第7話  天魔の弟子

天魔の弟子


 2人きりになると最初に話したのは小夜だった。

「菫さんのこと、どう思う」

 望は小夜から質問されたのが嬉しかった。漠然とした質問だが、小夜の期待する答えを渾身の思考を以て探した

「わざと、ああいう喋り方をしているのでは? ということですか」

 小夜は冷静な口調で

「望君にもそう見えるんだ」

 望が探した答えは的を射ていたようだ。菫の気持ちに深入りするつもりはなかったが、小夜の会話のために付き合うことにした。

「菫さんは、人から馬鹿にされるを嫌っているのではと率直に思いました」

「なるほど、最初に特別な人間だと認識させることで、心の安心が得られるってことか」

「ちょっと考えすぎかも知れませんが、短い会話の中で菫さん何かに怯えているような感じがしたから」

「そんなこと分かるの?」

「僕も中学の頃、女性不信でしたので何となく共鳴するものがあって」

 望は話に乗ってくることを期待したが、小夜は望の話には興味がなさそうに

「大学に入ってからの菫さんしか知らないし、最初からあの調子だったからね。不思議な女の子を演じていても誰も気付かないよね」

 望は小夜の手強さを感じた。

「もしそうだとしたら凄いね、少しも隙がなかった」

 小夜は不敵な笑みを浮かべた

「菫さんも相手してもらって楽しかったんじゃない」

 小夜は少しだけ表情を柔らかくして答えた。

「友達同士だったら楽しかったのでしょうが

 菫さんも大分僕に気を遣っていた印象ですよ」

「惚れた?」

「小夜さんに?」

「ばーか」

 今日言われた”ばーか”の中で一番愛嬌があったと望は感じた。

「高嶺の花は本当ですよ、恋人は無理でもお二人に気軽に話しかけられたらいいなってのが本音の本音かな」

「こっちに座る」

 小夜は望を自分の隣に誘った。意外な言葉に望の胸は高鳴った。

「いいの?」

 言葉よりも前に望の足は動いていた。

「菫さんがこっちをチラチラ見ると思うよ」

 望は小夜が何をしたいか理解した。席を移った菫が、残った二人の動向が気になっているのだと

「菫さんがこっち向いたときに小夜さんにキスしちゃおうかな」

 小夜は望の頭を叩いた。

「イテテ、手を振るだけにします」

「ねぇ、からかっているんだと思うけど、一応話に付き合うね

 なんで私なの」

 望は、小夜が容姿のことでずいぶん苦労したのだなと思った。望自身も中学生時代までは太っていたので、容赦ない中傷は経験済みである。

「クラスで一番頭がいいのに、ぱっと見で分からないとこかな」

「なにそれ、私には普通ね」

 小夜は冷静な口調で答えた。望は菫が気にしていた言葉を思い出した。

「普通か」

 望は天井を見上げた。

「すごいね、菫さんは”普通”という言葉に望君が反応するのを読み取っているんだもん」

「小夜さんには

 なんて言って欲しかった? 

 菫さんは”かわいい”って言って欲しかったのだと思うけど」

 望は小夜が自分より菫の方に気持ちを向けて欲しいようだった。

「私はね、私はね、多分女として見て欲しく無いんだと思う」

「ごめん、なんて答えていいか分からない」

「何が正解だか、私にも分からない」

 刹那、菫がこちらの様子を窺ったので、望と小夜は仲良く手を振った。出口のない暗闇に迷い込んだ二人を菫が救ってくれた。

「菫さんの驚いた顔、傑作」

 小夜は今日一番の笑顔を見せた

「小夜さんもなかなかですね」

「惚れた?」

「最初からそう申しておりますが」

「違うわよ、菫に

 もう気付いているんでしょう」

「菫さん面食いだから」

「眼鏡を取ってみなさいよ」

「キスですか? 小夜さん積極的」

 小夜は面倒に思えたらしくその言葉に反応しなかった。望は眼鏡を外した。

「望君に合っていないのは度じゃなくてフレームね」

 望は動揺することなく

「こんど眼鏡を変えるとき、一緒に行ってくれますか?」

「なんで私なの」

 今度はあきれるような口調で答えた。

「なかなか手強いですね」

 望はからかうような口調で答えた。

 小夜は一呼吸置いて

「分かった、宗教の勧誘でしょう」

 望が奈緒に感じた印象を思い出した。

「宗教は自分で学ぶもので、他から与えられるものではない。むしろ自分で学んだものを人に施す発想は僕にはない。やる気のない奴に遠くから命令を出したって対した成果は上がらない」

「教材の販売?」

「小夜さんみたいな才媛に何の教材を?」

「幸運グッズの販売?」

「化学科の小夜さんにそんな元素が存在する証明する自信ないな」

「絵画の販売かしら?」

「僕の写真10,000ディラックで買って頂けませんか?」

「私の持っているお金は10,000パウリだけどレートはどうかしら」

 初めて二人一緒に笑った。ディラックもパウリも量子力学の功労者かつ偉大な科学者である。

「その朧げなる瞳!コペンハーゲン信者の目だな」

 望は言葉の意図が理解できなかった。小夜は続けて

「Sturm und Drang(シュトゥルム・ウント・ドランク)”嵐と衝動”の暗い情熱に目が曇っているのだろう」

「ごめんなさい。僕は文学の能力が小学生水準なので、そういう高貴な引用をされますととても理解ができません」

「さきほど菫さんを”メフィストーフェレス”と言ったようだが聞き違いか?」

 望は小夜の演劇に付き合うことにした

「おお、何ということだ。

 僕はある女性の気を引くために

 量子力学の本を紐解いた

 その過程で悪魔(メフィストーフェレス)が登場したが

 いつの間にか跡を付けられていたか・・・

 いや、

 日蓮聖人は気付いている

 もっと前から拙者は天魔の家来である

 そう、いつからか

 他人の目など気にしてはいない

 気にする奴は

 自分に自信がなくて

 一人で物事を解決できない奴だ

 だから探している

 誰にも侵されない

 基準を持っている者を

 天魔をも飼い慣らす賢者を

 拙者は知っている

 人は言葉に支配されている

 だから

 丁寧な言葉遣いと

 然るべき肩書きがあれば

 人は簡単に騙されることを

 でも

 話さなければなるまい

 あなたには

 話さなければなるまい」

 小夜は笑った

「なるほどね

 あなたも菫さんと同じで裏の顔を持っているのね

 天魔の話を聞きましょう」

 望は菫のお陰で小夜が扉を開いてくれたのだと思った

「この話、他人に話すのは小夜さんが初めてです。

 実は僕、化学薬品過敏症なんです。香料だけなんですが、髪の毛の長い人には薫りが強くて近づくのが辛いんです」

「本当なの?」

「なので、恋愛対象は髪の毛の短い人なのです」

「ははは、信憑性はともかくとして、筋は通っているね」

「多分遠い外国で、日本語が話せる方に会った感じですよ。

 でも、今日はここまで伝えるつもりはなかったのが正直なところかな検討の余地があるなら考えて欲しい」

「考えておくよ」

「ダメかぁ」

望は無機質な笑顔で答えた

「菫さんが髪の毛を切ったらどうする」

 小夜の切り返しの速さに望は大人の女性を感じた

「惚れると思います。

 菫さんが言った

 ”私は差別論者”

 それは僕の心を射貫いています。でも二人同時には無理です」

 小夜は深いため息をついた

「化学屋が化学薬品過敏症なんてね・・・

 もしかして、それを解決するために化学の道を選んだとか?」

「まあ、少しはそういう要素もありますが、僕は特殊能力を持つ物質を学ぼうと思ったのが志望動機ですかね」

「特殊能力というと?」

「電池とか磁石とか写真のフイルムとか放射性物質もそうかな」

「漠然と自分の成績見て進学決める人が多いけど望君は違うのね。それを突き詰める形で量子論の世界に入って来たんだ」

 望は小夜の観察が素晴らしいと思ったが、量子論は小夜の気を引くための下心ということは分かっていないようだった

「これでも現役の時は、いろんな学科を受けたんですよ。

 でも予備校で恩師に会って考え方が変わりました浪人した1年間はきっと人生にとって意味のあった期間だったと思います」

「そっか、私の話を聞いてくれる」

「慶んで」

 小夜が顔をあげると、険しい表情になって呟いた

「間違いなく運だけは全ての人が平等でない」

 望が小夜の顔から正面に目を移すと、奈緒が歩いてくるのが見えた。

<つづく>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る