第11話 ちっぽけな王子様

ちっぽけな王子様


「奈緒ちゃんのところに行くのに手ぶらじゃいけないよ」

 菫は男性雑誌のグラビアのように自分の胸に手を当てた。望は”ツッコんだ方がいいですか?”と聞こうとしたが、言葉を選んだ。

「その仕草に触れた方がよろしいでしょうか」

「望ったら意思疎通できているね~。師匠は嬉しいよ。小夜ちゃんごめん、その話の前にこの話題だけさせてぇ~」

「ごめん、ごめん、私の話は後でいいよ」

 小夜が笑顔で答えた。真顔になった菫が聞いた

「愛美ちゃんに何言ったの〜?」

 望の周辺には、ある事件を境にして変化が生じていた

「愛美さん、学校来なくなっちゃったね。試験には来ていたみたいだけど」

「愛美さん望と話した後、泣いていたよぉ~」

 望は、小夜や菫が自分に危険を感じているのはこの1件が原因だと確信していた

「鏑木先輩を紹介して欲しいと頼まれたんだ。もちろん断ったけど」

「なんて断ったの」

 今度は小夜が聞いてきた

「先輩は人嫌いだと伝えたんだけど・・・

 権利とか平等とか気持ち悪いこと言い出したので口調が厳しくなったかもしれない」

「私の印象だと、あの子、理系向きじゃなかった。どのみち学校には来なかったと思う」

 望は小夜の言葉が好意的なのに驚いた。あの1件以来、クラスの連中との距離感が遠くなっていた。続けて菫も意見を述べた

「そうだねぇ、公式覚えて当てはめるタイプね~証明問題なんて苦手そう。高校時代はそれでも成績も良かったんでしょうねぇ~」

 望は愛美を人として軽蔑しているところがあったと自覚していた。小夜と菫の考えが自分に近いことに驚いた。高校時代ではあり得ない話だった

「そういえば、愛美さん自分が思い通りにならないことは社会や人に起因しているような口ぶりだったな。小学校の時に、今から思えば工作員みたいな同級生の女の子がいて、その子と重なるところがあったから、恨みが言葉に乗っちゃったかもしれないね、願わくば会話したくなかった類いの女性だったな」

 望は菫の顔が自分を労って笑顔を作っているようにも感じた

「大学生にもなって権利とか平等とかいうきれい事言ってる愛美ちゃんのこと。望は嫌いだったのよね。話していて分かったよぉ~」

「いいんですよ菫さん、気を遣ってもらわなくても。嫌いな人を好きになる努力はしませんから」

 言葉を発したのは小夜だった

「望君はそれで世の中は通用すると思っているの」

「簡単な話ですよ、僕は好きでもない人に好きな振りをできる人間ですから。

 人には悟られないようにしているのですが、結構好き嫌いが激しいんです」

 小夜は予想外の言葉だったのか言葉を続けなかった。沈黙は菫が破ってくれた

「えっへん。名探偵ビオラ様が謎を解いて進ぜよう。愛美ちゃんは学校を去ることを自分で決められなかった。鏑木先輩に告白して、もし上手くいったら学校を続けようと思ったんじゃない~」

 小夜の言葉も辛辣だった

「結局、”公式”すなわち誰かが導いた式に当てはめてでしか理科が理解できない人は、この学校には適性がないってことね」

 望は自分が感じたように、この学校では愛美が異分子だったことを、小夜も菫も感じていたのかもしれない。世間で通用する常識もこの学校では通用しない世界だった。きっと愛美も違う学校に行っていたら状況も変わっていたに違いない。要はこの学校に適性がなかったのだ。

 望はこの話に関連して小夜が前の学校をどうして止めたか聞きたいところだったが、話題から逃げるのはだらしがないと思い、その話題を口にしなかった

「小夜さんまで、気を遣わないで下さい。僕が愛美さんに酷いことを言って学校から足が遠のいてしまっただけですから」

「気にしているのぉ~」

「全然」

 望は有美の友人が新米教師を精神病院送りにしたのは友人の言葉が教師を自殺未遂に追いやった原因だったと聞いている。言葉は暴力手段になる。言葉を発する以上そういう事態が生じるのは覚悟しなければならない。ただ彼女が教師を死に追いやったとしても彼女を支える自信がある。この教師は言葉を生業する人生を選んだからだ。

 “全然”にはそういう背景があり、自動車を運転するならば人を轢いてしまうことも想定した上でステアリングを握る必要があると望は考えている。そういう思考は中学時代には形成されていた。

 望の本音をいうと、小夜への気持ちにけりを付けて、有美の友人を紹介してもらうつもりだった。ここまで小夜に思わせ振りな態度をしながらなにも動かないのは無礼だと判断したからだ。

 話が逸れてしまったが、愛美に対しては

”いい年してそんな寝言を言う人には幻滅した”

 と意見を言おうとしたがそれは止めた。意見の近い者がいる席では調子に乗ってしまいがちだが、才媛2人の前では言うべきでないだろう。そして、誰にも同じように人と接することができる奈緒のようにはなれないと思った

「奈緒さんみたいに誰とでも同じ顔で話せる人を少しだけ尊敬しています。尊敬はしていますが、自分が同じようにしたいとは少しも思いませんが」

 望は小夜と菫の顔に怪訝な表情が読み取れた。2人が同じような顔つきに奈緒の影響の強さを感じ取った。口を開いたのは菫だった

「おお、望はサカリのついたウサギさんみたいに女の子には親切に話しかけるのだと思ったんだけどぉ、私と同じ差別論者なのね~」

 望は”私と同じ”という言葉に戻れないところに深入りしてしまった感を覚えた。

「そのサカリウサギさんは、すっかり菫さんに飼い慣らされているね」

 ”飼い慣らす”

 追憶は体育館でみた古い8mm映写のように、薄闇の光にあぶり出された空中に漂う埃のような追憶が蘇る。

 菫が小夜の言葉に反応する。

「Le Petit Prince(星の王子さま)の狐の言葉ね~

 最後蛇に喰われちゃう世間知らずの坊やね」

 望は遠い目をして呟く

「何も知らなかった、知ろうとしなかった、それで良かった・・・」

「なに?どうしたの」

 望の異変に気付いた小夜が不思議そうな顔をして言葉を掛けた

「寝取られた彼女の事ね」

 望は菫の言葉に我に返った

「さすがは、名探偵ビオラ・・・」

 望はぎこちない笑顔で答えた

「なんか、ごめん」

 望は、また小夜に気を遣わせたのが申し訳なかった。

 菫の予想通り、”星の王子さま”は高校時代に思いを寄せていた彼女が好きで、鞄に人形がぶら下がっていたし、多くのグッズを使用していた。彼女の気を引くために物語を読み込んで自分の考察を携えていた。願いかなって、彼女と隣町の映画館にデートしたとき、Le Petit Princeの話をしたが、彼女は全く物語を理解していなかった。

 これはかなり深い絶望だった。頭の中の映写機では葬式に普段着で参加する彼女が微笑んでいた。自分の持っている常識が彼女にとっては常識でなかったのである。精一杯繕ったつもりでも、彼女は小説の内容は理解していなくても、自分に起こる物語はきちんと望から読み取っていたようである

「笑っちゃいます。小説なんか読むの大嫌いなくせに、Le Petit Princeは女の子の気を引くために夢中で読みあさったンですから」

 菫は優しい言葉で語りかける

「感想聞かせて」

 望は淀んだ水が透明になるような心地よさを菫の言葉から得た

「多分・・・きっと、羊の絵を描いて欲しいと言われたときに、蛇を書いたのは・・・

 絵さえ描けば少年が満足すると思ったからです。僕は結局、彼女が何を望んでいたか見当さえついていなかったのです」

 小夜が答えた

「薔薇の花は幾つもあるし、季節が巡ればまた花を点ける

 私はね、私はね、薔薇は自分を認めて欲しいだけだったと思う」

 菫はうなずきながら

「所詮は飛行士が砂漠で見た幻想、死と隣り合わせの・・・ほら日本でも”走馬灯のように”っていうじゃない」

 望は高校の彼女に求めていたものを、あっさり所有している2人を尊敬した

「僕は、西洋でも狐も蛇も人を騙す生き物だと思った。

 時間が経って分かったことは、多分僕は女性に”尊敬”を求めているが彼女はそれを持っていなかったし、得ようともしなかった。

 ただ、騙したのは紛れもなく僕だし、勝手に彼女に理想を求めていただけかもしれない」

 沈黙が3人を包む。

 渉師匠が”口説く相手に過去の女性は話してはいけない”と教えてもらったことを、望は思い出していた。二人とこんな話がいつもできたらいいなと思った。そもそも最初からそれを望んでいた筈だ

「じゃあ、手土産もできたし、また奈緒ちゃんからかってくるよぉ~」

 望にまた小夜と二人きりの時間が訪れた。

〈つづく〉

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