ありがとう」
望は、小夜が見せた隙につけ込む言葉を用意できなかった。こういう対応のできる女性が眼の前にいてもただ見送ることしかできない自分の無力さを痛感した。あの時と同じ?いやこれは思い出せない記憶だ。
多分望の中で菫に対する思いが既に無視できない程膨張していたからかも知れない。恐らく小夜もそれに気付いているのだろう。
小夜が自分の考え方によく似ていると思った。高校生の時、彼女を取られた時の反省を思い出した。今、小夜の話に乗っているが、これはあくまで小夜の仮説に過ぎない、自分評価、すなわち自分の今いる座標が小夜の測定値と同じであるかは安易に決めることはできないと思った。もしかしたら、小夜は男と付き合うのが面倒なだけで、自分を遠ざけたいだけかもかもしれないし、本当は付き合いたくても、自分が奈緒や菫と付き合ったときに起こることと同じ事を想定しているのかも知れない。
とにかく、これ以上恋愛の話をするのは得策でないことだけは分かったので、恋愛から遠い話をすることにした。
「中学の国語教師がアインシュタインの顔に似ていたんだ」
「唐突ね?話がだいぶ、ぶっ飛んでるみたいだけど」
「菫さんに中断される前の話は、”アインシュタインはペテン師だと思う”だったので話を戻します」
望は小夜の顔から緊張が取れたように見えた
「望は容姿で人を選ぶ人?」
「はい、その通りです」
「歴史的な大物理学者にそんな理由で侮辱するわけ」
小夜は笑っていた。望は小夜の笑顔が嬉しかった。
「手前は、化学を学んでおりますが、実は人相学が専門でして・・・」
小夜は笑っている、望はその笑顔を絶やしたくないと切望した
「どこで勉強したの?」
「実は、神社の方と母親の実家が親しくしていまして、その方から。同世代の人間としては比較的知っている方だと思いますよ」
「あら、神主さんって人相学に詳しいのかしら?」
「知らないと、依頼者に軽く見られると仰っていました」
小夜が真面目な顔つきに変わった
「じゃあ人相学に通じた望博士は、なんで私みたいなブスはどういう判定するの?」
望は勝負どころが来たと思った。アドベンチャーゲームならば選択肢から選べばいいがここは自分で言葉を絞り出すしかない
「小夜さんはとても魅力的ですよ」
「思ったよりつまらない鑑定ね、具体的にどんなところが魅力的って言うのかしら」
望は小夜の顔に抜きん出た要素が見当たらなかった。小夜も自分同様容姿のことでは辛酸を嘗めてきたのだろうと思った
「少なくとも僕と話している時は邪心がない」
「ははは、天魔の言うことを真に受けると思って?」
きちんと打っていた布石が役に立ちそうである
「真実は目で見えると誤解したらいけない。心が読むのだ」
望は高校の時から携えているメモ書きを小夜に見せた。
On ne voit bin quavec le coeur L’essentiel est invisible pour les yeux.
「英語じゃないわね。フランス語かしら?・・・ああ、Le Petit Princeか」
(小説の訳文:心でみなくっちゃ、物事はよく見えないってことさ、かんじんなことは目には見えないんだよ)
「そう、狐の場面だけ原文探して図書館でフランス語の辞書引いて和訳したんだ。
何の取り柄もない漢の女の子を口説く手口、いや下心という方が言葉として事実に近いかな。ちなみにさっき小夜さんが言った”飼い慣らす”はアプリボイシapprivoise 動物から受ける恐怖を取り除くの他に、社交性をつけるみたいな意味かな」
「そういえば望はさっき、狐が人を騙す生き物って言っていたね」
「小夜さんと話していると・・・なんというか、自分の考えていることが肯定されているようで嬉しいな」
小夜は何も気にしていないというより、話の核心迫りたい欲求の方が強いのだろうと望は考えた
「確かに”星の王子様”って本文の内容から考えると違和感あるね。邦題でも気に入らないと原作のタイトルで言うからね」
「所見を言わせてもらえば、アインシュタインの扱われ方と似ているかな。
このタイトルには、あの教師と同じで赤い匂いがする」
「赤い匂い?もしかして、マリー=キュリーが祖国に帰れなかった原因の話?」
「真実は目では見えないってこと、心で見るっていうけど、結局、狐の本意が分からなかった。当時彼女のために導いた考察は、”ペテン師は仕事以外のプライベートでは嘘を吐きたくない”まあ、今再考すると30点ぐらいの考察かな。社交性を付けるということはイデオロギーすなわち思想傾向の誘導に近いと思う。そう考えるとディラックのノーベル賞言葉、”数値化されるものでなければ理論的には解釈できない”というのが的を射ているように思う」
「望、気付いていると思うけど・・・」
小夜の説では、一般の人で言葉を発信者の意図通りに理解できる人は50%にも満たないという。一方、人には残念ながら生まれながらの天才もいる。努力とか苦労とか無縁で試験の成績が良い人。このタイプは言葉が理解できても、感情が理解できないという。そう考えると言葉を使って意思疎通が円滑にできる人は10%にも満たないのではないかということだった。小夜が伝えたいことは、望が選んだ人は90%の分布にあるということだ。言葉を選んでいるが、理解できない人にする話題ではないと望は理解した。最後に”英語がしゃべれない人が英語しか理解できな人と意思疎通は難しい”という例えで締めた。
望は中学生の時のことを思い出した。
「中学生の時、同じような話をしてくれた人がいたな」
望が中学のときアインシュタインの顔に似ていた国語教師が、自分の立場を利用して散々言葉の暴力受けて、もう2度と立ち上がれない位に酷く落ち込んでいたときに助けてくれた同級生がいた。
彼女は人生の選択で教師を選ぶような人はあなたと違う人種だから真に受けちゃだめだよと言ってくれた。
彼女に恋愛が芽生えると
さらにあなたもサボっていないでこっちにいらっしゃい。
それにその体型なんとかしないと、太っている人は自己管理がないと見られる。
ああいう教師のカモになりやすいから自分を甘やかしちゃ、いつまでも見返せないよと言ってくれた
「もしかして初恋の人」
望は小夜の言葉が意外だった
「初恋の人は舌足らずで、そばかす顔だったはず」
小学生の頃の話だ
「今でも好きなの」
「それは違うな」
「なんで」
「顔が好みじゃない」
望は小夜が不思議そうな顔をするのに驚いた。これも小夜についた嘘である
「ははは、ちょっと意外で驚いた」
望は小夜の言いたいことは、分かっていた。能力が高ければ容姿は気にしない人だと思っていたはずだ
「奈緒さん位美人なら、忘れられてなかっただろうな」
小夜の回答まで少しだけ間が開いた
「奈緒さん美人だと思っているんだ」
「うん、本人にも直接言ったし」
<つづく>
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